処理水・科学的には安全…現代『科学』も完全に正しいとは言えない➡『科学』も風評の一つに過ぎない
科学と風評とが『対立する』ように論じるケースが目立つ。現代の科学が百パーセント正しいか?と問われると回答は『ノー』である。
その時点、時点、で科学の水準は変化して行くので、現代の科学的分析だからと言って正しいとは主張できないのである。まぁ言えるとすれば、現代で最も信憑性が高そうだ…と言うだけで絶対に正しいことなど永遠にあり得ないのである。
戦後の科学万能主義のように、『科学的には正しい』とは、単にそう信じ込んでいるに過ぎない、宗教のようなものに近い場合も結構ある。
かつては『天動説』を信じていた時代には、これも科学的に正しいと思い込んでいたに過ぎないことは周知の事実である。
科学といえども、学問的に常に発展途上にあり、絶えず努力して、より正しいものに近づこうとしているだけである。学問に誤りがあるのは当然である。もし完璧ならこれ以上努力するのは無駄に過ぎない。
以上の意味では、現代科学が完璧でないと知れば、『科学』というのも風評の一つでしか無い。
かつて原子力発電は、『安全』、『絶対安全』と吹聴していた。
しかし現実には原発事故が起きてしまった。
これに対して政府・司法は
『予見できなかった』
の一言で済ませているが、これこそいい例である。
これに対する理解は、次の二通り
(1)『原発は安全』との主張は、非科学的であった
(2)『科学的に安全』としていたが、『科学的に予見できない』現象で
事故が起きた
のいずれかであろう。
これを見てもお分かりの通り、
★科学的に証明されている
との主張が、いかに脆(もろ)く、将来を正確に予見できないと言う事を皮肉にも実証して来たのが政府・行政・アカデミズムの敗北である。
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