『空の青さを知る蛙の話』
『空の青さを知る蛙の話』
今日は、心も体も落ち着いて過ごせそう。
土曜日も何かあるのですが。
2007年の私のブログからです。
『09/20/2007 20:00:00
TITLE: 空の青さを知る蛙の話
私どもは昔から世間知らずの事を比喩して「井の中(内)の蛙大海を知らず」等と言ってました。
そうです、
蛙にとっては知るわけもありませんしそれは不可能な事ですし、蛙自身想像も出来ないことでしょう。
「井の中(内)の蛙大海を知らず」は、中国の古典「荘子 秋水」の一節から日本の諺となったといわれてますが、
私どもは所謂世間知らずの人間を指して井の中の蛙と教えられてきましたが、実は本来の荘子における意味は、
「見識の狭い者に大きな事を聞かせてもわからない」という事のようです。
昨日もある方の講演会へ出かけてきましたがおっしゃるんです、「井の中(内)の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」と。
半月前のある著名な方の講演の中でも全く同じような言葉が出てきました。
どうも本来の「井の中(内)の蛙大海を知らず」の後ろに後世の方が勝手に付け加えて、
如何にも最初からそんな故事があるように表現されているようです。
中には
「されど天の広さを知る」
「されど天の高きを知る」
「されど地の深さを知る」
・
・
・
と続ける方もおられるようです。
日本人の思慮深さでしょうか、或いは優しさ、特有の感性や表現力でしょうか。
井の中の蛙を哀れむ気持ち、弁護をする配慮、そんなことはないとする哀れみの現れでしょうかね。
確かに井戸の中の蛙は限られた範囲の水の冷たさや深さは理解できているのでしょうが、
それ以上のことは知る由がないと判断しがちです。
処が、「そうではありません、空の青さだって、天の広さ、天の高き事、地の深い事だって知っているんだよ」と諭したり、
なだめたりしてるんです。
「一寸の虫にも5分の魂」と似ているのかもしれませんね。
人間はどんな人だって何処かに素晴らしいところがある、いいところが存在するんだと言いたいところでしょうか。』
西日本ビジネス印刷株式会社
代表取締役会長 園田 慶一