バーカウンターは僅か三席

 長い夢を見ていた……。愛する言葉たちが頭上で宙返りをしてゆく……。
 白昼の校庭で、つめたく閉ざされた校舎を前にひとり駆け抜けた。プールの青い艶めきが頬に飛沫を寄越した。時計塔でぴいろろ鳴いた、鳶の翼に載って連れ去られてしまいたかったあの頃。物憂く窓越しに空を見て、机の傷に歴史を見て。かつかつと耳の傍を過ぎて行ったのは、黒板に向かってひたすら唾を吐く教師の右手の白いチョーク。そうしてそれが想い出に変わり、土曜のBARのハイヒールに変わった。
 ねえ今夜空いてますか? 私もひとりなのよ。ネオン透かした黒いドレスは儚き夜の蜉蝣。私はハイネケンの瓶を持ち、彼女は紫のルージュを引き直した。そこらじゅうに並べられた酒瓶の色彩が、まるで工場夜景のよう。光の中に見つけたのは、希望ではなく或るたった一日の夏の午後だった。
 灼熱にアイスクリーム、自分自身が溶けて消えてしまいそうだった。今にも身体中陽射しにやぶれてしまいそうだった。外は冒険、クーラーの効いた部屋にいることは、私達には考えられない夏の浪費だった。宿題もせずに、お手伝いもせずに、大好きなあの子と海にも行かずに、私達は軒下で寝そべった。雲がゆっくり流れていった。爪先に陽があたった。肘先を伝ってのぼってくるのは小さな小さな蟻だった。振り払って、飛び起きたら、石段に汗の染みが出来ていた。
 サイダーでも飲めたら涼しいだろう。思ったが私には、ぬるい水道水が似合い。たまにあいつの家に行ったとき、あんまり涼しくて後ろめたくなったのを憶えている。あいつの家はめちゃくちゃだった。私にはそれが羨ましかった。家族なんて、家族なんて、生まれて三日目の水溜りのように、誰もぬるくてうんざりしちゃう。なんて、思春期のやつが私に拡声器を持たせて喋らせたんだ。本当だってば。今にして、何もかもが失われない保証なんてなかったことを思い出した。いや、今、初めて知ったのかもしれない。戻れない昨日は、ひょっとして今日でもあるのかも知れない、なんて思いながら。

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