お勉強の話

小学生の頃、私と友人ともうひとりクラスメイトの女の子でテストの点数競い合ってたんだけど、その時は僅差で勝ったり負けたりって感じだった。中学に入る頃には私立受験を視野に入れる奴も出てきて、中学ではテストの成績が学年で順位付けされるらしいことと、自分より上の奴が数えて十人ほどいることに気がついた。
私は勉強をしなかった。真面目に勉強してる奴なんてクソだと思っていた。それより世の中にはまだ自分の知らない面白いことがたくさんあるらしくて、例えばコロコロコミックから少年サンデーに切り換えたり、パソコンが家に届いたりで、 勉強などに費やす時間は一秒でも無駄に思えた。
初めてのテストで、学年で二十番ちょっとの順位になった。どんなに数えても、顔馴染みの同級生達の中で、どいつが自分より上なのか、二十人も挙げられなかった。分校から来た生徒は十人にも満たなかったし、あとはほとんどが幼稚園から一緒のメンバーなのである。
気楽なもので私たちは、テストの成績を見せ合ったりして笑い合い、おおよそ誰が勉強出来るのかも見当がついてきた。意外にもそれは間の抜けた要領の悪そうなやつだったり、ひょうきん者のやつだったり、私の予想していない顔ぶれで、やつら、爪を隠していたのである。
それにしてもみんな揃いも揃って勉強に狂っていた。中学校に入学すると同時に背中のゼンマイ巻かれたみたいに。始めのうちは少し張り合ってもいた。私は地理以外の教科についてはよい点数を取っていたから、例えばサッカー部のあいつや学級委員のあいつともそれなりに勝負が出来た。ただ私は勉強をしなかった。次のテストでは一番になってやる、と意気込んだこともある。金に目がくらんでのことである。一番になったらお小遣いをくれると、母に耳打ちされたのだ。そうしてテスト期間になると、私は家に帰りご飯を食べお風呂に入って仮眠を取り、朝まで勉強するような生活をしてみて大人になったつもりでいた。だけど漫画がある。パソコンがある。パソコンではアニメも観れる。勉強など進むはずもなかった。私の夜更かしの多くは、非生産的な時間に尽くされたのだ。
学年で一番勉強出来たのは、他でもない、小学生の頃競い合っていたあの女の子だった。もうひとりの友人も私よりは上位にいた。学年の上位五人ほどはいつも固定メンバーで、あとは毎回変動しているみたいだった。私は三十番より下へは外れることなく、その間をうろちょろして過ごした。授業の回数かさむごとに、なんとなくではカバー出来ない知識の溝が生まれ始めて、それでもなお娯楽のみに熱心だった私は、一度だけ届いた一桁の順位にはその後二度と到達することなく、例の女の子との差はどんどん開いていった。仕方なかった。悪いとも思わなかった。みんな騙されてるんだぜ、勉強なんてしても意味ないのに、どうして大人の言うこと聞くんだい、と。数学なんて、社会に出たら何の役にも立たない、なんて学校の勉強すらろくに出来ないやつが口にする台詞ではないことに気がつかずに。
例の女の子は学年トップを保持したまま三年間走り抜いた。友人は私に影響されて娯楽に身を投じたが、なんとか中学生の間は勉強も怠らずに済んだようだ。だが彼も高校に入ってからは貴族趣味のお堅い家庭の、その優雅な方ばかりが表に出て、堕落していった。今はニート同然である。女の子の方は有名大学へと進んだ。医者になるつもりらしい。彼女より頭の切れる人間なんてこの世にいないんじゃないかと思わせるほど圧倒的だった。しかし彼女もまた、一歩外に出てみれば、幾らか劣等感を覚えるほど、世界は広いらしかった。それでも彼女の人生の方に陽のあたっているのは間違いないのだし、私と友人と、そうして較べてみたときに、どこで誤ったのか思い出すのも恐怖するほどである。
あの日教室で肩を並べた三人が、そのほんの少しの自堕落で、そのほんの少しの憂鬱で、こんなに歩む方角違えるとは、誰が思っただろう。彼女が狭いアパートの部屋で毎晩勉強している間、私は娯楽に耽っていた。それが毎日続いた。毎日毎日三百六十五日が三回。そうして今日まで。一方は正へ、一方は負へと、その間を流れる川幅、広くなるばかりだった。
勉強をしていれば良かったなんて言うつもりはないけれど。
あの頃の自分がそれで幸せだったのは事実なのだし。あの頃の自分が可愛く思えるのも事実だ。苦労を後でするか先にするかの違いだ。私の今は、過去の私を瑞々しくするためにあるような気がしてならない。

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