ひとりぼっちのわたしに
それは私にひとりの友達もいなかった時代のこと。長い隊列の中で、孤独を悟られないように付かず離れずしながら、土手を進み、川を越え、街外れの広い公園にたどり着いた。その日は遠足だった。
笛が鳴るとみんな散り散りになった。私は公園の隅にある高い木にもたれ、弁当を広げた。走り回ったり、ボールを投げ合ったり、誰もが浮き立っている風景を眺めながら、箸を動かす。
「弁当を食べ終わったら、どうしよう……。」
一口食べるたびに、喉の奥に不安がこみ上げてきて、うまく飲み込めなくなる。右腕の時計を確認するが、針は一向に進まない。
やがて私は空になった弁当箱を丁寧に仕舞いながら、カバンの奥に読みかけの文庫本があることに気がついた。取り出して、開いたけれど、視線がすべって、上手く読めない。何度も何度も同じ行に戻ってしまう。周りで談笑する同級生たちが、みんな私のことを笑っているように思えた。いや、笑ってくれるならまだいい。もしも私の存在が彼らの幸福なひとときに水を差しているとしたら、いたたまれない。
私は立ち上がり、そっと公園を出た。
細い道路を挟んで、向かいに野球場があった。どうやら誰もいないようだ。緑のネットをくぐって、中に入った。簡単な屋根のついたベンチが、二つ並んでいる。私はそこへ腰を下ろした。
喧騒がずっと遠く聞こえる。ここなら誰にも見つからないだろう。久しぶりに顔を上げると、空は嘘みたいに青かった。誰もいないグラウンドは、太陽を真っ白に照りかえしている。さっきまで悩んでいたことが馬鹿みたいだった。そうだ、私は孤独が嫌いなのではない、孤独であることを許さない世間の目が嫌いなだけなのだ。ここにいれば、ぼんやりと雲の動きを眺めていても、誰にも咎められることはない。
どれくらいそうしていただろう。ふと、人の気配がした。誰かが顔を覗かせている。近づいてくる学生服に、近視の私は目を細めた。
「お、何してんの。」
出席番号がひとつ前のクラスメイトMだった。彼は数少ない、言葉を交わしたことのあるクラスメイトのひとりだ。もっともそれは、出席番号が前後であるがゆえの、事務的な連絡でしかなかったが。
「空、見てた。」
Mはそれ以上何も聞かず、隣のベンチに腰掛けた。
それから私たちは、沈黙のまま二人して空を眺めていたような気もするし、もしかしたら一言二言くらいは何か喋ったかもしれない。いずれにしても、大した話をしていないことには変わりない。
やがて遠くで笛の音が聞こえた。バタバタと走り出すたくさんの足音が響いてくる。集合時間が来たのだ。
「もう、こんな時間か。」
私たちは、どちらからともなく呟きあって、野球場を後にした。途中、どういう流れだったか、彼が私の手元にあった文庫本のことを尋ねてきて、舞い上がった私は、半ば強引にその本を彼に貸し付けた。後で思えば、ひどく暗い物語だったが。
学校へのもどり道、また隊列に紛れながら、孤独を悟られないように歩いた。相変わらず話す相手はなかったけれど、行き道よりなぜだか軽い気持ちだった。
ふと、顔を上げると、Mが少し先を歩いていた。よく見ると、彼も隊列の中にいるように見えながら、特定の仲間を持たず、群衆を装っているに過ぎなかった。
ひとりぼっちは、私だけではない。彼の小さな背中が頼もしかった。相変わらず私の孤独は晴れなかったけど、孤独のせいで曇っていた心は晴れ渡っていた。
学校を卒業して数年後、Mと再会する機会があった。賑やかな居酒屋。カウンター席に並んで座るなり、彼はカバンから何かを取り出した。それは、かつて私が無理矢理貸し付けた文庫本だった。
「ありがとう。面白かったよ。」
そして、私たちは乾杯した。
あの日、孤独なんかに負けなくて、よかった。
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