刀で戦車を斬る変態

刀で戦車を斬るなんて馬鹿げた妄想をするのは厨二病のアニオタぐらいな事はもちろんよく承知している。刀というのはもののたとえで、武器と対象物が刀と戦車である必要はなくて、弓矢で爆撃機を堕とす変態でも、銛で戦艦を沈める変態でも同じ事だ。

戦車の装甲自体は刃物で全く斬れないというわけではない。量産化された兵器はプラモのように細かい部品を組み合わせて作る過程上、部品はほぼ鋳造だ。表面は炭素で硬度を上げているにせよ構造的には柔らかく作らないと簡単に割れて使い物にならないだろう。どんな兵器も修理ができる以上は必ず加工する術はあるので斬れない事はないが、戦車がサーベルで物理的に斬られていくのはなんとも異様な光景だ。まず、刀で戦車を斬ろうなんて発想自体が異常で変態なのだ。

装甲には目的とする対象がある。戦車同士の砲撃は間違いなく想定して備えている筈で、設計側がまともなら戦車の重い砲弾に耐える装甲になっている。とはいえ全方向にくまなくは無理なので、その隙を突く角度や方向から攻撃の来るジャベリンやドローンの攻撃が戦果を上げる事になる。

全てに万能な装甲はない。それぞれに特化した防御力を最適と考えられる部位に配置するだろう。各分野のスペシャリストを最適な位置に配置するようなものだ。そういう意味では、刀で戦車を斬りにくるような変態がいる可能性など想定されていなくて当然だ。NPCの乗る戦車では特にそうだ。

仮に、戦車の装甲や砲身を切断できる刀があったとして、それが実際に戦場で役に立つものだろうか?戦車の装甲板を幅50cm程斬ったとして、その程度で止まる戦車など想像できない。

刀で斬れる切り幅などたかが知れていて、その程度を破壊をしても戦車にはほぼダメージがない。刀はそもそも戦車を斬るようにはできていないのだから、戦車に斬撃効果などなくて当然だ。歴史的に、刀は人の身体を斬る武器だ。それも、多数の兵が入り乱れて戦うまで膠着した戦場ぐらいしか活躍の場が想像できない武器だ。戦場では槍にも弓矢にも遅れを取るので、実戦の戦闘向きではない武器ともいえる。

平和な時代でも、敵の殺害を目的としない限りは、刀は薙刀や棒術には部が悪く、それなりの工夫がないと対等に戦うのは案外難しい。汎用性の視点からみても、日本刀は現代の鋼製の柄の長いスコップと比べても使いにくい武器(スコップは武器ではなく農耕具)だ。よほどの使い手でない限り、刀とスコップで戦った場合、スコップの方に部があるというのも不思議な話だ。刀を使って戦っていた時代には、現代のような軽く強いスコップなど存在していなかったので誰も気が付かなかったからだ。

幅広の鋼鉄製の足掛けは防御の盾にもなり、刀をへし曲げ、刀を持つ手を痺れさせる重さのハンマーにもなる。一度でも刀でガードさせれば、刀側は大きなダメージを受けて、刀側がどんどん不利になっていくからだ。仮に、刃渡30cmの刃物を持った強盗と対峙するケースを想像してみると、持っている武器のみを比較した場合、大型スコップを振り回す方が、刃物を持っている方を撃退できる可能性が高い。アルミ製のトゲもない、おもちゃのような刺股よりは大型スコップの方が武器として間違いなく強いのだ。

剣はそもそも歩兵が手で持たなくては使えない武器だ。ライフルやサブマシンガンを構えた敵に、刀の刃が届く距離まで近づけば、剣の届く位置に到達する前に刀を持った歩兵が絶命するだろう。ただ斬れるだけの剣、たとえどんなものでも斬れる剣があっても、間合いの2mまで入り込まないと使えない剣では、近代以降の戦場の戦闘ではほぼ役に立たない。その前提を承知した上での話なのだ。

銃を構えた兵士達の目の前に、弾丸も戦車さえも斬り捨てて迫ってくる剣を持った男への恐怖はどれほどのものか。剣は戦車の装甲板ではなく、戦車を操縦する人間を斬る事が可能な武器だ。そこまで分かっていて戦車を斬りにくる敵が本当に恐ろしいのだ。

鋼の錬金術師の大総統ブラットレイは、戦車をサーベルで斬りにいく正真正銘の化け物だった。セントラル本部をクーデターで占拠した勇猛なブリックス兵達に、深い恐怖のトラウマを残した。しかも現役大総統の地位にあった事は二重の意味で恐ろしい出来事だった。自分達のトップが人外の化け物だった事実を知った時の恐ろしさ。さらに、時代遅れの中世の武器でしかないサーベルに、最新兵器で武装を構えた兵士が、抵抗虚しく次々と斬られていくしかない光景。誰にも止められない不条理なバグがそこにいるという事実。ある意味、マトリックスのネオの存在の仕方にも似ている。

一斉射撃をものともしない化物、砲弾すら容易く斬り捨ててしまう人外など誰にも止められる筈がない。逆走して逃げる戦車の隙間から操縦士を正確に貫き、弱点のキャタピラを破壊し、グレネード弾を投げに出てきた兵士は斬られて自爆、乗員は全滅。階段前で待ち構えていた大勢のブリックス兵達は一瞬で斬られてしまった。サーベルしか武器を持たない、いい歳したおっさん一人にだ。圧倒的な恐怖に直面した人間にはもう何もできなくなるものだ。ただのお飾りの昼行燈と思われた大総統からの無敵無双の最強の敵、この大落差はきつい。

手練れの老兵フーとリン・ヤオと一体化したグリードが助けに出てこなければ、サーベルを持った男一人にブリッグス兵は確実に全滅だった。主人公のエルリック兄弟でも相性的にブラットレイと戦った場合は勝ち目は薄い。結果的にだが、エド、アルも対ブラットレイ戦がなかったからこそラスボス戦まで辿り着けたのだ。サーベルで斬る戦法は戦力的には局所的効果しかないが、あまりにも圧倒的な力量差で、戦いを続ける者の心をへし折ってしまうのがキング・ブラットレイだ。ブリックス兵越しに視聴者も心を折られる絶望感と恐怖を感じていた筈だ。

戦車までも斬り捨てられ、最上階まで登り詰めてきたブラットレイに兵士達は心を折らてしまった。兵士達をかき分けて挑んでいった片腕を機械化したバッカニア大尉も相手にならずに斬り捨てられ、兵士達は戦意を喪失した。軍の最高位の大総統とはいえ、もういい歳をした、サーベルを持っただけのおっさん一人にだ。

アメストリス軍は過去にイシュバールで大虐殺をしてきた経験のある者が出世している軍だ。自軍にいるイシュバール人まで殺した非情な兵士達が残っているので少しぐらいでは同様しない。その中でも最も屈強といわれるブリッグス兵が恐怖しているのだ。精神的にも強い筈の兵士達ですら、向かってくる敵の絶望的なまでの強さに戦意を失ってしまっている。

ブラットレイは生まれ育ちが修羅の生存競争の中を勝ち抜いたオークのような男で絵に描いたようなNPCだが、軍の最高位として用意されたシナリオを、決して快くは思っていなかった。7番目のホムンクルスのラース=ブラットレイの能力は、ただ眼がいいだけで最弱と言われるホムンクルスだ。武器もそこら辺にある刃物を使い、体力的にも人間と変わらない、能力的には最弱のホムンクルスだ。

そんなラースが無双の立ち回りを見せ、誰一人ブラットレイには勝てなかった。一瞬の偶然以外でブラットレイを仕留める方法はなかったのだ。そんな無双の怪物ブラットレイが最後に見せた内面は人間以上に人間らしい複雑な感情で満たされていた。単純な善悪二元論でしか考えられない人間と、この人造人間のどちらが本物の人間なのかわからなくなる。結局、ブラットレイは敗北するが、偶然以外の要素では、誰もブラットレイには勝てなかったのだ。絶対に倒せないブラットレイは、本人が語ったように、神の起した偶然でしか倒せなかったのだ。

昨今の日本刀ブームで日本刀の人気は高い。美術品として完成度が高い点は誰も否定できまい。日本の玉鋼を鍛えて作る刀の、独特の金属の肌は他国には真似できないし、現代の鋼を使ってもあの模様は決して作れまい。日本刀が玉鋼で作る慣習になっているのは、美術品としての完成度の高さが、日本製の玉鋼で作らないと難しいからだ。ダマスカス鋼やウーツ鋼で年輪模様の味のある刀は作れるだろうが、あの冷たくぬるっと光る独特の美しさは玉鋼から作られた日本刀でなければ出せまい。

玉鋼は鋼と付いているが、むしろ柔らかい金属で、折返しと鍛錬によって刃の硬度を上げて刀にしていく。中の芯は柔軟で粘り強く、刃は硬くといった使い分けをし、硬度だけなら現代の青紙スーパーやZDP189、SPG2といった鋼の方がよほど優秀だろう。刀の靱性確保を考えれば別の柔らかい別の金属を中にに入れる必要があるだろう。玉鋼製の純正日本刀の刀身を幾ら鍛えても戦車の装甲を斬るの程の強靭さを求めるのは酷というものだ。探せばもっと適切な鋼材はある筈なので選択肢はある筈だ。そして、日本刀が構造的に優っている点が大きい。一件丈夫そうな青龍刀や湾刀やサーベルでは(象徴的な意味で)戦車を斬れる可能性がむしろ下がるとみている。理由は刃と柄が一体構造だからだ。

日本刀の刀身は、茎(なかご)の部分で朴の木で作られた柄に真竹製の目釘で止めている。ちょうど箸ぐらいに丸く削った竹、一本で止まっているのだ。西洋のロングソードや青龍等に比べるとなんとも心元ない。日本刀を手本に作られた苗刀ですら、目釘は2箇所以上はある。しかも、使う前には目釘に水を吹きかけて、竹を膨らませてから戦闘に挑むシーンは映画でも見た事があるだろう。普段は少しカチャっと音が鳴るぐらいの止まり具合なのだ。

普通に考えて、なんでこれほど不安定な構造にしてあるのか不思議だ。これには実戦で積み上げてきた経験則の結果が反映されている筈だ。

刀や竹刀を持つ時、手の内という教えがある。これが使えないとほぼ素人扱いされる。

手の内と、刀の構造には何か関係がある筈だと考える人はやはりいて、そうした研究も発表されているので参考に見ておこう。刀や竹刀の手の内に関する研究はされ尽くされている。実物を見たい場合は、リンクを貼っておくので参考にされたい。

日本機械学会論文集(A 編)
77 巻 776 号 (2011-4)
原著論文 No.2010-JAR-0162
日本刀の衝撃工学的考察*
臺丸谷政志*1,小林秀敏*2
https://doi.org/10.1299/kikaia.77.638

以下結論のみ抜粋

本実験に用いた拵えの 太刀はまさに目釘穴位置で衝撃変位応答が最小になっており日本刀の討ち合いにおいても目釘竹を破損するほ どの力は作用しないと推定される.このことは日本刀による幾多の合戦において実用に供されてきたことより 実証されていると言える.

5.結 言
本論文では目釘による刀身と柄の締結に関して,日本刀が激しい討ち合いにおいても何故目釘竹一本で柄に 留められ得るのか,また破損しないのかを調べるため,太刀真剣を用いて衝撃実験と数値シミュレーションを行 い次の結果を得た. (1)刀身のみの場合,衝撃を受ける刀身位置および衝撃力波形が多少異なっていても刀身各部位での最大振 幅の分布はほぼ同じ傾向を示し,区(まち)付近における振幅が他の部位に比べて相対的に小さくなる.しかし,目釘穴位置で必ずしも最小になっていない. (2)刀身に,鐔,柄,はばき,切羽を外装した実用の太刀拵の場合,最小振幅の位置は区付近から目釘穴近傍 の位置に移動する.したがって,目釘竹に作用する衝撃力や目釘竹の変形強度を直接には評価していないので, この結果より直ちに目釘竹の破損の有無を論ずることはできないが,歴史的に実用に供されてきたことを勘案す れば,刀匠の掟に従う目釘穴位置においては,目釘竹の変形強度を超えるような大きな負荷は作用しない可能性 があると推定される. (3)日本刀の物打ちの部位については諸説あるが,本研究の衝撃工学的な観点からは,定寸の日本刀の場合, その物打ちの中心は,刃先から下部へ 20cm 前後の位置(横手筋から五~六寸)であると云う結果が得られた.

以上抜粋

日本刀が、竹の目釘一本で止まっているという不自然なまでに脆い構造をしている事と手の内という技術には関係がある点だけご理解いただければと思う。

青龍刀や西洋のサーベルは、刃と柄が一体の剣で、日本刀は目釘という竹を削った棒で茎と柄を固定していて、一見すると不安になる程にあっさりと止められているのだが、これが後々、独特の日本の武術的特性を生む事になる。

この研究によると、刀の切先三寸に衝撃を加えた場合、区の位置で振幅の大きさがほぼ最小、目釘の位置で最大振幅の1/3程になる。一方、柄頭の部分では最大になる。これは、片手操法なら大きな衝撃でも使えるが、両手持ちにした場合、刀が衝撃波の落差に耐えきれずに折れる可能性がある事を意味している。

目釘は日本刀の構造上、最も弱い部品と考えられる。煤竹という100年以上も茅葺き家屋の囲炉裏で煙で燻して強化した竹を箸ぐらいの太さの棒にして柄に茎を固定する部品だ。この目釘に負担が少ない構造、負担をかけない使用法が必要になってくる。手の内は構造に適う理である必要がある。道具との対話が手の内を決める。手の内は基本的な事以外はおしえて貰うものではない。日本語の手の内を明かすには、そういう意味が込められている。道具の数だけ手の内の理があって、刀や弓だけでなく、他の道具にもこの考え方は拡張できる筈だ。

るろ剣で十本刀の巨体の不ニが振り下ろした刀を比古清十郎が片手持ちの添え手の腕輪で軽々と受けていたのは正しいのだ。一方、煽られた不二が両手打ちで全力で地面に向けて切り下ろした場合、いかに巨体を誇る不二でも巨刀で地面を叩けば刀は折れて、腕の骨と鍵はダメージを受ける。絶対に無事では済まない筈だ。不二は比古に乗せられて両手で振り下ろしに行ったが、比古のあの、手の内の説明は正しいとはいえない。真剣を使う比古が知らないはずはない。比古はやはり人が悪い。

ロングソードや青龍刀のように大回して遠心力で叩きつけるタイプの剣で戦車に挑めば間違いなく弾かれて負ける。これはウィッチャーのゲラルド程の使い手であっても、馬鹿正直に戦車に切り付ければ同じ事だ。金属製の騎士の鎧ですら剣を通さないのが事実だ。

今後、戦車の装甲を斬る予定のある人にアドバイスするなら、戦車を斬る時は必ず片手操法で行け!だ。両手だと刀と腕が壊れ、下手したら折れた刀身が戻ってきて最悪貫かれるからだ。戦車の幅は刀身より長いので一刀両断を狙ってはいけない。キャタピラの可動部や装甲の継ぎ目や隙間を狙って対象に当てろ。そうでなければ戦車を斬りにいく意味はない。

武道武術では手の内というが、この技法は目釘の構造的位置に由来しているとみている。江戸末期頃から出てきた競技剣道でいう手の内は、打撃を素早く、小さくするための技法だ。ポイント制のスポーツの技法に近く、ただ当てればいい、当たればポイントになるというゲームの技法になってしまっている部分が大きい。手の内がしまっているからいい音が出るとか、竹刀の反動を利用した小さい連打ができるとかはもうゲーム競技の話だ。

それは本来の刀の操法とは別のもので、悪い言い方をすれば、こす狡く、相手の落ち度を誘って点数を稼ぐための道具になってしまったと考えている。

明治維新の裏方にいた有名な武道家で、あまり名前を知られていない山岡鉄舟という人物がいる。母方は塚原姓からわかるように塚原卜伝の子孫に当たる。その縁からか初代の茨城県知事を務めたが、元々は幕臣の志士で、新撰組は、もう一人の首謀者に山岡が騙されて作った組織だった。木村屋に初めてあんぱんを作らせたり、巨体の西郷隆盛より更に巨体の剣豪だったりして、ドラマや漫画で取り上げられていないのが不思議なほどに異色な人物だった。江戸が火の海にならなかったのは、本当の功労者は山岡なのだが知る人は少ない。なにしろ、名も金も命もいらんという姿勢の人なので、功績を讃えられて男爵の爵位をという話を蹴ったという逸話がある。こういう人だから、あの西郷すら圧倒されたのだ。その剣は、ただ振りかぶって打ち下ろすだけでいいという達観まで達していた。勿論、それだけではなく、様々な剣術や槍術を納めていた。その上で、初心者のような所作に収束して、その時代の最強まで登り詰めているのだ。その強さは本物だった。

鉄はなぜ強いか一言で答えよ。という問いになんと答えるだろうか。鉄は柔らかいからと自分なら答える。石は硬い。だから柔らかい刀を研ぐ事ができる。鉄はガラスよりも柔らかいからガラスを切る事ができる。ガラスの主成分ケイ素の塊は単体ならば鉄の塊にぶつければ砕ける。鉄は曲がるか凹むかするが砕けはしない。

手の内は、使う道具との対話で微妙に位置と内容が違ってくる。これだけ覚えておけば絶対というものではない。道具を丁寧に使う過程において生じる副産物だからだ。和弓の手の内は弓返りを起こす事で弓本体への反動を軽減する所作の技術だが、その副産物として正確な矢射がある。

雨のように降り注ぐ矢や、壁が迫ってくるような槍衾に、刀技の手の内で有効な打開策を打てる筈もない。集団戦においては、特筆すべき効能などないに等しい。手の内によってなしうる技術は、実はそう大仰なものではない。実際、戦争のような集団戦では活躍の場などないし、それで劣勢だった戦況がひっくり返るようなものでは決してないのだ。手の内は道具との対話だ。道具を大切に使う細やかさがどの民族にも共通してあるわけではない。道具を使い捨てにする粗雑さからは手の内の発想は生じにくい。

手の内の技術を技術的に言えば、強度は劣るが柔軟さを持った材質や構造的な不安定さを積極的に取り入れて可動域を広げ、反動を抑え込まずに一連の所作の中に取り込む動作処理だ。それは道具を大切に扱う事によって副次的に得られる成果物だ。それは一見すると普段と変わりなく見えるように隠しておくから手の内なので、わかってしまえば効果は半減する。手の内、それ自体に価値があるという見方をしてしまうと、どれだけズルく立ち回れるかの競争になってしまうので、使用者の自覚が必要だ。

敵対した場合に恐るべきは、些細な小手先の工夫に過ぎない手の内の技術そのものでも、小器用な武器の使い手でもない。状況に応じて新たな手の内を編み出していく人間の方なのだ。自らの弱点が把握できるという事は相手の弱点も把握しうるという事だ。自らの弱点を抱え込んだまま器用に立ち回れる者は、強い敵の崩し方をも感知しうる。新たな手段を次々と生み出していく者を敵に回す事が恐ろしいのだ。

問題は、手の内そのものではなく、手の内を成立させようという柔軟さだ。キャプテン・アメリカの強さが、筋肉の強さだけでは説明がつかないのは、ひ弱な頃のスティーブ・ロジャースがキャプテンの中にいるからだ。キャプテンにはアイアンマンやソーのように銃弾などお構いなしに戦う事はできない。

逆に、パワー、スピード、戦闘技術では敵わないキャプテン・アメリカに、トニースタークやスパイダーマンはどう対応していたか。戦闘においては弱点など無さそうなキャプテンの動きを観察する目があれば、対処して互角以上に戦う事ができる。この適切な対処ができる相手が一番怖いのだ。洋弓の使い手であるホークアイというヒーローもいた。弓の使い手の名人芸は、ほぼ、この手の内の技法といってもいい。

競技技術としての手の内は、指の握り方、外し方、掌の当たり方で力学的に還元される。人間の手の指の骨、関節、筋肉の使い方を調べれば100%説明できるものだその効能は反動の返りを積極的に取り入れてぶれを減らし正確な矢射を行なう事、更に弓の劣化を避ける為に必須になってくる。ここには高度に道具との対話が出来る者の作り出した手の内の技法の伝達が必要だ。

弓の手の内についても、刀以上に研究が進んでいるので参考になるものを貼っておこう。

弓道の 「手の内の働き」に関する生体工学的研究 細谷聡加賀勝

J-Stagehttps://www.jstage.jst.go.jp › -char弓道の 「手の内の働き」に関する生体工学的研究

以下結論のみ抜粋

結 論

1.統計的な解析結果から「ねじり」技術は,指伸筋,尺側手根伸筋における活動の増大と同時 に拮抗作用のある尺側手根屈筋の活動 に減少が起こり,実 現されていると考えられる。特に, 発射前の指伸筋と尺側手根伸筋の使われ方が「ねじり」技術を行なう場合に重要になってくることから,手関節の背屈動作とタイミングを意識させる「手の内」の指導が有効になると考えられる。
2.また「上押し」技術は,尺 側手根伸筋と尺側手根屈筋における活動の促進 と,長 擁側手根伸 筋と指伸筋における活動の抑制との相互作用にが出現した場合には,ね じりモーメントの信号のほうが上押しモーメントの信号に先立って変化が 生じることである。これとは逆に,尺側手根屈筋 に筋活動の休止期が出現 した場合には,上 押しモーメントの信号のほうが先に変化が起きること がわかった。射手が 「手の内の働き」を遂行しようとするとき,「ねじり」をより意識しているのか, 「上押し 」をよく意識しているのかで筋活動の休 止期が前腕の伸筋に出るのか屈筋に出るのかが分かれるものと考えられる。
計測例は8例 だが,以上のような結果から指伸筋や尺側手根伸筋 な ど左前腕の伸筋 は 「ねじり技術と密接に関係し,尺側手根屈筋は「上押し」 技術 に深く関係していると考 えられる。従 って, 射癖 である 「びく」動作の矯正の際には,どちらに関与する筋活動が原因で起こっているのかを指導者は見極 める必要があるといえる。射手にしてみれば,技 術や動作の修正時には一度にいくつもの課題を念頭に置き稽古できるものではない効果の面からも一つに修正点を絞り稽古するのが良いることは指摘されている5)。以上のことから,指導者が 「びく」を射癖 として持つ射手を指導する場合,「ねじり」に関与する筋(動作)を 意識させる のか 「上押し」に関与する筋(動作)を意識させるのかを判断することが重要になると考えられる。場合によっては,根気強い観察・指導や地道な実験による計測・診 断が必要 である。
3.射癖の一つである「びく」 に関するデータの 解析結果から,指 伸筋や尺側手根伸筋 など左前
腕の伸筋は 「ねじり」技術と密接に関係し,尺側手根屈筋は 「上押 し」技術に深く関係してい る と考 えられ る。指導者が 「びく」を射癖 として持つ射手 を指導する場合,「 ねじり」に関与す る筋(動作)を 意識させるのか 「上押し」に関 与する筋(動作)を 意識させるのかを判断するこ とが重要 になると考 えられ る。
4.本 研究 の結果から,「ねじり」を増加 させ るには尺側手根屈筋の活動 を抑制 されなければな らないが,「上押し」の効果 を得るためには尺側手根屈筋 の活動 を逆に促進 させなければならないことが明 らかとなった。従って,「手 の 内の働き」という目的遂行のため非常 に複雑 な筋活動の制御を伴っており,この技術の習得が困難である一つの理由になっていると考 えられる。

以上抜粋


刀や弓に手の内の技術があるという事は知っておいては損はない。ただし、祭り上げるのはダメだ。現代剣道に感じる違和感がそこだ。競技的なポイント制の打ち合い、当てっこの技術として特化してしまったからだ。反動を利用して素早く打てる、打撃の瞬間にいい音がして審判へのアピールがよくなるといった方向へのみ手の内の技術が重用されるのは正直気持ちのいいものではない。剣道も柔道も、道と付いていたものの意味がどんどん形骸化している。変な話、ただの当てっこ競争ならばスポーツチャンバラ競技に鞍替えした方が世界的にも受けがいいだろう。

全く、誰にも同意を求めていないが、戦車を刀で斬りに行くような変態だけがこの状況の救いになるような気がしている。

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