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坂の上の雲

 なぜだか分からないが再放送されています。でもやってると見ちゃう。
 松山に行ったときに好古さんの銅像は見てきましたが、ロケに使われた小田島の旧海軍兵学校も雰囲気よかったです。ドラマでよくでてきた屋根付きの橋もわざわざ見に行き、ひぇ、こんなに小さいのかと驚きました。アクセスは非常によろしくなく、ロケハンの偉大さを感じたものでした。
 ま、司馬遼太郎先生は兵隊や戦争に憧れを持たれてはいかんといって映像化は許さなかったとかなんとか。

 秋山真之さんの曾孫さんと同僚になったことがあります。秋山真之といってもすぐには通じず、坂の上の雲の…と言った方が早いと笑っていました。
 彼女のお祖父様は養子に出た方でしたが、よく真之さんの話は聞いたそうです。

 ドラマは放送が終わっていましたが、彼女と平日有給をとって歩き回る遊びをしていました。ツアータイトルは「東京で探す秋山真之の足跡」で、古い地図や資料を調べ、今回はこのあたりに行こう!と計画していました。
 ツアーの最後は、奥さまとのお見合いだかデートで真之さんが来ていたという銀座の鰻屋さんと決め、お昼はコンビニで買ったおにぎりをかじりながら歩くこともありました。

 一番苦労したのは築地の海軍兵学校跡の石碑探しでした。真之さんが入学後、築地から広島の小田島へ移転しますが、海軍さんだった曾祖父さんがいたはずの場所へ立ってみたい!という彼女の熱意に私もなんだか胸が熱くなりました。
 国立がんセンターの駐車場に残っているという情報を得て行ってみましたがどこから入ればいいのか分からない。Googleマップを見ながら、車を避け、ここ入っていいのかな…とつぶやきながらさまよいました。
 こっち?あっち?とふらついているとき、ふいに歩道の向こう側に小さな石碑が並んでいるのを見つけました。あれじゃない?でもあっち、車用の道だよね、でも前に行くには駐車場を突っ切るしかない。
 石碑は学校と寮のもの、二つありました。これだ!あーったあ!と二人して叫びました。

 ここで学んだ明治の人たちが、ロシアのバルチック艦隊を破ったのかと思うと歴史の教科書で読んだことがいまにつながっているんだなあと不思議な感覚になりました。安土城跡にいって「ここが秀吉の屋敷だったのかあ」って思ったときに感じたアレと同じ。
 二人でさんざん記念撮影し、真之さん、曾孫ですよ!と話しかけたりして、すっかりお墓と勘違い。

 再建ですが子規庵も行きました。子規が食べたものの記録が、病人とは思えぬ量。二人で読み上げて震えました。鰻重のあとに団子を食べている…。

 いつか江田島に一緒に行こうねと話していましたが彼女は先に退職し、その後疎遠になってしまいました。私は江田島に行き、まわりがモックンが歩いたところだ、と言っている横で、この地に彼女の曾祖父さんがいたんだなあ、元気かなあと思っていました。

 もう10年以上たってしまいました。ドラマを見ると、またあのツアーをやりたくなります。

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