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平成ルッキズム小学校



小学生の頃、気になっていた男子に丸顔をからかわれて失恋した。

とても恥ずかしくて、その男子に向かって持っていた掃除道具一式をぶん投げた。他のクラスメイトがいる中でからかわれたので余計に屈辱だった。今でも許してねぇ。
からかいや貶しが原因で、過度のダイエットや醜形恐怖症に繋がるケースをよく聞くが、私は「どう考えても容姿を馬鹿にする方が悪い。こいつがクズなだけだな」と思ったので、あまり悩みはしなかった。傷つきはしたけど。


小学校、担任から「人の見た目をからかうのはやめましょう」という話があった。


「みどりさんは女子の中で一番背が高いですよね!女子なのに男子より背が高いなんて、恥ずかしいでしょう?ねぇみどりさん!」

突然、担任から当てられた私は唖然として、頷くことしかできなかった。いや、頷いた方がいい、担任が欲しい答えは「YES」で、それ以外は認められないだろうともうわかっていた。


「ほら!みどりさんは背が高いのが嫌なのに、それをからかってはいけません」と、堂々と言い切った担任の姿で記憶は途切れている。


いや、お前だろ。馬鹿にしてるの。

私は確かに学年で一番身長が高かった。恥ずかしいどころか、カッコイイと思っていて好きだった。

それなのに、お前如きの物差しで私を測り、吊るしあげて、教鞭を振るうなんていい度胸だ。厚顔無恥と言っていい。大人の大半は本質を何も理解していないと悟った瞬間だった。

これに関してもあまり引きづらず、「背が高いと大人の可愛い服が着れるから便利だな」と思っていた。しかし今これを書く手が怒りで震えている。身体的特徴について言及されたからというよりは、こんな大人が『先生』として子どもの上に立っている現実、あの担任が今もこの教えを後悔せず、自分の問題点に気づかず生きているかもしれない現実に、腑が煮えくり返っている。

あの時、「いや全然恥ずかしくないです」と真顔で言ってやればよかった。「決めつけだと思います」「先生の方がいけないと思います」と。なんなら掃除道具全部投げつけてやればよかった。


子どもは大人ほど言葉を持てない。言える環境も持てない。心底嫌いだ。学校も教師もクラスメイトも。

そういえば、この時の担任とはまた別に嫌いな先生が居たのだが、そいつには新車のドアにうんこ付けてやってから卒業したので、スッキリしている。数年後、痴漢で逮捕されたという噂を聞いた。他にもうっすら嫌いだった先生が3人ほど性犯罪で捕まっているらしい。母校がゲボカス小学校だったという事が大人になってよくわかった。


私たちが生まれた平成初期にはまだ『ルッキズム』なんて言葉は存在しなかった。
父や、父方の祖父母は普通に「あんたたち太ったね」なんて言ってきた。私がどんな反応をしたのかは覚えていないが、ストレートに「🖕」とは思った。そして「妹にそんな事言うのやめろ」とも。私はともかく、無遠慮な発言から幼い妹を守ってやりたかった。

こう書くと、私は基本、中指を立てているな。余計に悩まない秘訣はこれかもしれない。自分の容姿を恨む前に、相手に対し中指を立てているので、自分に恨みが向かない。ていうか向ける必要性も全く感じない。人の姿なんてみんな違うんし、変わっていくものなのに。


しかし、先日子どもの保育園で「うちの子、この中で一番イケメンだな」と思ってしまった。
私にも、ルッキズムの芽がしっかりと育っている。どうか息子よ、私が馬鹿な発言をした際は遠慮なく中指を突き立ててほしい。

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