第五病棟
病室の窓からはビルと少しの空が見えた。右腕に点滴をつないだまま、私はそっと横たわって窓の外を眺めた。朝がいちばんまぶしくて、夕方にはまだ空が青いのに、なんだかもう夜の気配が感じられることに気づいた。日々の中で私はもう空を見上げる時間など失ってしまっていたのだろう。高校生の頃、帰り路の私は、農道を走りながら、ふと自転車を停めて、遠く西の空の夕焼けが迫ってくるのに見とれていた。やがて空は薄紫色に変わり、夜を色濃くする。ひとりぼっちだったけれど、美しかった季節。今になって私は、上手に生きるということは、なんてつまらないことなんだろうと思う。私はどこかで生きることを辞めたいと望んでいたのかもしれない。いいや、辞めることは叶わずとも、せめて、この毎日の延長線上から、はみ出したいと。
病棟の風景は淡い色彩だった。白い壁に薄桃のカーテン、黄緑の床に水色の病衣。白衣もまた清らかだった。私が気に入りの詩集を読んで寝転んでいると、カーテン越しに、失礼します、と、ほとんど云い終わらぬうちに彼女らは現れて、横たえた病人の虚弱な腕をゴムで縛り、それから、浮き出した血管のめぼしいのに針を突き刺す。そのときになって私はようやく自分が入院患者であることを思い出すのだ。それくらい、そこでの生活はシンプルで心地よかった。決して旅ほどのめまぐるしさはなかったけれど、私には新鮮なことだらけで、思い返せば修学旅行の時のような浮遊感に包まれていた。自分が自分でないような、どこか遠くにいるような、それでいて懐かしいような……。
「痛くないですか?」自分だけに問いかけられる言葉は、どうしてこんなにあたたかいのだろうか。病院という場所の、弱さと痛々しさと優しさの飽和した空気が、私には安らかでならなかった。日毎に変わる担当の看護師の、その誰もが優しくて、職業だとは判っていても、任務だとは判っていても、私は真心というものの真髄に触れたような気がしてしまった。夜は驚くほど良く眠れた。嫌な夢も見なかった。ただ眠っているだけでも悉く恢復に向かっているように思えた。
病床から見上げる天井は真っ白だった。白衣とどっちが白いかと問われると、言葉をなくしてしまうけれど。そこにいるあいだ、私は眼鏡をかけずに過ごした。正直、物事の輪廓はみなぼやけていた。看護師さんの顔も、間近で覗き込まれたときに、ようやく眼の形があきらかになるくらいで、遠目には、誰が誰だか判別つかなかった。四六時中耳をすませていた。あの声はあの人、あの声はあの人だ、と。そうしていると人々の生活は細部まで見えてくるようだった。茶を淹れる音、本のページをめくる音、杖をつく音、シーツを被り直す音……。私は久しぶりに生きているという実感を得た。これまで私は得体の知れない何かを持て余していたのかもしれない。それは煌びやかだったり流動的だったり都会的だったりしたが、そんなものの中で人は生きてなどゆけないのだと悟った。人は狭い部屋の中で、乾いたパンを囓る時だけ、真に生きていると云えるのだ。それは私の経験でも憶測でもなく、単なる願望である。切なる願望である。
——日常に帰りたいなどと、一度も思えなかった。ただの一度もである。私の毎日が、朝が、昼が、夜が、どんなに汚れてボロボロで、無味乾燥なものだったか、改めて思い知らされた。隣のベッドには、読書家の老人が眠っていた。積み上げられた本の山に囲まれて、少し偏屈そうな寝息を立てながら眠っていた。どんなに忙しい人も、偉い人も、ここでは穏やかな顔をしていた。息の詰まる瞬間など、注射のときの一瞬くらいなのだから。私の名を呼び、腕に触れる、その人の細い指は、白くて、やわらかくて、そんなにあたたかくもなく、ただただ清潔に思えた。性的ではなかった。恋でもなかった。それが良かった。あらゆるしがらみがここでは通用しなかった。生きて来て慾望の靴音を聞かぬ日などこれまでになかったのだから。浮ぶ雲の行き先も、開いた文庫本の活字も、隣室の笑い声も、iPhoneの着信音も、何も私を縛らなかった。私は自由で、ただただ自由だった。規則的な自由。模範的な自由。私の信じて来た健康とは一体なんだったのだろう。曇りガラスに囲まれた世界の中から、過去と未来とを見つめなおして、私は様々なことを考えた。そうして考えない自由もあった。ふっと楽になった。
まだ少し自堕落の寝間着を脱ぎ捨てられていない私は、陽がのぼってようやく眼を醒ます。卓上にはもう湯気の上がる日本茶が注がれている。それから洗面所でうがいをし、茶をすすり、読みかけの詩集に手を伸ばす。そうしていると朝食の時限を告げる放送が流れる。声の主は日替わりで、高いのや低いのや、たどたどしいの、喋り慣れてるのなど、多様だった。後になると声の主を想像するのも一興だった。やがてお盆に並べられた朝食が運ばれて来る。粥と、それから、ほぐしたおかず、味噌汁に、果物。私は先割れのスプーンでそれを少しずつ掬っては、口へ運び、ほとんど噛まずに飲み込んだ。カーテン越しに隣人がからんと箸を置く音が聞えても、私は半分ほどしか食べ進めることが出来ていず、食器回収の係の人は、いつも私のところへ二度訪れた。食べることと生きることが、こんなに単純に繋がっているなんて、今の今まで私は忘れていたのだ。愚かな話だ。腹ペコなんて表現を、もう小学生のとき以来使っていないことを思い出す。幾らでも、好きなものを買って食べられる時代の上で、私は何か大きな忘れ物をしてしまったのではないだろうか。
消灯の時刻には見回りの看護師が、患者ひとりひとりに、おやすみなさい、と云って回った。同じ病室の入口付近の患者が体調を尋ねられて、次にその向い、その斜向いと、四人部屋で、私はいちばん最後であることが多かった。ああ、次は私だ、などと、何か特別あるわけでもないのに、妙にどきどきして、靴音に気を取られた。順番待ちとは、何に於いても人を緊張させるものなのだ。夜、それにしては健全だった。私は当分あのネオンサインの中には戻れない。グラスを傾けて奇麗な音色も立てられない。「乾杯」という愛すべき挨拶にさえ、惜別である。夜はただ暗いばかりのものではなかった。それを誤摩化すために無闇に明るくして賑やかすためのものでもなかった。寝かしつけてくれる人のいる幸福よ。
退院の日、私は浮かなかった。最後の検温、最後の点滴。「今日も朝と夜に点滴しますから、針は残しときます?」何も知らない看護師が問う。
「あの、今日で退院なんです……。」私は泣き出したかった。まだここにいてもいいと云ってくれているように聞こえたのだ。担当医の判断がうらめしかった。病氣なんて不親切だと思った。永遠なんてものがこの世にないのは私がよく知っていることだけれど。
それから幾つか書類を書かされた。「お昼食べて帰りますか?」その日の担当は、既に顔馴染みの若い看護師だった。私とさして年齢も変わらないだろう。浅黒い肌が健康的で、その割喋り方がやわらかくて好印象な人だった。決して甘ったるい少女のそれではない、むしろ母性さえ感じさせるような、包容力のある喋り方で病人の心を解きほぐした。最後に針を抜いたのが、彼女だった。抜くときは一瞬だった。ガーゼを貼って、それでおしまい。
荷物をまとめて、シーツを整え、寝間着を軽く畳んでから、ナースコールを押した。最後に部屋に来たのも、また先ほどの彼女だった。
「では、これで退院ですね。」
「お世話になりました。」
病室を出ると、もう別の患者が彼女を呼び止めて、慌てて廊下を戻って行く。後ろ姿は、少し遠ざかったところでもう、ぼやけた私の視界の中で、真っ白な風景に混ざり合って、見失った。
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