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TCAA 2022-2024受賞記念展『サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』レポート&レビュー

今回の展覧会では、昨年の海外滞在リサーチでの経験や近作《House of L》や《Super Farm》を下敷きにした新作を発表します。「弱さ」と「力」がそもそも何なのかという問題にフォーカスを当てようと考えました。ライフサイズの玩具のような空間の中で、肉体と化学製品、動物と人間の境界線を越えた体験をすることにより、普段、皆の心の中にあるものが形になってみえることもあります。そこで「ペット」に象徴されるような、何の有用性もないのに、そして普通の進化論的過程における「競争原理」に従うならば生き残るはずもない中途半端な存在にも関わらず、なんだかんだ人間の感情やファンタジーを投射されることで生きる(ある意味「愛」の力だけで生きているような)モノが作品の新しい主役になりました。微力ながら、その不思議なパワーをどこまでも拡張して引き出すことに挑戦していきたいと思います。

(サエボーグ、TCAA WEBサイトより)

コロナ禍に身体への関心が大きく変化したのは、私だけではないと思います。例えば家族のような最小単位の社会においても、他者との距離を意識することが身体の振る舞いに関わっていることを経験しました。カメラの位置やフレームと映る人の関係が、身体が持っている距離感を測る道具になると考えてます。この展覧会は、ポスターが剥がれてるのを見つけた時に、そっと貼り直すような、しなくてもいいことだけど、気づいたことに働きかけた延長にあります。

(津田道子、TCAA WEBサイトより)





2024年3月30日から7月7日まで、東京都現代美術館(MOT)で、本年もTokyo Contemporary Art Award ( = TCAA) の受賞記念展『サエボーグ I WAS MADE FOR LOVING YOU』『津田道子 Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』が開かれている。

同アワードは東京都とトーキョーアーツアンドスペースTOKAS(=TOKAS)が主催し、『海外での展開も含め、更なる飛躍とポテンシャルが期待できる国内の中堅アーティストを対象とした現代美術の賞』(プレスリリース)として2018年にスタートした。
TCAAの大きな特徴として、選考された二名のアーティストは、賞金の他に海外渡航も含めたリサーチや制作資金の補助、MOTでの本展示開催、バイリンガル仕様の作品集作成など、3年に渡る継続的な支援を受けられる。受賞各回には年度の表記が付され、津田とサエボーグは4回目、2022-2024年度の受賞者だ。

これまでの受賞者は以下の通り。

第一回(2019-2021):風間サチコ/下道基行
第二回(2020-2022):藤井光/山城知佳子
第三回(2021-2023):志賀理江子/竹内公太
第四回(2022-2024):サエボーグ/津田道子
第五回(2024-2026):梅田哲也/呉夏枝

筆者は昨年、レビューとレポートからの依頼で、第三回(2021-2023)の受賞者である志賀理江子と竹内公太による、同賞では初(※)の二人展『さばかれえぬ私へ』(2023年3月18日~6月18日)を取材し、インタビューも交えた記事を寄稿した。
その流れもあり、本年も3月29日の内覧会、3月30日の初日に選考委員や担当学芸員も交えて講堂で行われたアーティスト・トークを取材したため、昨年同様、会場の詳細なインスタレーション・ビュー写真を交えたレポートを複数記事に分けて提供したい。

震災復興、戦争、歴史への対峙など複数のテーマを巡る二人展として構成された志賀、竹内と比較し、再び個展が並列する形式に戻った今回の受賞者展からは、当然ながら受ける印象も大きく変わった。

自らデザインした『ペット』のラテックス・スーツを纏い、演劇的空間の中で連日パフォーマンスを行うサエボーグ。他方、映像の虚構性と家族の記憶をモチーフに、日本社会のジェンダーロールを問い直す緻密なインスタレーションを展開する津田道子。

会場は、そうした志向/思考が全く違うかのように見える作家二人が、しかし特定のモチーフやテーマ(ジェンダー、身体性と感情、家というモチーフ等)で意図せず響き合う状態を観客に提示するような構成になっている。
本記事は自身の作品を語る二人のアーティスト・トークを紹介し、それぞれの末尾に展示レポート及びレビューの記事へと飛ぶリンクを掲載する。類稀な世界観や方法論の作品で受賞を果たした二人の展示を記録する資料として、是非お読み頂ければと思う。

※第二回の藤井光/山城知佳子までは個展が同時に行われる形だったが、第三回の志賀と竹内は受賞直後の顔合わせを経て、展示タイトルの共同考案、空間構成などを相互に協力しあう形で展示を組み立てた。詳細は上掲リンクから過去記事を参照のこと。



アーティスト・トーク——サエボーグ、津田道子、ソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイ


アーティスト・トークの様子。左から石川達紘(担当学芸員)、塩見有子(モデレーター)、ソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイ(選考委員)、津田道子、サエボーグ。


アーティスト・トークの様子。津田道子(左)とサエボーグ(右)。


アーティスト・トークの様子。石川達紘(左:担当学芸員)、塩見有子(中央:モデレーター)、ソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイ(右:選考委員)


30日午後に行われたアーティスト・トークは受賞者二人以外に選考委員会事務局から進行役として塩見有子、選考委員のソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイ、担当学芸員の石川達紘が登壇。

昨年同様に塩見が選考過程や歴代の選考委員、支援内容など賞の概要について一通り説明し、登壇している選考委員のソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイによる受賞者へのコメントを紹介。それを受けてソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイが受賞作への所感を語った後、サエボーグ、津田道子がそれぞれ受賞後のリサーチや個展のコンセプトについて報告と解説を行った。
時間の関係上、観客からの質疑時間は設けられず、最後に担当学芸員の石川が賞を主催する側の立場(中堅アーティストがさらに飛躍するための活動サポート)も交えた所感と受賞者への期待を短く述べ、塩見がソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイと二人へトークのトピックからいくつか問いを投げ、それぞれの応答をもってトークは終了した。


モデレーターの塩見有子(特定非営利法人アーツイニシアティブトウキョウ[AIT/エイト] ディレクター)。進行役を務め、TCAA選考会 運営事務局を代表して賞の概要、選考過程について説明した。


石川達紘(展覧会担当学芸員)。「良い展覧会を作る」という担当としての立場と同時に、TCAA側の人間として受賞が作家の新たなチャレンジにつながるのを期待したい、と語っていた。特にこれまでの発表が劇場など規模の小さい会場がメインだったサエボーグが、MOTという大空間で三か月以上という長い会期の展示を終えたあと、作品がどう変化するかに注目しているという。


アーティスト・トークの様子。受賞者による自作解説の前にモデレーターの塩見がスライドで賞の概要や選考過程、審査員についてを説明した。新型コロナウイルスによる渡航制限の影響でソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイは、選考の一環であるスタジオ訪問はオンライン参加だった。


ソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイ。2023年末までオランダ、ロッテルダムのアート・センター『クンストインスティテュート・メリー』ディレクターを務めた。TCAAでは第3回から5回まで審査員の一人として審査を担当。当日は二人の作品についての所感に加え、アーティストの表現したい内容を正確に理解し、評価する選考の難しさについて多く語っていた。


これまでに計3回、のべ4年ほど審査に関わってきたソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイは、昨年登壇したキャロル・インハ・ルー(本年6月9日まで開催されていた第八回横浜トリエンナーレでアーティスティック・ディレクターを務めていた)に比べ、自分とは母語が違うアーティストたちの作品が持つ意味、目指すもの、ポテンシャルなどについて理解し総合的な評価を下す複雑さ、困難さなどについて、より長い時間をかけて語っていた。とりわけ彼女はスタジオ訪問の際、オンラインでの参加だったためより強くその点を感じたという。

塩見が紹介した彼女のサエボーグと津田に関する選評は以下のようなものだ。


象徴性、挑発、痛烈な批評のダイナミズムに満ちていて、そしてその視点は社会における関係性の認識に一石を投じる。強さ、弱さ、支える側と支えられる側、そうした固定観念を問い直す。さらには、わたしたちが真の多様化を目指すにあたって、このようなことが多くの人々に共有されるだろう(サエボーグ)

鑑賞者に内省と社会における相互理解を生み出すため、個人的な変革ではなく構造的な変化の必要性を批判的に自覚させており、改めてそれらの活動を貫く関心と動機の一環した強い制作態度が評価された(津田道子)


サエボーグに関しては「それが現代美術なのかどうか」が審査員のあいだで議論になり、美術館での展示において劇場と同じようにパフォーマンスができるのか、すべきなのか懸念されたが、選評にもある通り家畜に擬態して倫理や道徳を問うスタイルの独自性、ユニークさを評価し、他方、津田は映像を通して普段意識されない社会規範やジェンダーロールを前景化させる手法、とりわけ小津安二郎の映画を素材にするアプローチとその理由(映画という存在が実際の家族に与える影響の新鮮な考察)に注目したと述べた。

ソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイによる評は、手法や作品としてのヴィジュアルは違えど、多様性や社会的関係性の規範を主題化する点において、二人に共通性を見出している。トークの終わりに再び感想を求められた際も、様々な切り口と例示でそれを繰り返していた。

以下紹介するそれぞれのプレゼンテーションからも、指摘の点を感じ取ることができるだろう。



アーティスト・トーク——サエボーグ


アーティスト・トーク中のサエボーグ。今年も海外公演も含めて複数の展示を予定している。

極度にデフォルメを施された家畜や害虫を模した自作のラテックス製スーツを「第二の皮膚、拡張した身体」と捉え、同じラテックス製のオブジェが置かれるランドスケープの中でそれを纏って行うパフォーマンスのシリーズが国際的に高く評価されるサエボーグ。

トークでは2010年に開始し、現在まで続く一連のパフォーマンス(サエボーグによれば、彼女のパフォーマンスは全て関連しあっており、テーマがつながり、拡張してゆくものだという)が意図するもの、それが今回の展示作品『 I WAS MADE FOR LOVING YOU』へどのように展開されているかを、作品素材からパフォーマンスにおけるパフォーマーと観客の関係性まで踏み込みながら詳細に語っていた。以下、彼女の発言を引用しながら発言内容を紹介する。


サエボーグ『 I WAS MADE FOR LOVING YOU』パフォーマンス中のサエボーグ:サエボーグの手によるラテックス製キャラクターには全て名前があり、今回登場する犬は会期中にサエドッグと命名された。


サエボーグが作るラテックス・スーツは「拡張した身体」として個々の人間が持つ年齢、性別、人種、国籍などさまざまな制限や枠組みを超越するための試みであり、切り貼りが容易で可塑性に富んだラテックスはデフォルメ加工がしやすく、人工的な質感と密着性も併せて必須の素材となる。
主要なシリーズである「家畜」キャラクターは全て雌に設定され、ラテックスで作られたランドスケープの中で、生まれた時から与えられた役割を淡々とこなすパフォーマンスを行う。「牛は乳を搾られ、羊は毛を刈られ、鶏は卵を生み、豚は屠畜され、ファーマー(農婦)はストリップをする。母豚は出産し、授乳をする。子豚たちは、産まれ、そして死んでいく。

産業動物たちの生を極端に戯画化したその姿には人間の社会におけるジェンダーロールが重ねられ、先ほど引用したソフィア・ヘルナンデス・チョン・クイの評を借りれば「象徴性、挑発、痛烈な批評のダイナミズムに満ちている」。
それぞれが関連し合うサエボーグの世界で、受賞から3年のリサーチや制作の成果発表という意味合いを持つ『 I WAS MADE FOR LOVING YOU』は、『あいちトリエンナーレ2019』で発表した『House of L』と、それを発展させた『Cycle of L』(高知県立美術館でパフォーマンスおよび特別展示として発表)から直接的につながる作品だという。


アーティスト・トーク中のサエボーグ。画面は『あいちトリエンナーレ2019』に出品した『House of L』。


『House of L』では、ラテックスで作られたオブジェが並ぶリビングルームのようなインスタレーション空間の中で、「家畜キャラクター」が家畜ではなく「アグリーペット=不完全な弱ったペット」としてパフォーマンスし、観客たちと相互関係的なケアを通じたコミュニケーションをおこなった(生まれてきた子豚にミルクを与えるなどの世話、ダンスや遊ぶなど時間を共に過ごす)。(※)
そこでは「管理や屠殺の暴力性、社会的マイノリティや弱者をめぐる直接的で分かりやすい権力関係が問われるのではなく、背後にある問題、つまり「弱さや力というものはそもそも何なのか?という問題」にフォーカスが当てられた。家というモチーフは家族にとっての聖域(サンクチュアリ)であると同時に、当然ながら「封建的権力やジェンダーの様々なイシューを象徴的に孕む両義的空間」だが、『あいちトリエンナーレ2019』のテーマでもあったエモーション(情)の時代と称される昨今の状況にあっては、「より繊細で深みがあり、もっと大きなものに疑問符をつける必要がある」との判断から作品のコンセプトが設計された。
『House of L』に登場する「アグリ―ペット」には「不完全な存在だけれども、その弱さが人間の心に揺さぶりをかけるのではないか」との意図が込められており、観客たちには、暗にそれらとどう向き合うか?との問いが投げかけられていた。両者が直に向き合い、触れ合うそのコミュニケーションの中から、サエボーグは「本当の愛とは何か?」を教わりたかったという。

(※)家畜の定義は狭義に繁殖がコントロールされている状態、即ち【「生殖が人の管理下にあり、野生群から遺伝的に隔離された動物」】とされるため、サエボーグはペットは家畜に含まれると解釈している。



サエボーグ『 I WAS MADE FOR LOVING YOU』インスタレーション・ビュー:サエドッグを囲む観客たち。


『 I WAS MADE FOR LOVING YOU』は、そうした問いかけを『ペット』という存在により象徴的な意味を持たせた上で引き継いだ作品である。産業動物に比して、何の有益性もない、「進化論的な過程における競争原理に従うなら淘汰の対象でしかないが、人間の感情やファンタジーが投射されることで、つまり「愛の力」がやり取りされることで生きている」ペットを通して、人間と動物の境目、家畜やペットの境目、生政治(※)に内包される問題=情動の政治を扱うという。

(※)フランスのポストモダン哲学者、ミシェル・フーコーが主著『監獄の誕生』他で論じた権力の概念。フーコーは、近代の国民国家における権力(生-権力)下では、市民の生活や内面にまで介入し管理しようとする「生政治」の動きが強まる、と分析した。新型コロナウイルスのパンデミック以降、その対応策(移動規制、ロックダウン等)の是非を巡って再び注目されている。


会場は二つに分かれ、『House of L』とも共通する素材で構成された「静かな、ちょっと怖い、牧場のようにもみえるし、森の迷宮のようにもみえるというカオティックな世界」を通ると、眼前にはドールハウス的な「不穏な家」が建つ。そこを抜けると、「みんなを待っているのは半分消えかかっている世界」だ。
会場には反復するホワイトノイズのような音が継続して流れており、周囲の壁は異世界の森や平原を思わせる図像の描かれたターポリンで覆われている。空間の中心には内部から発光している丸い形の台と、それを囲むように椅子が置かれており、台の上には「ペット」であるラテックス・スーツの犬(サエドッグ)が座って、何かを訴えかけるように観客の方を見ながら動き回っている。
台の上に座すサエドッグと観客の関係について、サエボーグは以下のような狙いを語った。

「台は礼拝堂、またはストリップ劇場のような雰囲気にしたかったんですが、場所の意味性に気を取られるよりも、その装置で観客とパフォーマーが何をするかがもっと重要です。そこは(お互いの)目線が交差する場所でもあり、犬と私たちのあいだでどういう情動関係が生まれるか?それを増幅させていけるのかの実験です。ペットの可愛さって、生きるか死ぬかに直結していて、可愛がられることに特化したペットは人間によって改良された動物社会の中では、介護ワーカーのような立場を担っているのだと思っています。人間はペットの世話をし、ペットは人間の心のケアをする、それがケアにまつわる暗黙の社会契約だと思うんですが、普段それらはあまり可視化されません。インフラ的なシステムで、重要ではあるけれど、気付きにくい。今回の展示空間では、ケアする動物に対して、人間が消費者及び管理者の役割を担う関係が見えるような、そして、それらを超えるような、抜け出るような、反転するような瞬間が生まれることを期待しています。動物をケアしていると思っている人間が、実はペットによってケアされていると気づける、そんな人間と動物がつながったかも?という瞬間にはオーラが発動するんです」


サエボーグ『 I WAS MADE FOR LOVING YOU』インスタレーション・ビュー:パフォーマンス中のサエドッグ。


会場の照明はときおり天井の照明が落ち、台の上の光だけが暗闇の中でスポットライトのようにサエドッグを下から包み込む瞬間があるのだが、どうやら、それが「オーラ」のようだ。
7月までの長い会期のあいだ、台には基本的にサエドッグが座り、インスタレーション空間の中でのパフォーマンスを通して観客と関係性を持とうと試みる。それらはインタラクティブなもので、固定化された動作が決まっているわけではなく、訪れる観客とのやり取りで常に調整、検討される。故にサエボーグにも展示がどう変化するか/しないか、想像がつかないところがあるという(会期も後半に差し掛かる現在、既に様々な変化が生じているようだ)

サエボーグは上記の変化に関して、以下のように述べてトークを締め括った。

「後半に行くに従って良くなると思うので、是非、定期的に犬たちに会いに来てほしい」


アーティスト・トーク中のサエボーグ。


※サエボーグのインスタレーション・ビューと展示レポートは以下リンクから。

“弱さと愛” サエボーグーー『I WAS MADE FOR LOVING YOU』レポート&レビュー
後日公開!



アーティスト・トーク——津田道子


津田道子。年明けに発生した能登半島地震で金沢に住む津田も被災し、「3月の展覧会に影響が出るかもしれない」と懸念した瞬間もあったと語っていた。「そうした状況でしたので、開催することができて心から嬉しく思う」


サエボーグのトークを受け、津田は受賞後に行った自身のリサーチ(海外活動)について、動機の点からスライドを交えて説明した後、サエボーグ同様、本展示である『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』の解説を、選考会で指摘されたポイントを含めて詳細に行った。サエボーグ同様、津田の発言を引用しながら以下に内容を紹介する。

津田は受賞年である2022年の秋、新型コロナウイルスによる渡航制限が緩和されはじめたタイミングを狙って米国や欧州へ渡航リサーチを行い、展覧会への参加(※1)目的も入れて13都市以上を訪れた。
代表的な訪問先として、サエボーグと共にドクメンタやマニフェスタを鑑賞したドイツやコソボ、ラウシェンバーグなど数々のアーティストを輩出した歴史的なアート・スクール『ブラック・マウンテン・カレッジ』のミュージアムが所在する米国ノースカロライナ州アッシュビル、津田がコロナ禍で本格的に取り組み始め、作品にも取り入れているランニング発祥(※2)の土地であるギリシャのマラトンなどがある。

(※1)デンマーク、コペンハーゲンで行われた「Windowology: New Architectural Views from Japan 窓学 窓は文明であり、文化である」展に出品。
(※2)この都市を巡る戦争『マラトンの闘い』から、マラソンという言葉が生まれた。


ようやく渡航制限が緩和されたタイミングだったため、リサーチは訪問先を増やすことを優先したという。

「この貴重な時間を利用して、外国を色々観たいなと思いました。そのため、この資料が、とか、この人に会いたくて、とか、そういう気持ちも勿論あったんですが、今回のリサーチはより多くの場所を観に行くことを優先しました。目的を決めていなかったので、予定も決めきらなかったのですが、結果的に13都市を訪問しました」

サエボーグと共にドクメンタやマニフェスタを観て周り、その後に訪れたギリシャのマラトンは、近年、津田が作品にも取り入れているランニングの語が生まれるきっかけになった都市(上掲注参照)でもあったため、主なリサーチ先の一つだった。

「マラトンは、私がコロナ中にランニングを始めたこともあって訪問したい場所の一つでした。コロナ前まで、私は身体性に注目したパフォーマンス作品をつくってはいたものの、自分の身体に向き合ってはおらず、身体と頭が離れている状態だったと振り返ります。コロナ禍になって、身体などの一番身近なものごとに向き合わざるを得なくなり、あと体力作りもしたくて(笑)始めたのですが、自分の確認をするには凄く良い方法でした。サエボーグさんと一緒に行ったドイツやコソボでも走ったのですが、土地の空気を知るのにも良かった。朝なので、日中に見るとは違う風景に出会えたりして。この方法を作品にしていきたいなと思いはじめました」


リサーチ訪問したマラトンで撮影した写真の説明をする津田。到着の翌日、ホテルの近隣で、英語の情報がないほどローカルなハーフ・マラソン大会が開催されると知り、急遽の参加を決行。現地の参加者と。記念のメダルは参考展示として会場に飾られている。二人ともゼッケンをつけていないが、申し込みをせずに参加する人は他にもいて、マラトンで走ることを楽しむアットホームな雰囲気だったという。


マラトンで参加したマラソン大会での走行データ。ランナーとして常に記録を残している。


マラトンで参加したハーフ・マラソンの完走記念メダル。関連資料として展示されている。


また、米国への訪問では、ナチスによるバウハウス閉鎖後、ヨーロッパから逃れたジョセフ・アルバースが教鞭を執り、数々の著名アーティストを輩出したことで知られる『ブラック・マウンテン・カレッジ』の跡地と同校を紹介するミュージアムを訪れ、現館長の誘いでビデオ・ストリーミングのプログラムへ参加するなどの縁が生まれた他、2~5歳まで在米生活を送った津田にとって、自身のルーツを探る意味合いもあったという。


渡米時の写真。『ブラック・マウンテン・カレッジ』を紹介するミュージアムで館長と。この際の会話でプロジェクト参加への誘いを受け、昨秋に実現した。


「アメリカには以前、ACCの助成で半年ほど滞在していたのですが、今回、その際に訪問できなかった『ブラック・マウンテン・カレッジ』の跡地とミュージアムに行きました。館長とお話しさせてもらって色々な資料を拝見し、去年の秋にはビデオ・ストリーミングのプログラムに参加しないかとのお話を頂きました。同時に、私は二歳から五歳までアメリカに住んでいたので、訪米はルーツについて考えるきっかけにもなりました。2019年に母と旅行をした際は、保育園の教諭だった女性と再会しました」


リサーチ外で渡米した際の写真。在米時に幼稚園の教諭だった女性と再開し、幼稚園の跡地で記念撮影をしたという。


TCAAの受賞者インタビューでも触れられているが、選考の一環として東京都現代美術館で行われたスタジオ訪問の際、津田は作品の資料として津田家ではじめてホームビデオが撮影された日の映像を紹介した。
それは選考委員に思いもかけない反応をもたらし、津田は自身が近年取り組んできた、小津安二郎の映画をモチーフに日本社会のジェンダーロールを問い直すような作品、さらには過去の作品における自身の原点(=家族との関わり、カメラの存在)を明確に意識したという。結果的に、ホームビデオは本展示『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』の中核部分を構成する素材となった。

「ホームビデオに関する審査員の方々とのやり取りで、これまで発表してきた色々な作品について互いに合点がいき、スムースに他の作品について解説することができたんです。小津についての作品や、過去作として展示している鏡を使った作品、身体性に着目した作品など全て1988年に我が家へ初めてカメラが来た日の映像が原点なのではと思い、今回はそれをモチーフに制作しました」


家族をモチーフにしたはじめての作品である《あたたとわなし 家族》。映像の特性を探っていた学生時代の2007年に制作された。左右対称の部屋を作って対称軸上に鏡を置き、その中に映る祖母、母、姉、津田を振り子のように揺れるカメラが撮影することで、空間が揺れて人物が入れ替わるかのような錯覚を引き起こす。会場では入り口の横に展示されている。


津田が『原点』だとするホームビデオをモチーフにした作品は『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』において『カメラさん、こんにちは』『生活の条件』に分割され、そのあいだを『振り返る』という作品がつなぐ構成になっている。
『カメラさん、こんにちは』は、1988年、津田家にはじめてビデオカメラがやってきたその日の映像を、オーディションで選ばれた役者たちが父、母、子と「役割を変えながら」演じる映像に加え、観客がその映像と同じセットに入りこみ、映像の一部になるインタラクティブなインスタレーションなどで構成される。
津田と家族を演じる俳優は12名に及ぶが、人数が増えた過程についてはオーディション時の予想していない発見があったという。


『カメラさん、こんにちは』の説明をする津田道子。津田家で初めて撮影されたホームビデオ映像をモチーフに役者が「演じる」ことで、家族の機能、社会的関係性、ジェンダーロールなどが問い直される。


『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー。同期する11画面に現れる「家族」は、画面ごとに役者の役割(父、母、子)が変わっている。


「50名以上の応募があった中から選んだ12名です。役割を入れ替えながら6パターンの3人家族を撮ろうと考えていたところ、オーディション中にさまざまな組み合わせの「家族」が立ち上がってきたんですね。もっと色んな「家族」が見たいと思ったので、最終的に12名の俳優が出演する12パターンの「家族」を撮影しました。それは11画面の同期しているモニタと、もう一つ、別のインタラクティブなものとをあわせた12の映像になっています。後者は観る人がオーバラップの経験をするのですが、それは映像と同じ経験ではなく、俳優の身体が自分にオーバーラップする「ちょっと気持ち悪い経験」です。これがどういう経験なのかまだ言葉にできていないので、これから考えていきたいです」


『カメラさん、こんにちは』インスタレーション・ビュー。同期する映像とは別に、映像と同じセットが組まれ、それを映すカメラが設置されている。観客は、壁面投影されるその映像の中に入り込むことができる。


12名の俳優が演じる津田家の様子は、初めて家庭にやってきたビデオの「視線」と「フレーム」を意識しながら、食卓に置かれた果物、小学生だった津田がその日観てきた映画、映画から派生した両親の結婚にまつわる冗談などが5分ほど展開する、言ってみればどこにでも存在するホーム・ムービーだが、上述したように小津の映画に登場する食卓のシーンをモチーフに制作をしていた彼女にとっては、全く意識していなかった自身とのつながりを発見する記録となった。

「食卓を固定カメラで撮って結婚の話をするというのは小津映画そのもので、それに気づいたときにはゾッとしました。フレームの中心が家の中心だと捉えていて、カメラというものが持つ権力が、家という社会の権力と重なっている。それらの要素は、自分がこれまで作品で取り上げてきたものでもあります」
「映像の言葉は元のビデオから起こしていて、創作した部分はありません。前後で分かりにくいところや、一人称を名前から私に変えただけ。そうしたのは、私個人の思い出ではなく、誰にも置き換え可能なものにしたかったからです。12名の中には在日韓国人の方2名、ウズベキスタンの方1名がおり、それぞれの言語で演じてもらっています。なるべく多くの言語で受け入れてもらえるような試みなんです。役者さんには映像の完璧なコピーをしてほしいわけではなく、それぞれの家族を振り返りながら、それぞれの解釈で演じてほしいとお願いしました。なので、同じ台本ではあるけれども、尺に1分以上の開きがあります」


『カメラさん、こんにちは』台本写真。会場には台詞入りの台本がラミネート加工された上で置かれている。


『カメラさん、こんにちは』撮影台本。進行は複雑で、時間、俳優の組み合わせ、カメラ、セットの状況などが細かく指定されている。

父、母、子と、同じ俳優が父にも母にも子にもなり、卓上のブドウを食べ、画面を動き回り、フレームアウトする。映像内でのそれらの動き、動作は、もう一つの展示作品『生活の条件』で動き、動作自体が抽出され、津田がこれまで発表してきた、映像メディアの特性を利用し、観客に錯覚を起こさせるようなインスタレーションとして展開している。

『生活の条件』も観客が映り込む作品です。スクリーンの枠が八個あり、スクリーンが四つある。スクリーンでは色々な動作をする人が出てきます。これは先ほどの作品『カメラさん、こんにちは』に出てくる人が「家の中で行っている動作」をより抽象化して「動きになってください」という指示を出して振り付けています。例えば、ホームビデオの映像内ではブドウを食べていますが、「ブドウを食べるとは…」という動きをより抽出しています。そうした「動き」は全体で40近くあり、「歩く」などの動きをさらに細分化して、のべ80近くあります。横向きのスクリーンでは寝ている人もいるので、ゆっくり見ていただきたいです。


『生活の条件』インスタレーション・ビュー。8つのスクリーンと、映像が映される4つのスクリーンが組み合わされたインスタレーション。観客は、何も上映されていないスクリーンに映る自分の姿と、スクリーンに上映される「動きになってください」と指示された役者の映像が空間の中で重ね合わされる瞬間に遭遇する。


通路に設置された展示作品『振り返る』を解説する津田道子。「シンプルな作品ですが、凄く複雑な認識の状態が起きています。廊下の先から撮影しているカメラの映像が1分遅れてスクリーンに映るんですが、観客の方は自分が映り込むことで何が起きているか捉えるのが難しくなり、それを捉え直そうとすること自体が、時間だったり自分の身体だったりを振り返ることになるんです」

先述したように、『Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』での津田の展示は『生活の条件』を通りぬけ、そのあいだをつなぐ『振り返る』の空間を通り、『カメラさん、こんにちは』へたどり着く構成になっている。観客は分割された、その時点ではよく分からない動きをし続ける人々と自身が(スクリーンや鏡への映り込みで)入り混じる作品の答え合わせをしてから、また入口へと戻る。帰り道でもう一度観る『生活の条件』は、最初とは異なった印象を与えるだろう。その経験自体が「人生はちょっと遅れてくる」という展覧会のタイトルが示唆するものの一つではないか。

サエボーグより長い時間を要した津田のトークは『振り返る』の解説で締め括られた。以下、展示作品のより具体的なレポートを掲載したエントリを掲載する。津田のコメントと照らし合わせながらお読み頂ければ幸いである。


アーティスト・トーク中の津田道子。


※津田道子のインスタレーション・ビューと展示レポートは以下リンクから。

“答えあわせはまた後で” 津田道子ーー『 Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる』レポート&レビュー
後日公開!




サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」
Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞記念展

会期:2024年3月30日(土) ~  7月7日(日)
休館日:月曜日(4/29、5/6は開館)、4/30、5/7
開館時間:10:00-18:00
会場東京都現代美術館 企画展示室3F
入場料:無料

https://www.tokyocontemporaryartaward.jp/exhibition/exhibition_2022_2024.html#link01




取材・撮影・執筆:東間 嶺
美術家、非正規労働者、施設管理者。
1982年東京生まれ。多摩美術大学大学院在学中に小説を書き始めたが、2011年の震災を機に、イメージと言葉の融合的表現を思考/志向しはじめ、以降シャシン(Photo)とヒヒョー(Critic)とショーセツ(Novel)のmelting pot的な表現を探求/制作している。2012年4月、WEB批評空間『エン-ソフ/En-Soph』を立ち上げ、以後、編集管理人。2021年3月、町田の外れにアーティスト・ラン・スペース『ナミイタ-Nami Ita』をオープンし、ディレクター/管理人。2021年9月、「引込線│Hikikomisen Platform」立ち上げメンバー。


レビューとレポート