#46 死んだ親父の日記
今日も記事をご覧の皆さん、ご愛読ありがとうございます。
もうすぐ節目の50個目の記事が見えてきました。
少しばかり、記事を作るペースが落ちていましたが、
また頑張って作っていこうと思います。
さて、今回はnoteを続けていく中で思い返したことについて、
記事を作りたいと思います。
僕は2年前に父を亡くしたのですが、死んだ父の遺品がなかなか面白いものがありまして、
父が幼い頃の写真や、結婚式の寄せ書き、趣味のバンド活動に関するものなど、
父の思い出が分かるものにたくさん触れることができて良かったなあと思います。
中でも一番興味深いものは、題名にある通り親父が遺した日記でした。
存命のころはその存在すら知らなかった日記。
亡くなる1ヶ月前まで手書きで記していた日記。
日記は数冊あった。
古いものだと昭和60年代、姉が生まれる頃のものもあった。
1言だけとか、1行のみとか、シンプルに書かれている内容がほとんど。
だけど、30年以上書き続けていたんだな。
自分の親ながらこれは本当にすごいと思います。
小さくてシンプルなものほど、忘れやすく続けることは難しい。
病が進行する中で、死に対する不安や恐怖と戦った記述は残っていない。
ただただ、その日の出来事について、つらつらと書かれていた。
だけど、親父らしい。
一緒に飲みに行った日や、出かけた日のことなど、
本当に大したことない内容しか書いていない。
だけど、それが嬉しい。
小さな幸せを大切にする父親の元で育つことができたことが、僕にとってかけがえのないことだったんだなと思います。
noteを続けていく上で、日常の小さな幸せを分かち合えるような記事を書きたい。
親父の日記のことを思い返しながら、そんなことを思ったのでした。
すごく役に立つ記事を作れるわけではないですが、
これからも自分らしい記事を届けたいと思います。
それではまた。