何をせずとも素晴らしい
アメリカは、レイバーデイの休日。今日は寝過ごすもいいところ、睡眠時間を取りすぎて調子が狂ってしまいました。
次女はいつもどおり朝早く起きていたようで、もう朝からインドな気分だったようです。でも母が起きてこず、、、。
お昼前にやっと近所のインドのグロサリー・レストランにたどり着き、サモサやらチキンビリヤニ、焼き立てのナーンにカレーを2種類ほど注文。ついでにもうすぐなくなりそうなスパイスや、パッケージが綺麗で良い香りのするインセンス、以前から気になっていたちょっとした異国情緒あふれるスナックを調達して帰ってきました。
買ってきたお料理を美味しくいただいて、次女と一緒に
「スパイスってすごいよね」
「スパイスって世界が広がるよね」
なんてヲタクトークを繰り広げ、
食後にチャイを淹れたところなのですが、今朝シャワーの時の洗いっぱなしの髪の毛から私のお気に入りのハーブ系シャンプーの香りと、チャイから漂うカルダモンや他のスパイスで、もう、ふわ~んとなっています。
放心状態のようなまま、香りに心を奪われ夢心地。まさに「うっとりモーメント」とはこのことなのね、と自分が作った言葉なのに頷いている。
あれもこれもやらないと、と思うことは実はたやすいけど、人生は今回限りだとは思っていない私は、魂はずっと存在し続けるのだろうと信じているような私は、目先のことにあまり働きかけられないみたい。
自分がやりたいと心から思ったことは、やる。でも焦燥感に駆られてだとか、不安や恐怖があるからとか、そういった原動が働くのはよほどの時。
どんな時でも、自分の感情と共にありたい。(だからといって「考えるな、感じろ」と結論づけない。私は思考をも感情と同様大切にしているのです。)
生産性とか達成感とかいわゆる素晴らしいとされていることが、時に自分の魂の目的を邪魔することがある。自分の価値と生産性や成し遂げたことというのは、実はあまり関係がないのかもしれない。私たちが私たちであるということは、それだけで素晴らしいことなのであるから。
なんて何もしないことをただひたすらする、素晴らしい休日の午後を過ごしていました。
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