原発は安全か? 立地に見る安全性危機と当事者能力の欠落…底が抜けた科学技術者、見えざる恐怖
原子力発電は安全か?こう問われて久しい(タイトル上の図は朝日新聞デジタルより)。
以下は原発安全審査で原子力規制委員会が指摘した内容である。
敦賀原発2号機「資料まともに作れないようでは」…ミス1300か所以上、安全審査を再中断
これが現実。これがわが日本の実力なのである。口先だけの国になってから久しい。
さらに、電源開発(パワー)についても次のような記事が出ている。
「(規制庁の)コメントがありながら、自分たちでミスを見つけられなかったのは極めて遺憾。(昨年の)2月7日に言われたのになぜ自分たちでチェックしなかったのか」と言われ、繰り返される「過ち」により安全審査は遅れに遅れている。税金の無駄遣いだ。
と言う記事も出されているくらいである。
実は、
『地震動解析業務をA社に委託している。A社は、内陸地殻内地震の解析業務をB社にさらに委託。そのB社が、「F―14断層による地震」の解析などをC社に委託し、C社が入力を間違った。入力ミスの防止や発見をする機会は電源開発や各委託会社で計14回あったが、チェック機能は働かなかった。』
自浄能力の無い日本の企業が産み出す怖いばかりの状況である。
要は、自分たちの仕事が『安全管理』の上でどのような位置づけにあるかも組織の誰も認識が無く、作業として最もコストを最小にできる方法が採られたのだろうと推測する。
下請け、孫請け…まさに作業の意味など『伝言ゲーム』のように意味不明となり、結果として、
★作業目的・・・解析を実施する
★作業成果・・・解析を行った
程度になり、本来は最も重要な
★解析結果の評価
は為されずに、結果を報告書に羅列しただけであろうと推測する。
さらに4月中旬には、以下の記事である。東京新聞からである。
『10カ月ぶり再開もまた失敗 福島第一原発の汚染配管撤去 切断装置大型化したら配管に近付けず…ずさんさ露呈』
怖いくらいである。
誤魔化しだけで済まそう…これすらまともな誤魔化しも出来ない、それは自分たちの出した結果を自分たちが評価できないからでもある。恐らく長い間、原子力人気が凋落の一途をたどり、真っ当に必要な人材は育たなかったのであろう。
しかしである、恐らく、規制委員会は提出した資料を見ただけで提出資料
の体をなしていない…と判断したのであろう。
さらに、日本原燃(青森県六ケ所村)の使用済み核燃料再処理工場で部屋の照明が消え、国際原子力機関(IAEA)の核物質監視が一時的にできなかった問題で、原子力規制委員会は11日、原燃の検証は不十分だとして調査報告書を再提出させることを決めた。
規制委は、部署間の連携に関する原因分析が不十分な上、照明の維持管理の責任を負う部署も明示されないなど再発防止策は具体性を欠いていると指摘した。
これは『日本という国自体の問題』にも置き換えられるであろう。
★腐ってしまった技術者、これを育てた教育、教育を司る国…
もはや壊れ行く国となった。
それはともかく、原子力発電所の安全の観点をまず立地から見て行こう。原子力発電所(以下原発という)というものは歴史的にも人家の多い場所は敬遠される。これは、人達の住むことが敬遠される場所に建設されるという事を意味している。
人々が嫌がる…これは安全な場所では無いことを意味しているのであるから、所詮、ほとんどのケースは、『実は危険な場所』に造られるのがほとんどである。例えば、断層の上であったり、地形的に危険な場所であたかも人里から隔離されていたりする場所である。
従って、原発のある場所は風光明媚な場所(これは火山、温泉、崖が近いなど)。
さらに原子炉冷却のための水(日本では海水、フランスでは川水)が近くにある場所でなければならない。日本では、海の近くに建設せざるを得ないのである。海が近くであるという事は、台風や地震の津波など避けることのできない天災に立ち向かわなければならない。
どの程度の災害が起きるかなど言い当てることは不可能であるので、堤防や防潮堤をいくら高くしても安全という根拠などありません。
『ここまで高くしたから絶対に安全…』何時か聞いたようなセリフです。そうです、原子力の安全神話と言われた時代に横行した詐欺的手法です。
実は、堤防などの高さ競争が全く無意味であることは明白です。誰も科学的に根拠を示せる人などいませんから、これくらいなら…いい加減な議論です。
それから安全性や被害の議論を巡って裁判所で決着するなどは、全くの茶番以外の何物でもありません。原子力の科学技術の素養がある訳でも無いし、ましてや地震や津波の専門家でも無い裁判官(司法試験をパスしただけ)が裁いていること自体が漫画チックです。この被害は『予測不能』などと、歴史も知らずに津波の被害を語るなど神を冒涜する行為です。東北津波は歴史的にも何度も起きていたことはよく知られた事実です。
あくまで裁判所が出来るのは、『手続き上の瑕疵(ミス)』の有無程度で自然災害についての評価を委ねる相手ではありません。国民自体が無意識に司法というものを科学的判断が出来る機関であると思っているならまさに自業自得なのです。
ですからこれを回避するためには、造られる前に十分な安全性を国民の手によって判断すること以外にありません。
原子炉容器が頑丈であれば、これを冷却できるシステムの信頼性や災害に対する耐性を上げることが最も重要です。これには、水害に対応して、(補助)発電機を水没しないように高所に置くことが肝要です。
福島原発事故を経ても、まだ地下に置いたままでは水没して同じ事故が起きるように人為的に仕組んだも同然なのです。
関西空港、多摩川タワーマンションも同じ原因(地下に補助発電機)でブラックアウトが起きました。
しかし、多摩川のタワーマンションの次期プロジェクトでは、(確か)3階の高所に補助発電機を移動し設計変更をして住民の安全と安心に対応しています。
一方、原発や関空は依然としてその変更は行われていません。面倒で金が掛かるという理由だろうと推定します。官のやることはいつも同じで犠牲になるのは住民という事でしょう。
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