【AB型x4姉妹シリーズ】父の愛情の示し方
(モデル:父の愛情を一身にうけていた今は亡き実家犬、ラブちゃん)
うちは女系家族だったので、男は父と祖父の二人だけであった
思春期を迎えたころから一人二人と父から離れていき
ただでさえ女ばかりでやりづらいと思っていたのにさぞ面倒くさかっただろうと思う
そんな父だけれどけして私たちをないがしろにしていたわけではない
土曜日のランチは父のチャーハンの日と決まっていたし
のちにメニューがバラエティーに富んできたけれど
父が作るということには変わりなかった
私たちは各々の部屋にいることが多く、ご飯ができあがると父が教えてくれる
しかしなぜか呼ぶのはウニちゃんだけなのだ
まぁ一人呼ばれたら全員分できたのはわかっているのだけれども
なぜ私たちは呼んでくれない?!とP子と私の疑問であった
エサちゃんは当時小さかったので父の周りをうろついて一緒にキッチンにいたか
わかりやすい居間とかにいたんだと思う
理由を聞いたこともある気がするけれどはっきり覚えていないから
きっとうやむやにされていたのだろうし、父にしてもこれといった理由はなかったのだと思う
なんせその当時の私とP子は花の女子中高生で父には到底理解できない領域にいたのだろうから
そんな父の愛情の示し方でもう一つ思い出に残っているものがある
あれは私が東京を経由してオーストラリアへ戻る日だった
貧乏学生だった私は少しでも旅費を安くしようと高速バスで行くことにしていた
父にバス停まで送ってもらったのだが、そこに行くまでもすでにひと悶着あった
バス停は寒いしバスが来るまで暇だからギリギリにつきたかった私と
安全運転で何事も余裕をもって行動したい父とで車内はピリピリしていた
結局運転手の父に軍配が上がり、出発時刻よりずいぶん早くバス停についた私は
行ってきますも言わずにドアを閉めたのだった
すると助手席の窓が開き、父が声をかけてきた
やっぱり娘がまた海外へ行って、会えなくなるのは寂しいのねなんて思った私は甘かった
”気を付けて行けよ”ぐらい言ってくれるのかと思ったら
車内に忘れていた手袋を差し出し”おい、これ持っていかなくていいのかよ”と怒り気味で聞いてきたのだった
これからここより暖かい東京に行き、さらには真夏のオーストラリアに帰るのに手袋なんかいるか!と
”いらない!”とこれまた切れ気味に返し、父とはそこで別れた
今思えば不器用な父なりの思いやりだった気がしないでもないけれど
当時は何なのよと思ったものだった
うちには娘が4人もいたせいか世間で聞いていた男親は娘に甘いなんてことはなかったように思う
そんな父も自分が飼い始めたラブラドールレトリバーと孫には随分わかりやすく愛情を注いでいた
そんなものなのだろうか
まぁいいけれど