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奇祭 「アエノコト」 を訪ねて。 〜感謝を捧げる文化〜


「私達の守ってきた文化のなかに、目に見えないものを大事にする文化があります。その一つが、思いやりです。」


アエノコトが始まるとき、進行役の方が言葉を添えた。

今までに出会った奥能登での出来事へ、私の意識がふわりと飛んでいく。


2019年、輪島市の白米千枚田に私と友人は、春・夏・秋と通っていた。棚田での米作りボランティア。その中で出会った地元の方々は、とても親切で、「目に見えない真心で」私達に接してくれているのを感じていた。茶目っ気というか、可愛らしい冗談も交えながら。「この優しさは、何処から来るのだろう?」そんな事をずーっと思っていた。

この旅のご縁で、冬の奥能登を再び訪れる機会が出来た。

2020年2月の記録。


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2020年2月。暖冬で雪の無い冬。訪ねて行く側からすると、ちょっとは雪がある方が良かったなぁと内心思っていた。輪島を訪ねるのは今回で4回目になる。今回の一番の目的は、一年の豊作を田んぼの神様にお祈りする、奇祭「アエノコト」。今回のご縁を頂いた輪島市三井町では「田の神様祭り」と呼ばれている。


アエノコト

アエノコトを簡単に言うならば、一年の豊作を祈願する各家庭の行事、あるいは儀式。今回ご縁を頂いた三井町では、12月に「田の神様お迎え」で家にお迎えし、2月には「田の神様送り」で田んぼまでお送りする流れになっている。今回訪ねたのは、「田の神様送り」。

この祭りがなぜ特別なのか。それは、祭りの中身が非常に特徴的で、唯一無二なのだ。


各家庭にお招きした、目の見えない田んぼの神様を、ご馳走やお風呂などでもてなし豊作を祈願する。神様へのもてなしは、家の主人の一人芝居によって進行される。


これで、「奇祭」と呼ばれている点が伝わるだろうか。おもてなしする田んぼの神様は、目が見えないと最初から決まっている。そして、ご夫婦でもあるため、ご馳走は二膳分用意される。祭りの間家の主人は、神様ご夫婦を一人芝居でエスコートしていく。さらに、神様に移動して頂く時は、必ず若い松の枝に乗って頂く。

この様な形で、ものすごくユニークな祭りなのが、アエノコト。個人的には、面白いというよりも、心のこもったもてなしに、温かいものを感じる。

その模様は、ネット上で観れたり、読めたりする。それでも実際その場にいて体験し、感じるものは違うかもしれない。この儀式をどんな思いで、なぜ伝承して来たのか、その場にいて感じられたら素晴らしいだろうなと思った。しかしアエノコトは、各家庭内でのプライベートな行事。まさか今回、同席する機会を頂けるとは夢にも思わなかった。

 「田の神様送り」 から直会(なおらい)まで

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アエノコトの前夜、雪が降り始めた。どうやら、神様が願いを聞き入れて下さったよう。しかも、次の日の日中は、お日様も顔を出す程のラッキーな天気。足の裏は凍ってしまいそうな程寒かったが、雪国らしい景色が見られて感謝だった。

アエノコトの会場は、雪囲いがされた茅葺き屋根の古民家。その中には、「田の神様祭り」を守って来た地域の方々、興味を持っている友人・知人が集まっていた。そしてその前には、神様のために拵えたご馳走、御座が2つ、若松の枝、家の主人(ゴテ)、司会・解説役の方。


いよいよ、アエノコトが始まる。

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田の神様をもてなす流れを説明すると、まず神棚にいらっしゃる、田の神様に祈りを捧げ、御座に移って頂く。お茶を出し、一息つかれたら、お風呂、白湯、ご馳走、食後のお茶という順番でおもてなしする。この間、神様に移動して頂く時は必ず主人が若松の枝を差し出し、そこに乗って頂く。

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ひとつひとつに十分な間を置き、丁寧に祭りが進められていく。そして、何よりも、ゴテの動作や言葉の端々に「目に見えない、思いやり」を感じる。用意された料理にも、思いやりと願いが込められている。私がそれらを言葉で書き伝えるのは容易では無い。けれども、ひとつ挙げられるとすれば、特に若松に神様を乗せた時の声掛け。

「左へ曲がります。」

「右へ曲がります。」

「ここには段差があるので、しっかりおつかまり下さい。」



おもてなしの後、主人は神様を田んぼにお連れする。

家の前の田んぼには、神様をお連れする場所が記されている。そこに若松を立てて、鍬で田んぼの土を3度掘り(打つが正しい)、祈りを捧げて仕舞いになる。

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その後、直会と言って、神様のお下がりを頂く時が設けられる。今回、集落の者ではない私達も、ご厚意で直会に参加させて頂いた。


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鯛のあら汁や、地域ならではの絶品野菜料理であったり、目の錯覚を疑う程の大きなおはぎ。叩きごぼうの胡麻和えが絶妙だった。余談であるけれど、叩きごぼうは、新聞紙に包んで囲炉裏の灰の中に入れて火を通すのが一番美味しいのだとか。「でも、手間がかかるから、うちの女房はそこまでやらないけどね。」と三井町のある紳士がおっしゃっていた。皆さん、どこか茶目っ気があるのが、輪島の素敵なところ。

地域の方と楽しくおしゃべりしながら、食べきれない程の美味しいご馳走を頂いた。けれど、全て用意するのは本当に大変なこと。アエノコトの伝承が難しくなっているのも頷ける。この地域の方々は「保存会」を作って「田の神様祭り」を大切に守って来ている。

アエノコトの「アエ」はご馳走、「コト」は祭り。ご馳走のお祭りなのだ。

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昔は皆「農」を基盤とする暮らしであったため、アエノコトは「農耕儀礼」であった。そして、この祭りを行う事で、子ども達に沢山食べさせたい思いもあったのだとか。現代に至り、暮らしが多様化する中でも、先祖が受け継いで来た「食への感謝」を大切にしたい思いから、今も伝承を続けているのだと。


受け継がれる思い

「食への感謝」

私はこの思いに、とても惹かれるところがある。

ちょうどこの年のお正月、一緒に暮らす祖母が、ご馳走を仏壇の前に並べて感謝を捧げていた。私も真似して、自分で作った煮しめや、黒豆の煮物を仏壇の前に持って行くと、すごく喜んでいた。

「みんな、喜んでるよ〜!」祖母が満面の笑みで、私に言った。

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「みんな」というのは、後で分かったのだけれど、亡くなった祖父や、伯母だけでなく、私が会った事のない御先祖様達の事だった。祖母は毎日、御先祖様や、今は亡きお世話になった方々に手を合わせている。我が家の「祈り人」が、祖母である。

私にとって、毎日見えない存在に感謝を捧げるという文化は、祖母ほど身近にない。「現代の日本人」にとっては、頑張ってお金を稼いで、そのお金で食べ物を買うから、「与えて頂いた」という感覚は薄れている様に思える。単に祈る時間が無いだけかもしれないが。


アエノコトが私に教えてくれた事は、間違いなく「感謝を捧げる文化」の美しさ。そして温かさ。

「昔の日本人」が慎ましく大切にして来たこの文化は、形は違っても日本中にまだ残っている。我が家にも。でも、意識をしなければ失われてしまうもの。



「私達の守ってきた文化のなかに、目に見えないものを大事にする文化があります。」



この言葉の「私達」というのは、私達日本人の事でも有り得る。意識していても、していなくても。日本人としての美徳のひとつとして、この言葉を感じる。目に見えるものだけが大事じゃない。それを深く理解した旅だった。

アエノコトは、唯一無二の祭りではあるけれど、その中にある精神は「昔の日本人」が大切にして来たものだと私は感じている。「昔の日本人」とは、戦前・戦中を知っている日本人を尊敬の意味を込めて、私はそう呼ぶ。彼らは、戦後に生まれた私達が意識していない事を意識して来た気がするのだ。それは私が旅を深めていく中で、もっとハッキリ見えてくるかもしれない。日本人とは誰なのか?戦後、日本人は何か置き忘れていないか。

2020年2月に感じたこと。



三井町の皆様、田んぼの神様、深い学びを有難うございました。そして、能登に繋いでくれたTさん、アエノコトに参加させて下さったYさんも、貴重な機会を有難うございました。また三井町を訪れる事ができます様に。

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そして、田んぼも、里山も、暮らしも、豊作となります様に!



頂いたご厚意は、さらに世界の発酵を見て、伝えて、開拓する為に使わせて頂きます。