乙女ゲーマーそしてドキ文~拝啓、選ばれなかった者たちへ~後編

こちらの記事は前編の続きとなっております。前編読んでくれたピーポー、いかがでしたか?(クソ記事定型文)
前編は主にドキ文のストーリー紹介ですので、ドキ文履修してたらこれだけでも読めます。
さて、改めて注意書きをコピペしとくね。

以下、ドキドキ文芸部およびこれから挙げるゲームの
【根本的または一部ルートのネタバレ】
についてちょっとだけ触れているので気を付けるんだゾ!(もちろん注意書きと配慮はするつもりですが!!)

・遙かなる時空の中で3
・金色のコルダ3
・CharadeManiacs
・古書店街の橋姫
・蝶の毒華の鎖 

今回のドキ文プレイを経て、プレイ後数時間はずっと心臓がどきどきしていて、こんなショッキングなゲームってあるんだろうかと色んな感情の処理に追われていた。
おススメしてくれたフォロワーはなんかハラハラさせちゃったし、一緒にプレイしてくれたフォロワーはなんか…一時期消えた…(ごめんて!!)
おススメは、正直しづらいです。でも、とても力強く人の心に爪痕を残すという作品が優れていると定義するなら、このドキ文は間違いなく優れています。面白かったです。
今はちょっと落ち着いて振り返ることができていますが、色んな意味でとんでもないものにぶちあたったなというのが感想です。演出のエグさもそうですが、用意されている設定がゲームに留まらないで現実にまで侵食している点も。
これ、ゲーム内では語られていない裏設定がファイル解析によって現実のインターネットに無造作にばらまかれてることがわかってるんですよね。

文豪ストレイドッグスで、あるミステリ作家のキャラが人生の最後にたどり着いた至上のミステリが「現実に侵食するミステリ」だったっていう話があるんですけど、それならこっちは「現実に侵食するサイコホラーゲーム」だと思います。あっサイコホラーって言っちゃった…
そして、敢えて何か一つコメントを残すとするなら、このゲームは【選ばれなかった存在による怨念の煮凝り】みてえなゲームだったなあ、ということです。

これらの記事のタイトル、乙女ゲーマーという文言を使っていますが、それはあくまで「今までやってきたゲームが乙女ゲー中心だったひとりのオタク」そして「引き出しにあるのが乙女ゲー分野の語彙ばっかりなので語ると自然とそうなっちゃうぜ」という意味で、乙女ゲーマー全体を代表する意図がないことをあらかじめおことわりしておきますね。便宜上の表現ね。
そのうえで、私が感じたゴリッゴリの主観お気持ち文をこの後書いていきます。

乙女ゲーって、攻略対象の背景事情はその人の√に入らないと詳しく知ることもできないし介入することもできないんですよね。
だから、最初に幼馴染が俺に鬱だと打ち明けた時、「何√?!」って思ったんですよ。それは幼馴染√で向き合い解決するものであって、黒髪ロングとの関係を進めている今開示されるべき情報じゃないんだもの。
この辺があまりに生々しくて、このゲームをやっていて怖がらせ演出とは別のところでゾッとしました。
この時点でゲームがモニカの介入を受けていたとはいえ、キャラクターの人生にも(当たり前なんだけど)時間が流れているということが浮き彫りになったからです。
「これはこのタイミングで出る内容じゃない」って、「プログラムされ、あらゆるタイミングが整えられてるシナリオ」に慣れ切っているプレイヤーが勝手に考えているだけで、以前からずっと幼馴染は苦しみ、悩んでいたんですよ。
開示されるタイミングを、俺が自由に決められるわけじゃない。幼馴染はただ自分の状況を打ち明けたにすぎないんですよ。
これまで乙女ゲーをしてきた自分は、キャラクターのルートを選ぶと同時に情報が開示されるタイミングも選んでいたってことになるんですよね。
だって、その課題ないしは問題と向き合うことが相手との関係を進めていくということになるのですから。
逆に、相手との関係を進めないということは、すなわち相手が抱える問題はいつまでたっても解決できないという事態が発生するんです。

ここで思ったのが、「CharadeManiacs」の「蛇宰メイ」√でした。以下、シャレマニネタバレ!(飛ばしても記事の内容は一応わかるよ)


彼はもともと主人公ヒヨリの同級生でしたが、「異世界配信」という異空間に飛ばされてしまいます。そしてそこでゲームマスター的存在とある取引をし、彼女をその「異世界配信」に引き込んだところで本作はスタートします。
メイは自身の存在をヒヨリに思い出してもらわなければ元の世界に帰れず、ずっとそこにとどまり続けていなければならないという事情があります。ゆえに、ヒヨリが彼との関係を進めてこの問題と向き合わない限り彼は日常すら取り戻せないんですよ。もうなんやねんこれ。
(一部√でもまあ帰れるのですが、報われきってなかったり彼の√クリアが条件だったりするのでここではノーカン)(マジで面白いゲームだからそのへんは実際やってみてくれ)


ネタバレここまで。
このように、乙女ゲーにおいて「選ばれなかった存在」というのは人並みの生活を送れないどころか精神的救いがいつまでも得られなかったり最悪死に至ったりもするので、時々わたしも言うんです。「主人公ちゃん、分裂して」と。も~~~これまで百万回くらい言った。
攻略対象たちは、その秘密を吐露できる瞬間を、そして解決できる瞬間を待っているのに「選ばれないと」それは永遠の呪いあるいは謎のままなんですよね。残酷ですねえ!
そしてこのドキ文は、まずそういった制約を衝撃的な展開と共に打ち破ったわけです。
セオリーによって構築されていた世界を最初に崩したのは、モニカの影響があったにしろモニカ本人ではなく幼馴染だったんですね。

攻略対象に流れ続ける時間については、古書店街の橋姫の概念が一番例として適していると思うのでこちらも紹介します。BLなので、乙女ゲームってわけじゃないのは許してね。
以下、ネタバレ入ります。


本作は水たまりを介してタイムリープができる力を主人公の玉森が得るのですが、ここでは単なる時間移動としてではなく「世界線移動」として描かれています。たとえば三日前に戻るとしても、それはその世界の三日前ではなく、少しずついろんなものがズレた別の世界線。そして、ゲーム内においての解釈は、たとえ同じ人物だとしても世界線が変わればそれぞれ「別の存在」でしかないんです。
その事実を残酷なまでに見せつけて来るのが「博士」√でしたね。主人公玉森は死の運命にある友人を救うためにタイムリープを繰り返すのですが、それに力を貸してくれるのが博士です。博士は玉森に心酔しているのですが、とある事情で肉体的限界を迎え、玉森に同行してタイムリープができなくなります。
目的をどうしても果たさなければならない、そして故障した博士という負担を抱えきれなかった玉森は、博士を見捨てることを決意。博士はありったけの罵詈雑言を玉森にぶつけ、玉森はそれから逃げるようにタイムリープするというシーンがあります。この罵詈雑言は、せめて言葉によって玉森に傷を負わせ、自分を刻み付けたかったから。
この後、公式設定では博士は銃を用いて自殺。
玉森はその後別の世界線の博士とくっつくのですが、これまで玉森を愛し、尽くしてきた博士はどこにもいないというのがこれまたキツイ。
その後玉森は、この見捨てられ自死した「博士」への償いとして、自らの眼球を伴侶に選んだ「博士」に捧げるわけです。この博士は破滅を回避できます。

ここまで。
博士の自殺のシーン、玉森は見ていません。(銃声はあったかな、ちょっと忘れた)玉森が離脱した、選ばなかった世界線は玉森の視点が外れることで直接描写されなかっただけで、切り捨てた世界線の時間は止まることなく動いているのだ、というのがこのゲームの一貫した姿勢です。
そのほかのルートも選ばれなかった存在の結末が悲惨すぎてすごいことになってますが、これもとても面白いゲームなのでぜひやってみてね。とにもかくにも、
あらゆる世界線が存在し、等しく時間が流れている。
それぞれの意志は確実に存在し、選ばれず救われない運命が無数にある。

これは「古書店街の橋姫」だけの話ではない気がするんすよ。

これこそが、恋愛ゲームの面白さであり、悲劇なのだと思います。


同一世界線でのタイムリープは「遙かなる時空の中で3」が有名でしょうか。
これは比較的救える存在は多いと思いますが、それでも主人公を慕う「有川譲」の台詞をこちらでご紹介したい。

「俺のことが大切だというなら、どうして他の奴に微笑みかけるんですか」
「俺がこれまでどんな想いであなたのことを見ていたと思うんですか?」
「これではまるで拷問だ」

彼は、子供の時からずっと主人公望美を慕っていたんですよ。春夏秋冬ずっと彼女だけを見つめ続け、異世界へ飛ばされたあとも望美を気遣ってくれる優しい幼馴染です。
乙女ゲーにおいて最初からヒロインに片思いをしているというのは、こちらからしたらとてもおいしい属性ですが、同時に攻略対象分の失恋を強いていることになるんですよね。これは上記のゲームにどれもいる存在なんですけど…
沢山選べる存在がいるというのが乙女ゲームのいいところ。でも、その分どこかの誰かの感情を踏みにじっているという点に関しては多くのコンテンツで描写されていないか、軽いんですよね。いや、これをガッツリやられても困るのである。その時は、選んだ相手との物語だけを見ていたいので。

選ばれなかった存在が牙をむく展開は、「蝶の毒華の鎖」が印象的でした。プレイヤーはみな真島芳樹という男を愛す運命にあるのですが、こ~の真島芳樹は主人公百合子に並々ならぬ情念、いや愛憎を抱く青年。
自らの境遇ゆえに百合子を深く憎みながらも、百合子が他の男と結ばれることにとてつもない嫉妬を覚えます。
結果、百合子を拉致したり居住する館に火を放ったりするとんでもねえ男なのですが、彼が抱える悲哀はこれまた彼を選ばないとやわらぐことがないんですよね。まあやわらぐというか…なんというかなんですけど。わかるよな?!この…もごもごする感じ!!(プレイ勢へのアイコンタクトバッチバチ)
逆に、選ばれなくても何の問題もない乙女ゲーだってある。「金色のコルダ」はそういった重い事情を抱えているわけでもないキャラクターも多数いるので、上のようなえらいことにはなりません。まあ選ばれなくてやべえことになる存在はいるにはいるのですが、その話はまた今度ね。

というわけで、選ばれないということは恋愛ゲー、そして乙女ゲーにおいて結構しんどい事実なわけです。それを骨身にしみてわかっていたわたしは、モニカの行動に感服しつつ切なささえ覚えたんですよ。

モニカは、結局プレイヤーに恋をする女の子なんですよ。
しかしプレイヤーがその想いに応えることはできない。どうあっても、彼女が求める愛を与えてあげることはできないんです。選んであげることができないんです。
そして、プレイヤーは彼女に閉じ込められた空間から脱出するためモニカのデータを消す。
モニカは世界の仕組みに気づいた一方で、恋愛ゲームの中の存在であるという根幹から抜け出すことはできないんです。その証拠に、データさえ消されたら彼女もまた存在を保てないのですから。
最初から、どの恋愛も成就なんてしない。それがドキドキ文芸部というゲームです。
そしてモニカもそれに気づき、プレイヤーへの手紙として残すんですよ。

ここに救いなんてなかったのだと。

真実を抱えてもなおどこにも行けないって、なんて寂しく悲しいことでしょうね。そう思わないか、真島芳樹?

ドキドキ文芸部はこの結末に至るまで、プレイヤーの行動・感情すべて計算されています。最悪にして最高、それがこのゲームですね。

そしてここまで書けば、私が前編の冒頭で言った【恋愛ゲーへのアンチテーゼ】という表現に至った道筋、なんとなくでも伝えられたかなあ…と思います。おそらく多くのプレイヤーは当初、可愛い女の子たちを品定めし、そしてその子と恋に落ちたいと思ったでしょうね。私にとっての黒髪ロングのように(……)でも現実は違ったんすよ。
重い事情を【不適切なタイミング】で【不適切なキャラ】にカミングアウトさせ、【選ばれなかった存在の末路】をまざまざと見せつけ、それを乗り越えようとした存在すら否定する。そして誰の恋も叶わない。

ひっでえよな。でもこれをプレイヤーに見せつけることで、【選ばれなかった存在】を認識させ、キャラクターあるいは選択肢(例:全編記事における幼馴染への対応)あるいはデータ介入への判断などなど、これらを通して【選択の残酷さ】を何度も自覚させたんですよね。
そしてそうやって自覚をさせたことが、【選ばれなかった存在への鎮魂】にもつながるんじゃないかなあと考えたわけですよ。

まあもちろん他の作品の彼らからしてみればそんなこと知ったことではないし、彼らは彼らでその物語の中で「生きている」ので、キャラクターをプログラムの一つと解釈するドキ文の文法は当てはまらないと思います。
いちいち選ばれなかった彼らの運命に思いを馳せていては心も持ちませんしね!!物語はおいしくいただくのがやっぱりいいですよ。
なにより、そういう悲劇を抱える恋愛ゲーだからこそ、乙女ゲーだからこそ、ヒロインが彼らを救いそして愛しあう結末にたどり着けたときの喜びはいっそう大きくなるのだと思います。

一方で、ドキ文というゲームがこの概念に対して目を向けさせたということに私は意義を感じたいです。とにかくとにかく、すごいゲームだった。すごかった!おすすめはしねえが!!!

以上、普段乙女ゲーたくさんやってる女がドキ文やって思ったことでした~~!読んでくれてありがとう~!!

いいなと思ったら応援しよう!