乾いた水槽の中で

 ドア越しに衣擦れの音がする。夜はまだまだこれかららしい。飲みかけのウイスキーを一気に飲み干して、チボリのラジオをひねる。耳馴染みのジャズが流れる。愛とか恋とか、決して世間で取り沙汰されるような大したものじゃないはずなんだ。ただ誰もひとりでいるのが怖いだけの話なのだ。寒い冬にストーブがなけりゃ心細いだろう、それと同じことだ。結局運命なんて言葉を下敷きにしなくても、ぬくもりはそこら中で調達できる。それを是とするかどうかは良心の有無でなく、ロマンスを信じるかどうかに依る。
 いつかまだ少年だったころ、なにもかもに嫉妬していたころがあった。それこそ青春と呼ばれる道の真ん中を歩きながら、自分にだけその光があたらないことを憂いて、知人、友人、そのほか町中の誰も彼もに嫉妬して、とても生き通せそうにない季節があった。今となってはあの情念の沸騰は若さゆえのものだと笑い飛ばすことができるけれど、あの頃の私は本気だった。そして本気だったという事実だけはどうしても消すことができない。
 まだ若い少女と恋に落ちた友人がいる。彼は色男だ。数々の女をその腕に抱いてきた。彼は私に少なからぬ信頼を寄せている。そのことに悪い気はしなかった。だけど同時に私は彼にいつまでも嫉妬心を抱いていた。それは今の私じゃない、あの頃の私の名残が嫉妬心を燃やしてならないのだ。今の私などとうにあきらめを知った青春跡地のしがない清掃人。だがあの頃の私が、孤独だった私が、友人のような人間を笑って許すことなどできないと叫んでいるのだ。私は今の友人でなく、過去の自分を尊重しようと思った。さよなら、なんてそんなことは言わないけれど、少しだけきざな顔つきで、彼女、美人だね、なんてウインクして、友人が少しばかり不安になったところで、乾杯だ。季節外れのモヒートがすっと胸に落ちる。なんて、嘘、嘘。私はいつまでもなにかに嫉妬しながら、今日もひとり酒、そんなものさ、人生なんて。

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