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気鋭の歴史家から『歴史家へのメッセージ』…常識という『病(やまい)』で語る歴史家達
研究とは何であろうか?
新しい事実を発見する
新しい方法を見つける
新しい説明をする
ということであろうか。
要するに、研究の成果とは『新しい…』と言い変えることが出来る。
新しさが無いという事は、従来通りに過ぎないという事になる。
しかし歴史研究家の中には、例えば、
『日本書紀』に書かれた天皇の長寿・在位は非常識である
と断じて、だから『日本書紀』の記述は信用できないと決めつける。
これは、それらの研究家の常識に合わないので誤ったもの、とするのである。
上に述べたように、この
歴史家の常識の中にあることだけが事実である
とすれば、この研究家には『新たな…』は存在しないので、陳腐なことだけを主張するか、自らの常識で誤った判断をする可能性が非常に大きく。危険である。
『新しい…』は、一見、非常識と思われることから生まれる。