遠ざかる日々

 かつ、と窓を叩く音がしたかと思えば、酔いどれの私が硝子机にグラスを置いた音だった。甘い日本酒の香りが夜を華やがせて、久方ぶりの夜更かしに懐かしささえ覚えながら一月一日は今終わった。新しい年と聞いても、何の感慨もないのは、この年の瀬にもかかわらず、朝夕、私の日々はまったく血の気のない労働の色しかなかったからであろう。一年前のことを思い出しても、この季節はいつだって自堕落に溺れて、殊に正月の朝などといえば、賑やかなテレビの声に包まれながらリビングで母親と酒を呑んだくれていたのが慣習であったから、こんなにあくせくした年越しなど私の人生においてはまるで初めてのことであったのだ。
 ああ、夜が更ける。それを実感したのさえいつぶりだろう。私は夜に生きられない体になってしまった。月の出ているうちに家を出て、夜風に吹かれながら帰ってくる毎日が、私をみじめな労働者にしてしまったからだ。たまの休日に机の上に原稿用紙を置いてみても、気の利いた都々逸のひとつさえ浮かんで来なくて、それにこのごろあらゆる意欲がすべて食欲にのまれてしまっているから、でろでろに蜂蜜かけたパンを齧りながらぼんやりテレビを眺めていたら、いつのまにか原稿用紙には金色の唾が垂れて、升目さえぼやけてしまう有様だ。
 書きながらにして何を書いているのか判らない文章というのもこの世にはあるのだろう。これがまさにそうだ。久々に酔っ払ってみたら私は、何も考えずに何かを書き始めちゃって、書きながらもやはり考えていなくって、あるいは書いたあとでようやく少し考える時間を持つといったような、破綻したやり方で文量を水増ししているにちがいないのだから、都会人を気取ったやつはずるいものだ。この日本酒がなくなっちまったら夜も終わりだろう。だからそれまでにね、それまでに書き残しておこうと思ったのさ。恥はどこかに置いてくるのがいちばんだからね。

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