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『罪を憎んで人を憎まず?』
『罪を憎んで人を憎まず?』
秋のお彼岸に入っています。
少しでもお彼岸行事に触れられるといいですね。
2007年の私のブログからです。
『12/08/2007 20:00:00
TITLE: 罪を憎んで人を憎まず?
事件事故や殺人事件の多い世の中になりました。
情報の伝わり方が昔と違って世界中のどんな片隅のことでも、日本の何処の事であっても時間差なく、
深く、しかも丁寧な解説までついて伝わってきます。
聞きたくなければ耳を塞げばいいのですが。
今の時代、情報やニュースに疎い人間は爪弾きされ話の輪に飛び込むことさえも出来ないものです。
犯罪も低年齢化の傾向は止まらず、しかも尊属的な殺人事件が多いのはどうにかならないものでしょうか。
本来、最も信頼で結ばれ掛け替えのないものとして存在していた親子であるはずが今は時として恐ろしい関係にまでなろうとしています。
昔から「可愛さ余って憎さ百倍」とかは言われますが、
恋愛時代の事などを思い浮かべればなるほどとうなずけるものです。
でも殺すまで行ってもらうと困りますよね。
昔はそこまでは行かなかったんですが。
そうです、昔は「罪を憎んで人を憎まず」とも言ったんです。
人はそれなりに理由や背景があって殺人を犯すのであって、その理由や背景をこそ除くべき、憎むべきであって本人を憎んではいけない、
いつか又まともな人間になるものだ・・・そんな意味ですが世の中が変ったのか、そんな流暢な事では済まされない時代になってしまいました。
或いは被害者、被害者の家族にまで思いが至らなかったのでしょうか。
でも罪の深さ・重さや報いる事、償う事の大切さを忘れてはいけませんよね。
「菜根譚」の中にもこんな言葉がありました。
『世を蓋(おお)うの功労も、一個の矜(きょう)の字に当たり得ず、
天に弥(わた)るの罪過も、一個の悔の字に当たり得ず』
「天下に鳴り響くほどの功績を立てても、それを鼻にかければ何の値打ちもなくなってしまう。
天の神の怒りを買うほどの罪を犯しても、心からそれを反省すれば、罪は残らず消え去ってしまう。」
私の今の心境としては賛成する事は出来ません、だって心からの反省なんて誰もわかりませんし、猿だって反省は出来ると言います。』
西日本ビジネス印刷株式会社
代表取締役会長 園田 慶一