マイストーリー#3初めてのインド
🔸インドへ行く決断
日本で受けるワークショップ
YouTubeで音楽のように流れるマントラ
インターネットで調べる情報
では物足りなく、
限りなく《本物》を求めていた私は
「サンスクリット語の正確な発音が学びたい❣️❣️」
という気持ちが高まっていました。
そのときにインドでYogaやアーユルヴェーダを学んだ先生から
「それならインドのクリシュナマチャルヤ先生の学校で
チャンティングのコースがあるから行ったいいのに。」
と言われました。
でもその時の私の心の中の反応は
「えっ、インド!?」
「インドなんて絶対行けない!!」
「クリシュナマチャルヤ??誰それ人??」
クリシュナマチャルヤ師は近代Yogaの父と呼ばれ、
Yogaを世界中に広めるために貢献した
アシュタンガヨガのパタビ・ジョイス師や、
アイアンガーヨガのB.K.S. アイアンガー師の
グル(師匠 / 先生)として
世界中に拡がるYogaブームの礎を築いた人物。
カーストの最高位であるブラーミン(僧)に生まれ、
当時はまだ男性のみに許されていたYogaを
全カーストに開放し、女性や外国人にも門戸を開いた。
という感じで学びたい気持ちが強いのに
インドに行くことは全く考えられず、
「そうですねぇ。」
と軽く相槌を打つことしかできませんでした。
それでも心のどこかで
「クリシュナマチャルヤ」
というワードが頭の中から消えませんでした。
それからしばらくして、
様々な状況が重なり、
「今、サンスクリット語の発音を学ばなければ
私は本物の先生にはなれない。
一生に一度、最初で最後、
思いきってインドまで行って
マントラを学んでこよう!!」
と、清水の舞台から飛び降りる気持ちで決心することになりました。
🔸インド行きの準備
インターネットで調べたら
日本語ではインドでのコースは見つけられず、
英語の「Krishnamacharya」で検索して
やっと学校らしきものを見つけました!!
そこでやっとチャンティングのコースを見つけたのですが、
なんとそれを申し込むには、自分で、
*ビザの申請
*飛行機のチケット
*宿泊の手配
を全部しないといけないようでした。
(海外に慣れてる方なら簡単なことかもしれませんが、
慣れてないものからするとハードルが高すぎました、、、)
「えーっ!!日本からのツアーがないの!?」
「私の知ってるインドに行く人はみんな
日本人向けのツアーで行ってたのに!!」
と動揺しました。
学校の場所も
「CHNNAI, INDIA」
とあり、それまでインドに全く興味がなかった私は、
デリーやカルカッタ(コルコタ)なら分かったのですが、
「チェンナイ」はどこに位置するかも分からず、
インターネットで検索すればいいのに、
驚きのあまりそれもできずに
知り合いのインドに詳しい
アーユルヴェーダサロンのオーナーに
「チェンナイってどこにあるんですか?」
と電話をかけて尋ねました。
「私は絶対にインドに行くことはない」と公言してたのを
よく知っているオーナーは
私がインドに行くことを決断したことに驚きながら
「チェンナイは南インドよ!
比較的安全で良いところよ。」
と教えてくれたのでした。
時は2012年11月の終わり。
それから私は苦手なインターネットを使って、
2013年2月に開催される2週間の
ヴェーディック・チャンティング(マントラ)のコース
の準備をするのでした。
今でもそうなんですが、
インターネットでモノを選ぶというのが
すごく疲れてしまって苦手なんですね。
当時ならなおさら。
🔸インドに初上陸
でもなんとか無事に2013年2月吉日。
関西国際空港からマレーシアのクアラルンプールを経て、
まる1日かけてチェンナイ国際空港までたどり着きました。
着いたのは確か23時30分頃。
クアラルンプールでは感じなかった
湿度のある、独特のにおい。。
空港も古くて、薄汚れた感じで
綺麗な空港しか知らない私は
静かにショックを受けていたのに、
受けてないフリをしていました。
チェックを経て、空港内で円をインドルピーに交換し、
ホテルに頼んでおいた出迎えのサービスの場所に行きました。
ですが、探しても探しても迎えの人を待ってる集団の中に私の名前を書いて待ってる人はいませんでした。。
初めてのインド。。
それも真夜中。。
その当時は見慣れていないインド人の顔。顔。顔。
空港の職員とホテルの迎えのドライバー以外は
みんな怪しく見える。。
そんなインド初日が待っていたのでした。
つづく