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【2015乳がんの記録 告知】「ガンだった」の連絡

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2015年、テレビでは連日乳がんをわずらった芸能人の話題で、どこのクリニックも初診は2か月先だった。まだ現実味はないが、どことなく「なんでもない」ってこともない気がしていた。

東京の友人が乳がん専門医で、申し訳ないなと思いながら診察してもらい、私は友人医師の真剣な目とその後の残念そうな顔をみて「ほぼ乳がんと思う」が「確実に」なんだとわかった。

その日、私はがん患者予備軍になった。上半身裸のまま、白衣を着た友人の前で、私は泣いた。「癌ってがーん」って言った記憶がある。他に言うことがない。友人は、私のエコーのゼリーを温かいおしぼりで拭きながら「まだ確定じゃないけどね」と。針でとった細胞の診断の結果を待ってといったが、なんとなく、もう溺れていくような息苦しい気持ちがはじまっていた。ただ、怖かった。

数日後の夜、自宅で娘とアンパンマンを見ていた時に友人から連絡があった。「検査の結果、がんだったよ」と。
ああ…崩れていく私を、隣にいる娘が「どうしたの?」小さな膝でうけとめて、横たわる私に「ママよしよし」と頭をなでてくれた。ずっとなでてくれた。娘の膝からアンパンマンを見て涙を流していた。

そうだ、うれしいんだ
生きるよろこび
たとえ胸の傷が いたんでも

その日までと、その日から、未来が行き先を探して迷子になった。
まるで、ナビが再検索でルートが決められずにぐるぐるしているように。

つづく↓


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