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『「無上意」という心のあり方』

『「無上意」という心のあり方』

短い旅行から帰り、落ち着きました。

全ての行程を車移動するとつい欲張りますね。

2007年の私のブログからです。

『09/05/2007 20:00:00

TITLE: 「無上意」という心のあり方

昨日はあるセミナーに出席し、講演を拝聴してきました。

参加者は商店主、或いは経営者、従業員の方々でしょうか。

主催者の方々を存じ上げているものですから「参加されて見ませんか」の声に釣られての事でしたが大変参考になりました。

多くのことを学んできましたが中でも強烈に脳裏に焼きついたのが「無上意」という言葉。

講師の方は言葉の意味は教えていただきましたが由来や謂れはおっしゃいませんでしたのでネット上から学ばせていただきました。

仏教の勉強もしていない、見識もない私が詳しく解説する力など持ち合わせてはいませんが

「これ以上はないであろうと思われるほどの思いやりの心」

と私は理解を致しました。或いは間違っているのかもしれません。

その思いやりの心もさり気ない所が素晴らしいようです。

これ見よの思いやりなんか興ざめしてしまいますし下心を感じたりもするものです。

「これ以上はないであろうと思われるほどの思いやりの心」

中々、難しいことですが、やはり相手が必要な事と、それを発揮する場や時間も必要でしょうね。

それを感じてくれる人や相手、発揮する場所もないといけませんよね、

そして発揮する時間。

やはり、教えていただく事って有難いし素晴らしい事ですね。

多分、何処かで聞いたことかもしれませんが改めて耳にすると、

人間終生、精進する事の大切さや私をこの場に導いてくれた友人の存在に今更ながら感謝したいと思います。

三帰依文(さんきえもん)という経文の中に出てくる言葉のようです。

じきえぶ   とうがんしゅじょう たいげだいどう  ほつむじょうい

自帰依佛 當願衆生 體解大道 発無上意

じきえほう  とうがんしゅじょう じんにゅうきょうぞう  ちえにょかい

自帰依法 當願衆生  深入経蔵 智慧如海

じきえそう  とうがんしゅじょう   とうりだいしゅう  いっさいむげ

自帰依僧 當願衆生  統理大衆 一切無礙

『自ら佛に帰依し奉る。

まさに願わくば、衆生と共に、大道を體解して、無上意を起こさん。

自ら法に帰依し奉る。

まさに願わくば、衆生と共に、深く経蔵に入りて、智慧・海のごとくならん。

自ら僧に帰依し奉る。

まさに願わくば、衆生と共に、大衆を統理して、一切無礙ならん。』

西日本ビジネス印刷株式会社

代表取締役会長 園田 慶一

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