日本人とはなにか? 人類と文化を変えたゲームチェンジャー:大災害 No.1
日本列島に生きる私たちはどのようにして現れ、どのように変わって行ったのか。自然との戦い、天災による社会の大きな変化…それにより産み出された新たな文明・文化。
しかし、現代に至るや、変化を産み出すのが『戦争』という人災に変わって行く。
これら人類の文明や文化の歴史変化を産み出す『ゲームチェンジャー』について見て行きます。
★★★
1.日本人はすべて渡来人
日本列島に固有の『日本人』が発生していた訳では無い。
現生人類は、生物学的には『ホモ・サピエンス』と呼ばれる。
『ホモ・サピエンス』とは、「知恵のある人」を表す現生人類の『種』名である。
ホモ・サピエンスの最古の化石は、アフリカ東部のエチオピアで発見された。年代は、約19万5千年前で、複数の科学的な分析からもこの頃ホモ・サピエンスが誕生したと考えられる。
われわれ現代人の最初の祖先は約20万年前にアフリカで誕生した(下図参照)。
当然、これ以前の日本列島に現代人の祖先がいたことは無く、ずっと後に日本列島にやって来たのである。従って、後に日本列島に来た現代人は、分類すれば皆『渡来人』なのであり、固有の遺伝子を持つ『日本人』など発生した訳では無いことを理解しておくべきであろう。
2.日本人のルーツ
ホモサピエンスは四万五千年前には極東アジアに達していた。日本列島に来た人は3万7500年前頃である。彼らは大陸からやって来た打製石器を用いていた。骨が発掘されていないことから彼らの遺伝子については不明である。その後、大陸からさまざまな遺伝子を持った人が断続的に移住してきた。これは、平安時代にはほぼ終了した。その後、移住してきた人の間で日本列島内で混血が進み、日本人と言う遺伝子グループが確立した。
日本人と言うのは、大陸を経由してさまざまな遺伝子を持つ『人』達の混血であり、その後、『日本人という遺伝子グループ』が出来上がったのである。
最初にホモ・サピエンスが日本列島にやって来たのは、『対馬ルート』を経由していた。これは、発掘された遺跡からの推定で、他のルート(北海道ルート、沖縄ルート)での遺跡の報告例は非常に少ない。
当時の海面は現在より、80m程度低かったため、比較的容易に対馬海峡を渡ることが出来た。下図は、現在より80mほど海面が低くなった場合の海岸線を示したものである。
対馬海峡は、現在より狭く島伝いに移動出来た。日本列島は干上がっていて、九州・四国・本州は陸続きで容易に歩いて移動することが出来た。
★さて、次回は『縄文人の始まり』について述べます。