私はもっと無邪気だった
いつでも私はどこか冷静で、言葉や出来事の向こうに何かを感じ、見つける人ではあったけれど、
子どもの時は子どもなりに、今よりももっと無邪気だった。
今の私は経験や環境のたまもの。自分がそう選んだ結果。
そこに無意味な感傷は必要としないけれど、純粋な私の魂に従っているかという問いかけは忘れないようにしよう。
三次元の世の中に存在する「今世の」私は、肉体を持つ生身の人間なので、時に魂の声を忘れてしまう。「今世の」私だからこそ、今の私なのだし、プロセス一つ一つを取り出して検証するのも筋違いだとは思う。
けれども、日々ぼうっとしていながらも、目覚めてはいたい。
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