なぜ落ちた…「世界では低学歴」日本の大卒の末路…途上国レベルに急落
東大でも世界のトップ20にも入っておらず39位。昨年の35位から順位を落とした。京都大学でも68位。他の旧帝大系は東北大学が201~250位、大阪大学251~300位、名古屋大学は301~350位、北海道大学、九州大学は501~600位。
同じランクにはパキスタン、ジンバブエ、モロッコ、アルジェリア、ウガンダ、タイ、インドなどの途上国や新興国の大学が多い(以上は、MINKABU記事より)。
気が付いた時にはもう遅いのである。
少子化で絶対数が減って、その質が極端に悪いとくればもはや世界から見れば日本は『異次元』の後進国では無く、後退国である。
実力社会では無く、学歴(と言っても、大学名だけ)という基準しか持ち得なかった。
明治維新から日本は学問を尊び、積極的に海外にも派遣しその実力を肌で感じさせて来た。その結果、(良し悪しは置いといて)西洋の文化や技術を積極的に取り入れて近代国家としての形を整えた。
一方、現在の大学教育を見てみよう!
大学教育は、通常四年間である。
この内、最初の1年半~2年間は『教養課程』(呼び名は時代や学校で異なる)である。現在の学生たちを見ると、この期間はほぼ、遊びの期間と位置付けられて、サークル活動やクラブ活動などに余念が無い。
なぜ、この(教養課程)期間が設けられているのだろうか?
本来は、将来進むであろう分野とは異なる分野についても広く学んでおこう、という期間である。すなわち教養を高めるためでもあろう。
しかし、現在は『モラトリアム』(社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える期間)では無く、社会に出る前に『遊びきろう!』期間になっている。
この原因は明らかで、詰まらない受験勉強から解放されてサッパリ。ということであろう。大学には入れたし、あとは3年後の就職試験用(似たような)勉強・対策をして、某有名企業を目指す…このような大学は出たけれど…(大学卒業者としての実力などは全く無い)若者が街に溢れている。
一方、苦学生はバイトに明け暮れて疲れ果てて教室は熟睡の場…とばかりに卒業証書だけを目指す生活に明け暮れる。
このような社会に将来があるはずも無く、勉強?そんなことして何になる!という実に馬鹿な社会になってしまった。
かつて『一億総白痴化』(白痴と言う言葉はダメであるのですが、ここはあえて単に馬鹿の代名詞です)と叫ばれたが、まさに半世紀を経てこれが実現するという過去の人の慧眼には驚くばかりである。
これに対する対策はあるのだろうか?
SDカードのようにデータ(知識?)のみ詰め込んで歩いている学生の頭は、『Intel Outside』(インテル入って無い~)なのであろう。