前本彰子個展『身代わりマリー』『私が殺したK』 | ストロベリー・スーパーソニック
2022年8月から10月にかけて、高円寺の『ストロベリー・スーパーソニック』(以下ストロベリー)で美術家、前本彰子の個展が連続して開かれていた。一つ目は8月17日から9月25日(金、土、日のみ)の『身代わりマリー』、続いて10月7日から23日まで開催(金、土、日祝のみ)の、第二章と銘打たれた『私が殺したK』。出品されているのはどちらの個展も過去作のみであり、作品タイトルがそのまま個展のタイトルとして使われている。
ストロベリーは前本自身が運営する「羊毛フェルト雑貨+ギャラリー」(店外看板より)のスペースで、連続した個展は前本自身によるセルフプロデュースの形をとって行われた。二つの個展を本記事で一つにまとめてそれぞれ簡潔に紹介、あわせて「店舗であり、同時にそれ自体が前本の変化し続けるインスタレーション」ともいえるストロベリー店内の現況も写真とキャプションで紹介する。
身代わりマリー
個展『身代わりマリー』は、《For my yesterdays 》と《身代わりマリーⅢ》の二つで構成されていた。前者は1982年の制作で、吉澤美香との二人展「前本彰子・吉澤美香展─女の子は水でできた身体」(ギャラリィK、1982、東京)に出品され、後者は2007年、中ザワヒデキとの二人展『DARK SEED : 03 「明けない夜」』(『すみれの天窓』、2007、東京)にあわせて制作された。
どちらもビーズやラメ、サテン生地などの多様な材料、ピンクやゴールドを含む明度の高い色彩の積極的な使用など、作家を特徴づける要素にあふれたミクストメディア作品だが、さらに非売品という共通項があり、本展『身代わりマリー』はそれらを改めて「お披露目」する趣旨をもつ展示だった。
For my yesterdays
《For my yesterdays》は前出の通り吉澤美香との二人展『女の子は水でできた身体』に出品されたものだ。展覧会のタイトルを提案したのは前本で、前本、吉澤、他数名で展示の打ち合わせをしていた石川町のバー、ミントンハウスに置かれていた毛沢東の著作を何気なくめくっていたところ、「女は水でできた身体、男は泥でできた身体」という一説が目にとまり、印象的だと思ったのがきっかけになった(その一説が清朝時代に書かれた有名な古典、『紅楼夢』からの引用だと知ったのはまた後日のことだったそうだ)。
極めて表層的な見方ではあるが、どちらかといえば発表時の吉澤作品にこそふさわしいと感じられる言葉と前本が偶発的に出会い、二人展の名称として提案したというのは、80年代の美術(※)における一つのエピソードとして興味深いものがある。
(※)二人展が行われた80年代前半、前本と吉澤を含む、台頭してきた一群の若手女性作家を「性別」「年齢」の属性だけで乱暴にまとめ、『超少女』という空疎な概念と共に論じる言説が美術手帖の特集などで存在したが、現在は批判的に振り返られることが多い。《For my yesterdays》も当時とはまた違った見方ができるのではないだろうか。
筆者はこの作品が発表された40年前の1982年生まれで、それから20年後、前本が多摩美術大学で教鞭をとっていた時期の学生だったのだが、昭和から令和への月日を経たいま見ると、タイトルの『For my yesterdays』の意味するところがより射程の広い社会的文脈を含むようにも感じられ、そのデスマスク的佇まいのディテール——蛍光色と暗色が入り乱れる点描で覆われた顔、閉じられた瞼の中にあったと思しき目玉をふくんだ、針で輪郭をふちどられた半開きの唇、それらが埋め込まれ、覆いをかけるクッションとヴェール——からも、より痛々しい印象を受ける。ミラーボールからの光も、どこかセンチメンタルだ。
身代わりマリーⅢ
他方、《身代わりマリーⅢ》は、中ザワヒデキとの二人展、『DARK SEED : 03 「明けない夜」』のために制作された作品だ。蓋を閉じた状態では透かし彫りの衣をまとったマリア(マリー)様というイコン画であり、そこから観音開きの扉を開くと、サロメのイメージを参照した、磔刑にされ、足へ宝石が刺された罪深きベリーダンサーが現れる。
血塗れで袈裟懸けに骨まで切り裂かれ、心臓と腑(はらわた)が露出してはいるが、その素材と、さらにアラベスク調の透かし彫りが施された箱のカラフルさもあって、グロテスクさやダークなものは感じられず(DARK SEEDなのに!)、ストロベリーの天井で回るミラーボールの光のせいか前本が語るように「作品を祝福してる感じ」「ハレルヤ ハレルヤ」の印象が強い。
《For my yesterdays》と《身代わりマリーⅢ》、二つの作品が対照的なのは、25年という歳月差もあるのだろうか。
前本によれば、作品のタイトルは大槻ケンヂが「特撮」時代に作詞した「身代わりマリー」という曲から来ているという。
私が殺したK
『身代わりマリー』に続いて催された個展『私が殺したK』は、展示名でもある《私が殺したK》一点で構成されていた。1984年に制作され、彦坂尚嘉らとの『グレースケール展』(1984年 ギャラリー手、銀座)を皮切りに、89年にサンフランシスコ近代美術館ほかアメリカ各地を巡回、そしてICA Nagoyaで帰国展を行った『アゲインスト・ネイチャー』にも出品された前本の代表作の一つであり、最近になってとあるコレクターがコレクションに加えた作品だ。
『身代わりマリー』では非売品の「お披露目」がコンセプトの一つだったが、『私が殺したK』は、作品の持つ属性が変化する=コレクターの手元に渡る前の「お披露目」という意味を持つ。
さまざまな素材でブラックとシルバーにデコレートされた輝く帽子とジャケット、同色の、造花の花束というゴシックなテイストのそれは、どこぞのブランドがコレクション用のサンプルとして展開していてもおかしくないようにも見える。
制作当時、私生活で大失恋をした前本は、それを最初から無かったことにする、つまり時間を戻してし切り直す(=殺す)という、曰く「ロマンティック」な理由で作品を創ったのだそうだ。
「終わった相手にいつまでも執着するようなことじゃなくて、さっさと忘れようという、そんな意味合いです」(前本)
私的な経験を制作に活かす、利用するのはアーティストの常套手段だが、暴力的な意味合いばかりでない、さまざまなニュアンスを感じさせる「殺す」という言葉の強さと、作り出されたものの煌びやかさのギャップは、当時から、そして今も変わらず、作家を特徴づける一つの要素だろう。
「私の作品にはプライベートしかない」取材中、前本はそう語っていたが、「殺された」Kはいまどうしているのだろうか。
ミラーボール
冒頭の前本発言を再び引く。
ストロベリーの入り口すぐ左上に設置されたミラーボールは、インスタレーションとしてのこの賑やかなスペースを特徴づける照明装置の一つで、夜間になるとより効果的に空間を彩る。『身代わりマリー』は大雨の午後という悪条件下の撮影だったが、『私が殺したK』では、前本からの提案もあり、日が落ちた後の光を記録した。バイオレットとコバルトの中間で輝くミラーボールは、巡回した他のどの場所よりも作品を「祝福してる感じ」にしたのではないだろうか。
ストロベリースーパーソニック
ストロベリー・スーパーソニックが出来上がるまでの経緯に関しては、レビューとレポートの平間貴大「前本彰子インタビュー」で詳述されているため、そちらを参照してほしい。
平間によるインタビューで、ストロベリーに関して前本は以下のように語っている。
未だ世界がウイルス禍に見舞われる以前のインタビューから二年半ほどが経過し、その大混乱の中でも運営を続けたストロベリーはいま、フェルト作品の販売もする前本の「インスタレーション」でありつつも、ギャラリーとしての機能を追加し、さまざまな作家の展覧会を行っている。今回、ふとしたきっかけで、前本自身も初めてストロベリーで個展を行った。
昨年からは、様々な美術作家に依頼したガチャガチャのカプセル作品が来場者に人気を博している。ガチャ作品を提供する作家には筆者が所属するスタジオのメンバーや大学時代の同級生もいるが、日頃の制作との差が面白い。
しかし重要なのはそれらがあくまで「インスタレーション」の中で行われており、その都度、二ュートラルな空間が仮構されるのではないということだ。つまり、ストロベリーにおける全ての展示も企画も販売も自動的に前本とのコラボレーションとして成立し、それは前本自身の過去作であっても同様である。
その意味で、連続した個展は単なる「お披露目」=再展示ではなく、現在の前本による自身の過去との対話、セルフ・コラボレーションといえるのではないか。
ミラーボールに照らされながら撮影をしつつ、そんなことを思った。
画像:東間嶺 / RAY THOMA
告知
次回展示
前本彰子個展 第三章 『イナーニのために』
日時:11月4日~12月11日(金・土・日のみ) 15:00~20:00
場所:ストロベリー・スーパーソニック
https://twitter.com/strawberry549/status/1589051928516112384?s=20&t=669dxpDOjGsq3BoiLxMIzA
インタビュー本
和田唯奈さんが前本彰子さんにインタビューを行いストロベリー・スーパーソニックについて網羅した本をリリースしました。
ストロベリー・スーパーソニック!
聞き手・編集:和田唯奈
(おまけの「なるとシール」付き)
https://twitter.com/magical_yuina/status/1589210885394169858?s=20&t=669dxpDOjGsq3BoiLxMIzA
取材・執筆・撮影:東間 嶺
美術家、非正規労働者、施設管理者。
1982年東京生まれ。多摩美術大学大学院在学中に小説を書き始めたが、2011年の震災を機に、イメージと言葉の融合的表現を思考/志向しはじめ、以降シャシン(Photo)とヒヒョー(Critic)とショーセツ(Novel)のmelting pot的な表現を探求/制作している。2012年4月、WEB批評空間『エン-ソフ/En-Soph』を立ち上げ、以後、編集管理人。2021年3月、町田の外れにアーティスト・ラン・スペース『ナミイタ-Nami Ita』をオープンし、ディレクター/管理人。2021年9月、「引込線│Hikikomisen Platform」立ち上げメンバー。
レビューとレポート