“シュ”の起源 #2
パンクの終焉とカリスマ Joy Divisionの登場
技巧派で高価な機材が必要であったハードロック、プログレと言う当時の主流の音楽に対して70年半ばにパンク・ロックと言う“誰でも出来る“、“自分達でやる”新しい若者のための音楽が生まれました。
最初は刺激的だったパンクも70年代後半にはファッション化し、似たようなバンドがゴロゴロと居るような状態になり、飽きられ荒廃していきます。
そんな中、1976年に結成された Joy Division(ジョイ・ディヴィジョン)は1980年5月18日にイアン・カーティスが自殺するまでシーンのカリスマ的存在でした。
1979年にリリースされた「Unknown Pleasures」、イアン・カーティスの死後1980年に発売されたCloserの2枚しかオリジナルアルバムが無いにも関わらず、ライブテイクや再編集盤を含めると10枚以上になり、どれだけこのバンドとイアン・カーティスと言うフロントマンが神格化されていたか伺えます。
音楽自体はゴシックに分類されるものではありませんが、陰鬱な世界観は耽美主義的な一面もありゴシック層にも未だ支持されています。
インディーズから生まれたヒーロー、The Smiths
その後1982年にマンチェスターにて結成されたThe Smiths(ザ・スミス)へとバトンタッチ。
文学青年モリッシーと後に多くのアーティストのサウンドに影響を与えた才能溢れるギタリスト、ジョニー・マーを擁するThe Smithsは、当時チャートの上位にランクインするような音楽に辟易していた若者達に支持され、1987年の解散までシーンを牽引し続けました。
しかしメジャーでは無いためか、イギリス国外でのセールスは今一つだったそうです。
因みにこの頃、つまり80年代初頭はアメリカでLAメタルと言うシーンが全盛を極めていて、モトリー・クルーやクワイエット・ライオット等のグラマラスな衣装に身を包み、派手なメイクと髪型が特徴的なヘビーメタルが流行していました。
LAメタルはガンズ・アンド・ローゼスの登場まで続いたと言われています。
マッドチェスターとドラッグカルチャー
ザ・スミスが去った後、時代は新たな刺激を求めました。いわゆるMadchester(マッドチェスター)と呼ばれるムーブメントです。マッドチェスターは1983年にマンチェスターで結成されたThe Stone Roses(ザ・ストーン・ローゼズ)やハッピー・マンデーズ (Happy Mondays)、The Charlatans(ザ・シャーラタンズ)、Joy Divisionの残されたメンバーで結成されたNew Order(ニュー・オーダー)などのバンドを中心としてマンチェスターと言うイギリスの都市で盛り上がったムーブメントです。
マッドチェスターと言うのは造語で、マッド=狂うと言う言葉とマンチェスターと言う都市の名前をくっつけたものです。
何故“マッド”なのかと言うと、エクスタシーと言う多幸感を得られるドラッグの流行無しには語れないムーブメントだからです。
パンクと言う社会体制への反抗を失ったイギリスの若者達が次に求めたのはドラッグでトリップしながら踊れる、ダンサブルなリズムとサイケデリック感を融合させた新しい音楽だったと言うわけです。
元々はスペインのイビサ島で行われていた大規模なレイヴ(=屋外で行われるダンスミュージックが流れるパーティ)セカンド・サマー・オブ・ラブをイギリスに持ってきた事がこのムーブメントの発端となっていますが、本場ではアシッド・ハウスやテクノという当時の最新音楽とエクスタシーが流行していたので、音楽だけを置き換えた形になります。
日本は治安も良く薬物の取り締まりも厳しく行われているので一般人が実際に薬物を目にする機会はありません。
しかし音楽とドラッグカルチャーと言うのは実は切り離せない存在でもあります。
コンサートと言うと、“自分の表現したい事を演奏するアーティスト”と“それを聴きたいファン達が集まる場所”と言う構造を思い浮かべると思います。マッドチェスターはこれを壊しました。
つまりアーティスト側はとにかくオーディエンスが躍って楽しめる音楽を演奏し、オーディエンスはとにかく酒を飲み、ドラッグを買い、踊り続けると言う機能的かつ破滅的なサイクルへ向かっていったのです。
この循環はどうであれ、この時に生まれた音楽そのものは素晴らしいものだったので、それ自体は後90年代を代表するアーティスト達へ影響を与えていきます。
ハシエンダとファクトリー・レコード
Factory Records(ファクトリー・レコード)はマンチェスターのテレビ局「グラナダTV」で音楽番組を持っていたトニー・ウィルソンらによって設立されたマッドチェスターの仕掛人的な存在。
デザイナーであるピーター・サヴィルによって統一された世界観は当時の若者達の心を掴みました。
さらにトニー・ウィルソンは1982年5月にマンチェスターにThe Haçienda(ハシエンダ)と言うクラブをオープン。ムーブメントの中心となった場所となります。
因みにマドンナがはじめてイギリス公演を行ったのがこのハシエンダだとか…。
ハシエンダは赤字経営が続き(ドラッグばかり売れて酒が売れなかったのだとか…)、最終的には麻薬売買の場となり傷害事件が多発し警備等にさらに経費がかさむようになり、1997年に閉鎖となりました。
恐らくここがマッドチェスターの終焉なのでしょう。
ハシエンダのストーリーは「24アワー・パーティーピープル」と言う映画になっていますので興味がある方はレンタルしてみて下さい。TSUTAYA等にはこの手の映画は滅多に無いと思いますが(苦笑)
さて、シューゲイザーはその頃どうだったかと言うと当然この同時期に存在しています。
しかしさらにミクロなムーブメントになる為、ここから更に支流へと説明は進みます。
しかしマッドチェスターとの関わりもあります。
My Bloody ValentineのEP「glider」収録の「Soon」はバンドのイメージからギターのノイズに気を取られがちですが、マッドチェスターを意識して作られました。
意外に思う方も居るかも知れませんが、このようなダンスビートになっているのは時代背景があっての事だったのです。
90年代後半まで時代は流れ、ブリット・ポップに向い一つの時代が終わるわけですが、シューゲイザーはその橋渡し的な存在でもあります。
詳しくは次回#3で。
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