越年
風鈴が鳴った。ような気がしたのは追憶か。風の匂いは今も幽かに首筋に残っている。陽射しはまだ 懐かしさの中へ形を落してはいない。きっと彼はすぐ傍の、ほんの三つ四つ先の曲がり角辺りで背中の 汗染みの乾く頃合いで、ただ私が無理に彼を追いかけようとしないだけの話なのだ。彼はまた来る。必ず来る。遠い話でもない。私の感受性の死滅が進むにつれ、この日の再訪までの期間は早まっているから、今年の逢瀬に関しては、私は彼と明確な別れすら行っていないように思える。
今年の彼の装いを、一言で表すのに思案の必要もない。「旅」である。旅らしい旅をしたのは数年ぶりのことであった。緩やかな激動のはじまりかもしれなかった。私はきっとこの一年を忘れることはな いだろう。記録としてそのことは明らかなのであるが、いかんせん実感というものに欠ける部分がある。それは私がまだ旅の最中にいるような気がしているからだろうか。彼が我が家の戸を叩いてから、 私はずっと旅から帰還していないのだ。そうしてこれからもその旅は永遠に続いてゆくようだ。私は故郷をひとつなくしてひとつ得た。そうしてひとつ取り戻して、足元には枯葉が増えた。
朝も夜も、雨も晴れも、暗闇も陽だまりも、埃をかぶった私の器官が一斉に息を吹き返したようにはみ出した絵具で塗られた。丘には懐かしい縦笛の音がした。温かさの構築は極めて安易なもの。七人乗 りの箱が林道を抜けて、窓越しの水玉がセーターへ模様をつくる少女の、乱れた柔き髪と晒した白い首 元と、揃えられた指先、イヤホンのコード。耳の中で鳴り出した歌は私の好きな古くさい二文字の言葉。ヒロイン。少女はもうそれと呼べそうになかった。恋とも友情とも的を射ない、ただ遥か慈しむべき存在に発育したのは云うまでもない。そうしてヒロインという名詞の最も似合うコートを着たひとは、外した白いマフラーを私の頭に巻きながら、すっかり愛の音階をした吐息によって、冬の空に淡い 彩色を施した。私はやっぱり旅の中にいた。
ぽうっと、つめたい校舎の中に、不意に響く鐘の音、ではないらしかった。風鈴、も、それとちがっ た。ハイヒールは遠い夜の調べ。今、流れる川のほとりでロシアのコートを羽織った父親が、最後の紙巻をふかしながら、ただ凍えるばかりの私と同じ色の息を吐いて、星の数をかぞえるのだった。私は夢のがらくたをひっくり返してくれたヒロインの名を浮かべながら、明日のあかるさを願うのだ。
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