『人間の生涯は、未完成なエピソードの続き』
『人間の生涯は、未完成なエピソードの続き』
馬齢を重ねると、見えなかったものが見えてきます。
感じなかったものが、感じたり、聞こえたりも。
2008年の私のブログからです。
『02/19/2008 20:00:00
TITLE: 人間の生涯は、未完成なエピソードの続き
表現が素晴らしいですね。
ストーリーでもないし、エッセイでもないし。
やはりエピソードでないといけなかったんですね。
『我々の願い通りになることなんて、そうそうあることじゃないんだよ。
たいていの人間の生涯は、未完成なエピソードの続きじゃないか? Tカポーティ』
エピソードには、悲しみやクスクス笑い、嘆き、そんなものを感じさせてくれます。
意味合いは「挿話」とか、文章や物語、演劇の幕間などに挟みこむ短い、小さな話のことですよね。
人間には確実な生き方やストーリーなんて存在しません。
夫々が生きた結果であり、大よその想像や当てにならない不確かな予想でしかありません。
自分が書いたように生きられるなんてありえないことですし、
例えそんな人生だとしたら面白くも楽しくもないものです。
退屈極まりない、結局は努力も競争もしない怠惰な、堕落した世界でしかないように思えます。
予想もせず、唐突に、突然に襲い掛かってくる人生の荒波や幸せ。
それが為に血の滲むような努力や精進を重ねたりもするものです。
エピソードだから、実は悩んだり苦しんだり、迷い込んだ幸せに小躍りしたり、
この次のエピソードに密かな期待を込めたりもします。
予想された、あるいは筋書きに沿った人生なんて面白くもなさそうですし、それは人生と呼ばないのかもしれません。
生涯の「涯がい」は、崖と流れる水の境目の事。
つまり、左にはそびえる崖、対する右には人をも飲み込む水の流れ。
人の生涯はつまり予期せぬ、思わずのエピソードやアクシデントの連続を言っています。
どっちに転んでも大変ですが、
経験や知恵、生き抜く力がバランスを取ってくれるのでしょうか。
人生そのものが何時まで立っても、何処まで行っても未完成。
明日はどんなエピソードが待ち構えているのか、楽しみでもあります。』
西日本ビジネス印刷株式会社
代表取締役会長 園田 慶一
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