庭のシャクナゲ

時をためれば。

「髙島さん」

と声をかけてくれたのは、4年前に一緒に特別支援学校の体育館で踊ってくれた男子生徒でした。

東日本大震災の時に事実上の職場を失い、途方に暮れていた時に、舞台仲間から声がかかり、ふたたび舞台の振付に携わることになりました。所属していた劇団の振付を手掛け、引き続き、岐阜ろう劇団いぶきの30周年記念ミュージカルの振付とダンス指導を担当しました。(1985年に聴覚障がい者の全国大会で振付とダンス指導をした経緯があります)

その時に立ち上げたのが、福島の子供たちを励まそうと、ろう者10名含む老若男女50名が踊るフラッシュモブ「愛Wishプロジェクト」でした。

フラッシュモブ終了後、ろう劇団の手話を交えたミュージカルの練習中、なぜか、この障がい者と共に踊るということを、ずっとやっていこうと思いました。

いろいろとご縁を頂き、聾学校の授業の一環として生徒たちのダンス発表に関わったり、チャリティイベントで踊ったりしているうちに、飛騨小坂の廃校になった体育館でワンマンライブをやることになりました。

福島のチャリティイベントでもあったこの日、声楽家や和太鼓奏者も集まってくれて、地元の方々の大きな協力のもと、ダンスイベントを開催しました。

その同じ年の11月に特別支援学校の体育館で、大学のダンスサークル、声楽家、和太鼓奏者、特別支援学校の生徒さん含む100名以上が参加するダンスイベントを開催しました。

ここまでの「愛Wishプロジェクト」の活動は、まったくのボランティアです。

練習会場も4~5か所、特別支援学校の授業や、ろう者や大学の生徒にあわせて、車を走らせ、時間を調整し、各会場のレッスンに挑みます。

ストレスも相当あり、本番前には、ぎっくり腰になったり、体中からじんましんが出たりしました。

特別支援学校の授業で無料レッスンを重ねて、生徒たちの舞台を創っているつもりなのに、本番会場として使う特別支援学校の体育館に使用料が発生すると聞いた時には、驚愕しました。岐阜県教育委員会の後援名義使用許可を頂戴したことにより、体育館使用料は払わなくてよくなりましたが、体育館の暖房費を徴収されました。

音楽評論家の湯川れい子さんが、このころから応援してくださっていて、翌年のダンスイベントに参加頂くお話がありました。毎年のダンスイベントの周知にもご協力をいただいていますが、音楽家や作曲家たちの謝礼も含めて、わずかな謝礼も福島への寄付にしますと伝えたところ、それをやってはいけないと連絡が来ました。

「どんないいことも、犠牲が続くことは続かない」

と。

実は、肉体的にも精神的にもいっぱいで、この翌年のダンスイベントを終えたら、もうやめてしまおうと考えていた時でもありました。

ところが、この特別支援学校でのダンスイベントには、岐阜県教育文化財団の障がい者アドバイザーの方が観に来てくださり、翌年からスタートした「障がい者参加の文化活動」助成金の対象とみなされ、翌年より毎年、助成金を頂けるようになりました。

特別支援学校の校長でもあったアドバイザーが、それ以降のダンスイベントで、毎年新しい特別支援学校とのご縁をつないでくださり、様々な特別支援学校の子供たちと一緒に舞台に立つことが出来ています。

また、それまでの活動を評価されて、岐阜市の会館が照明機材、暖房費等含め、費用免除の条件で公演可能となり、初の本格的劇場での発表が出来ました。

翌年の岐阜公演でも、小劇場の使用料免除で公演となり、この年は、地元出身のプロのジャズミュージシャンと地元のJAZZ楽団とのコラボレートが実現しました。

その翌年には、愛知県障害福祉課主催のイベントに招待されました。岐阜県出身の義足のダンサー大前光市さんも参加となり、ジャズコンボの生演奏で名古屋公演、岐阜公演を開催しました。

この年、愛知県障害福祉課からご紹介頂いた福祉施設の方々とは、公演後も毎月ダンスレッスンを実施、翌年の舞台もご一緒いただいています。今年もすでに舞台に向かって練習がスタートしています。

昨年は、絵本「ぞうれっしゃがやってきた」の原作者:小出隆司先生の許可を頂き、第二次世界大戦後、唯一生き残った二頭のゾウのお話をダンスイベントにしました。名古屋市文化振興事業団共催となり、ご協力いただきました。

この年も、大前光市さん参加、ジャズミュージシャンも作曲から関わってくださり、コーラス曲も入って、名古屋公演、岐阜公演と総勢170名が舞台で踊り歌もうたいました。

今年は、義足のダンサー大前光市さんの出身地でもある下呂市での開催です。何とか下呂市の協力のもと実現できないものかと、市の社会福祉課長に連絡したところ、

「あんないいことが一回で終わるなんて、もったいないと思っていた」

なんと課長は4年前の特別支援学校でのダンスイベントを見てくださっていた、冒頭の男子生徒のお父様でした。

随分、できすぎた話に驚いています。

今年は、下呂市の他に下呂市社会福祉協議会も大きく関わってくださり、プレイベントの開催、ダンスイベントの時には様々な福祉関係者のブースも作って、地産地消のお祭りのようなイベントにしようとしています。

名古屋市文化振興事業団も協力的で、今年も共催となり、名古屋でのダンスイベントの前に、小劇場を利用したプレイベントも開催予定です。

昨年も、練習会場だけで、愛知県名古屋市、小牧市、岐阜県岐阜市、各務原市、関市と5か所でした。そこに集まってくる子供たちは、東海四県にわたります。

やはり本番前には、じんましんが出ました。

4年前、特別支援学校で踊った彼は今21歳。地元の旅館で働いています。土日がいそがしいようですが、

「また一緒に踊りたい」

と胸から絞り出すような声で訴えて、そのまま走って行ってしまいました。
あっけにとられて部屋に戻り、扉を閉めると、急に胸が熱くなって泣けてきました。

お父さんに連絡し、何とか創意工夫して一緒に舞台に立つ可能性を探りましょうとメールをすると、すぐにお返事が。

「仕事柄、土日も勤務のため練習参加も難しいかも知れませんが、何かにチェレンジさせたい気持ちが大いにあります。休日希望が叶うよう、日々の仕事に頑張るようサポートします!」

何とか共に舞台に立てるよう精進します。

障がい者のイベントとなると、見向きもされないことのほうが多いけれど、道端で踊っているときから、たくさんの方々が力を寄せてくださいました。場所の提供、資金の提供、出演者は日々の稽古、舞台衣装制作や照明美術、周知の協力、チケット販売、子どもの送迎、作曲や編曲等々。

今年は、今までにはない自治体の協力があります。

これは、これまで関わってくださった1000名を超える同志の皆さんが「時をためて」くださった「道」なのだと思います。

毎年、損得を超えて、ひとつになれる躍動が生まれます。
それはとられない財産だと思います。

これからもよってたかって「時をためれば」次の景色が見えて来るかもしれません。

だけど今年もまた、じんましんが出ると思います。きっと。

2019年2月17日 #自己紹介


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