とある男性オタクの不妊治療~出産までの体験記
先月妻が出産をしてから2週間程経ってようやく育児環境に慣れ始めたので、自分・・・というか夫婦で不妊治療を経て子供を出産するまでの事を記しておこうと思います。何かの参考になれば幸いです。
1.不妊治療開始
私達夫婦は結婚した時に30代半ばだったので、出産する場合には高齢出産になることがわかっていました。
なので、妻の希望で一定期間を過ぎても自然妊娠しなければ不妊治療をしようと決めていました。結婚前にお互いに不妊検査をしており、その結果自然妊娠に問題がないと言われていました。しかし、お互いに問題がなくても妊娠しないことは多々あるのです。不妊の原因の半分は原因不明と言われてるそうです。
お互い決めていた期間を過ぎ不妊治療を始めたのが去年の2月頃でした。
最初にしたのが「タイミング療法」というもの。これは、妊娠しやすい時期に性行為のタイミングを合わせる治療法です。そのタイミングでしないと意味がないので、仕事で疲れていようがそういう気分にならなかろうが、無理にでもやらないといけないので私は精力剤やED治療薬を使ったりして頑張りました。男性としては、「必ずやらなきゃ!」というプレッシャーでうまくいかないことがあったのが精神的にて辛いところでした。妻は検査薬を使って陰性になるのを何度も見るのが辛かったと思います。
何か月か続けても結局タイミング療法では妊娠せず、次に「体外受精」に移行しました。
「体外受精」とは、手術で卵子を採取し、体外で精子と受精させたあとに子宮に戻す治療法です。不妊治療のなかでは最も妊娠の可能性が高い方法といわれています。
妻は採取までに卵子の状態を良くする為、自己注射や塗り薬をほぼ毎日行っていました。自己注射は針は細いですが、刺すと当然痛みはあるので痛みに耐えながら注射してる妻の姿を見てると「これだけ頑張ってるんだから結果出てくれ」と祈らずにはいられませんでした。私は採卵の際に精子を滅菌ケースに入れて提供するのですが、ケースにうまく精子を入れるのが難しかったです。ケース小さいし精子は飛び散るしうまく入れれんって・・・。
そんなこんなで5月頃1回目の移植。結果はダメでした・・・。
男性をしては「タイミング療法」と違って手伝うことがほとんどなく何もできない無力感が辛かったです。本人は薬や注射を頑張っても結果が出ないのでもっと辛かったと思います。家事等はいつもやってるで気分転換できるように外食に行ったり趣味等に付き合ってメンタル面をフォローできるようにしました。
その後、妻の体調不良や仕事の関係で移植ができず、2回目の移植をしたのは11月頃でした。結果は成功!二人で抱き合って泣いて喜びました。私は子供ができたのはもちろんですがも妻の努力が報われたことが何よりも嬉しかったです。その後不妊治療クリニックで胎嚢と心拍が確認でき、クリニックは無事卒業することができました。
不妊治療と聞くとやたらお金がかかるイメージがあると思うのですが、実は2022年4月から保険適用になり、以前に比べると負担額は少なくなりました。ただ、39歳以下の人なら移植6回目までは保険適用ですが、それ以降は自己負担になるみたいです。私達夫婦は保険適用内で終えることができたので、治療開始から卒業までに約40万円でした。値段で二の足踏んでる人は、とりあずカウンセリングだけでも行ってみたほうがいいと思います。
2.悪阻(つわり)
クリニックを卒業し妻のお腹に子供が宿りウキウキだったが、これがまだスタートラインだということにしばらくして気づかされることになった。
11月も終わる頃に妻の悪阻(つわり)が始まったのだ。私の考えていた悪阻は突発的に嘔吐してしまい、動ける程度に気持ち悪い状態がしばらく続くというようなものだった。しかし、悪阻には個人差があり、軽い人もいれば重い人もいる。妻は重い部類の悪阻だったのだ。私の考えていた悪阻とは大きく異なり、妻は毎日のように嘔吐し、食事や水分を徐々に摂れなくなってみるみるやつれていった。この状態でさらに仕事に行っていたので心配でたまらなかった。「今日は特に酷そうだから休んだりできないの?」と聞いても「今日は人が足りないから出ないといけない」と言って無理にでも仕事に行っていた。幸い、妻の職場は妊婦に理解があり仕事量を調整してくれたりキツイ時は休ませてくれたりしていた。12月下旬になったころ妻の悪阻は最高潮に達し、食べれる物はスイカだけ。水は砂糖水のように感じるようで飲めなくなっていた。私は真冬でもスイカを売ってる店を探して買って食べさせたりしていた。だが食べれる量は数口。動けずほとんど布団で横になっている。こんな生活を続けていたら妻は脱水と栄養失調で死んでしまう。妻に救急車でも呼ぶか聞いたら「前に産科の検診で酷くなったら入院した方がいいと言われた。明日の検診で聞いて見る。」と言われた。次の日私の外出中に妻から「緊急入院になった」と連絡があった。とても家で過ごせる状態じゃなかったので医師の判断に安堵した。
病名「重症妊娠悪阻」簡単にいうと滅茶苦茶重い悪阻。妻は口から何も摂れない状態になっており、点滴で水分と栄養を補う以外なかった。妻の血管は細く、脱水症状も重なって針を入れるのに看護師さんはかなり苦労したらしい。妻も何度も針は刺されるし栄養の点滴が入ると痛みが伴うらしくかなり痛い思いをしたようだ。入院が決まってから、私は休日や仕事が午前で終わる日等はかかさずお見舞いに行った。基本的にベッドから動けずシャワーを浴びたりできないので、ホットタオルやドライシャンプーを用意して清拭をしたりした。妻は入院経験がなく寂しい思いをしていたので、飼い犬の様子を動画や写真で伝えたり、ノートPCを持って行ってアマプラを見れるようにしたりと妻が落ち込まないように努めた。それでも「この気持ち悪いの本当に治るの?いつ治るの?」と言って先の見えない不安をこぼしていた。半月程して追い打ちをかけるように産科から「血液検査の結果、甲状腺と血小板の数値が悪く無痛分娩は無理です。万が一の時ウチのクリニックで対応できないので転院しましょう。」と言われた。通っていたクリニックは評判がよく、妻は「無痛分娩がいい。絶対ここで産みたい!」と言っていたのでショックが大きかったようだ。しかし自身と子供の命には代えられない。転院を受け入れ大きな病院に転院することとなった。妻の悪阻が始まってこの時体重は10キロも減っていた。結婚してから体重が増えたと言ってたが、もし増えてなかったと思うとゾッとした。
転院してから少しずつ体調が回復していき、10日程経過すると遂に口から水を飲めるようになった。私はその姿を見て目頭が熱くなった。あれだけ大変な思いをしたのを近くで見ていたから、ただ水を飲むだけでこれ程感動したのだ。そこから数日してチャーハンおにぎりまで食べれるようになるまで回復し、退院が決まった。(経口摂取できるようになったら退院と言われてた)笑顔でおにぎりを食べる妻の姿は当分忘れないだろう。転院含め1ヶ月の入院は本当に長かったし本人の辛さも相当な物だったろう。子供を宿す大変さというのを生涯忘れない体験となった。
3.出産
退院後は大きな問題もなく妻も回復していき、子供も順調に育っていった。大きくなったお腹に手や耳を当てて音を感じると「この中で命が育ってるんだ」と実感できた。妻の状態も回復したことで無痛分娩が選択出来るようになり、無痛分娩で出産予定となった。出産予定日ある7月に入った検診で「胎児の推定体重3,600gです。出産予定日前に入院して計画無痛分娩にしましょう。」と言われ「デカ過ぎんだろ・・・」と夫婦揃って言ってました。
出産予定日から4日前に入院。誘発剤で陣痛を促して出産できる状態になったら分娩室へ行って出産という流れだったのだが、誘発剤を打って陣痛が来ても胎児が降りてこないので出産できないという状態が続いた。結局、このまままでは出産できないので緊急帝王切開になることとなった。私は自宅で宅配ピザを注文しいざ食べようという時に「帝王切開になったから今から来て!」と言われすっ飛んで行くこととなった。(帰ってからピザ食べた。)
私は帝王切開と聞いて落ち着かなかった。胎児は安全に出せるかもしれないが母体の腹を切るわけだから出血は酷いだろうし、産後の傷の治りも遅いと聞いていたからだ。手術室に行く前に妻に会った時妻は私とは対照的に余裕そうな表情だった。付いてる看護師さん達も和やかな雰囲気で「大体1時間くらいで戻ってくるんで~」とか言ってたし妻は「んじゃ行ってくんね~」と言っていた。心配だったがこれなら大丈夫かなと落ち着くことができた。
40分後・・・・・・
看護師さんが保育器に入った子を連れて来て「元気な男の子ですよ!」と言った。保育器の中を覗いてみるとギャン泣きしてる赤子がいた。
初めて我が子と対面した時は今までの妻の苦労が報われたとかお腹に入ってたのがこの子なんだとかこの子に俺の血が入ってるんだとか色々考えて胸がいっぱいになった。とにかく無事に生まれてくれて良かったと思った。
数十分後妻がベッド事は運ばれて来て笑顔を見せてくれた。
その後夫婦と我が子で初めての家族写真を撮った。
妻は帝王切開と胎児が大きかったこともあり、子宮内に血が溜まったりなど出血量が多く私が帰った後に輸血処置をしたらしい。この時前の産科の先生がこの病院に転院させてくれたことに非常に感謝した。やはり出産には何があるかわからない。
出産後一週間で妻は退院した。今は夫婦共に育休を取って育児をしてます。
4.終わりに
これまでの経験を経て本当に妊娠、出産って命がけなんだと感じました。
母子共に健康って本当に凄いことです。奇跡です。
最後にこれは助かったというのを紹介したいと思います
・トツキトウカ
妊娠中に非常に助けになったアプリです。週数毎に赤ちゃんや母親がどういう状態かとか書いてあったり、父親や母親に対してのアドバイスが載ってたりします。日記もかけるので出産後に見返してみるのも良いかもしれません
・産後ケア施設
産後に養生できる施設です。ホテルの中にいながら助産師さんがおり、赤ちゃんを預けたり、沐浴、授乳、あやし方を習ったりとかできます。夫婦で行くと一緒にやり方を学んだり夜は預けてしっかり睡眠が取れたりするので赤ちゃんに対して余裕をもって接することができます。
私は夫婦で四泊五日取って行きました。お金はかかりますが、その後の育児に対するスタンスが変わると思うの行った方がいいです!オススメ!
・「POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」
反町隆史の名曲「POISON 〜言いたい事も言えないこんな世の中は〜」のことです。
実はこの曲、育児界隈では赤ちゃんが泣き止むと評判の曲なのです。
実際、うちの子の寝つきが悪い時等にかけておくと良く寝てくれたりします。
効果のない子もいるみたいですが、うちの子含め効く子が多いです。
反町隆史ありがとう・・・これからもお世話になります!