「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」 風間サチコ「Magic Mountain」レポートとインタビュー 木村奈緒
行く先々で人々が足を止め、顔を上げ、スマホやカメラを構える──。
東京都現代美術館で開かれた「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」における風間サチコの展示「Magic Mountain」には、そんな光景が広がっていた。
Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)は、中堅アーティストの活動支援を目的に、2018年に創設された現代美術の賞。賞金の授与、海外での活動支援、展覧会の実施、モノグラフ(作品集)の作成を軸として、複数年にわたる継続的な支援を行う。第1回の受賞者は風間サチコと下道基行で、本展はその受賞記念展にあたる。
展覧会は3部構成。下道、風間の順に個展形式で作品が展示され、最後に下道と風間の初期作品が並べられた。TCAAの公式サイトで展示の会場風景やアーティスト・トークの映像が公開されているほか、今号のレビューとレポートでは平間貴大による下道の展示レポートとインタビューが掲載されているので、そちらもぜひ参照してほしい。本稿では、風間の展示の概要を伝えるとともに、風間の自宅兼アトリエ「かざまランド」で収録したインタビューを中心にお届けする。
画業を一望する「Magic Mountain」
画業25年超にわたる風間の旧作から新作までが一堂に会した本展は、さながら回顧展といった趣き。展示は山にまつわる旧作で幕を開け、人工的に山肌が削られた秩父の武甲山を描いた《セメントセメタリー》、戦時中に多くの朝鮮人労働者を徴用して作られた黒部第3ダムを取材し、黒部市美術館での個展「風間サチコ展 コンクリート組曲」で発表された《ゲートピア No.3》、同じく同展で制作された《クロベゴルト》シリーズが続く。
《セメントセメタリー》
《クロベゴルト》シリーズ
漆黒に塗りつぶされた展示室には、展示タイトルでもあるトーマス・マンの小説『魔の山』をテーマとした新作群の世界が広がる。展示されたのは1枚の版木を用いて2枚の対になる場面を描いた組作品《肺の森》シリーズ、版画と版木で1枚の場面を構成する横幅3m超の大作《ツァウバーベルク》。風間が『魔の山』の主人公、ハンス・カストルプ青年と同じ年の頃に結論づけた「二元的概念は凡そ表裏一体」(※1)という考えが体現されているようである。
『魔の山』を題材にした新作群
魔の山を抜けて、ふたたび明るい会場に戻った観客を、今度は風間の大作群が迎える。風間が初めて挑んだ大型作品で、大型公共事業を描いた《風雲13号地》。日本における核の災害史を描いた《噫!怒濤の閉塞艦》。SNSの炎上や相互監視社会の禍々しさを描いた《人外交差点》といった作品が並ぶ。
それらの作品のなかでもひときわ目を引くのが、横幅約6m40cmと、風間の作品の中でも最大サイズの《ディスリンピック2680》だ。「優生思想で統制された近未来都市「ディスリンピア」で2020年に開催される、架空のオリンピックのオープニングセレモニーを描いた」(※2)本作。建設中とも廃墟ともつかぬ無観客のスタジアムで、甲乙丙丁戊にランク付けされた人民によって繰り広げられる一糸乱れぬセレモニーは、一年延期の末、開催された東京オリンピックの開幕式をしのぐ迫力だ。
《風雲13号地》(写真手前)
《ディスリンピック2680》
新型コロナウイルスの感染拡大と緊急事態宣言の発令にともない、会期半ばで1ヶ月にわたって展示がクローズする事態に見舞われた本展。しかし、最終的には2万7千人もの観客が訪れた。同時開催された「ライゾマティクス_マルティプレックス」展、「マーク・マンダース ―マーク・マンダースの不在」展と合わせて足を運び、今回初めて風間や下道を知った観客も少なくないと思われる。続く風間のインタビューでは、そうした新たな観客にも向けて、受賞にまつわるエピソードに加え、制作手法やこれまでの作家活動について語ってもらった。
風間サチコ氏
TCAA受賞と、新型コロナウイルスの感染拡大
(以下、風間)TCAAの最終審査がスタジオビジットだったんですが、有名なキュレーターの方がこの狭いスタジオにいらっしゃって。私は英語が全然ダメなので、通訳の方に手伝ってもらいながら、言葉が伝わらないぶんテンション高めにプレゼンテーションしました。
自分の最もわかりやすい仕事をプレゼンしなきゃダメだと思って、当時の代表作の《ディスリンピック2680》の制作背景や取材方法を説明しました。資料として集めた古本が、審査員の方には物珍しかったみたいで、図版をコピー機で拡大して切り貼りするアナログな制作手法も面白がってもらえたようです。スタジオビジットは初めてだったので緊張しました。
スタジオビジットでも関心を集めた古書を手に
スタジオビジットの際に、「TCAAの受賞者には副賞として海外での活動支援がありますが、どのように活用したいですか」と聞かれて、ドイツに行って《ディスリンピック2680》のテーマのひとつである全体主義やナチズムの源流にある弱者や人種に対する弾圧だとか、現実にあったベルリン・オリンピックをリサーチしたいと答えました。そのリサーチをもとに、今度はオリンピックではなく「運動会」を描こうと思ったんです。
ドイツ表現主義の人たちがヒトラーに退廃芸術の烙印を押されたことに反抗する暴動を運動会として描きたいなと。「退廃芸術 対 健康至上主義の大運動会」とでも言いますか。受賞して、実際に2020年3月16日から2週間ドイツに滞在する予定でした。2019年末にはホテルと航空券の予約を済ませていましたが、年が明けたらだんだん雲行きが怪しくなってきて。新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、自分は大事をとって渡航を中止したいと思ったんですが、行ったほうがいいという人もいて板挟みになってしまいました。こんなことは考えちゃいけないんですが、誰の目にも明らかに行けない状況になってほしいと願う心境にまで至ってしまいました。
私、ヤフコメを見るのが好きなんですけど、ヤフコメではオリンピックの開催をめぐって、「これだけ感染者がリバウンドしてるんだから中止だろ」という意見が多いんです。感染者が増えれば、五輪中止が決まるだろうという期待感と、感染拡大すれば私の渡航も中止になるだろうという願いは似ている気がします。自分のために悪い方向を願う行為は本当に良くないけれど、それもコロナの影響のひとつなんだろうなと。渡航中止が決まるまではとても苦しかったです。
「Magic Mountain」での資料展示
コロナという状況を自分なりにとらえる
TCAA受賞記念展での展示のために思い描いていた「運動会」の作品プランは、ドイツでのリサーチを前提に考えていたので、2月下旬に渡航中止が決まった時点でボツにしました。もともとあったプランだからと無理に作っても中途半端な作品しかできないし、モチベーションもあがらないと思ったんです。それならば、人の不幸を願う心理状態にまでなってしまうコロナという状況を自分なりにとらえて作品にしたほうがいいなと思いました。
それで、手元にあった『魔の山』を見て、あれっ?と思ったんです。2019年末に読んだ2020年の年間占いに「2020年のあなたは、トーマス・マンの小説『魔の山』のハンス・カストルプのようにユニークな人々に出会い、いろいろなヒントをもらうことでしょう」とあって、2020年のお正月から読みはじめていました。
『魔の山』は結核の話だし、そのときに読んでいた箇所が、従兄弟のお見舞いでサナトリウムを訪れたハンス自身も結核患者であることが分かった場面でした。自分が病気なのか病気じゃないのかモヤモヤした感じとか、病気だと診断が下るとすっきりしちゃう主人公の心境だとかが、渡航中止が決まって逆にすっきりした自分の心境とリンクしてすごくぴったりきたんです。それならば、『魔の山』を自分なりに読み解いて、そこから出た感情やイメージを作品にしたら面白いんじゃないかとひらめいて。読書は苦手だけど、一生懸命読破して作品に仕上げようと思ったら本当にすっきりしました。
しかも、今まで「社会 対 私」という対立軸で作品を作ることが多かったんですが、本当のところは、内省の世界で絵を描くのが好きだったんです。中学時代に引きこもりっぽい状態で絵を描いていたときと近い作業を50歳近くになってできることにワクワク感がありました。初心というより、作家になる前の少女時代に戻れるようで。
「かざまランド」本棚の『魔の山』
「退廃芸術展」風の展示空間
展示構成については、下見のときに会場がとても大きく見えたので、とにかく壁面を埋めたいと考えました。ナチスが開いた退廃芸術展の写真を見ると、何の脈絡もなしにぎゅうぎゅうに作品が飾ってあって、作品の横には「社会のクズ」「こんな人間生きてていいのか」とかって落書きされているんです。でも、水平器を使ってきちっと飾るセオリーを壊すような展示方法にあこがれもあって(笑)。今回作品をたくさん展示したのは、退廃芸術展のイメージも少し影響しています。
下道さんとは、確か1回しか打ち合わせをしていなくて、それも展示の順番を決めただけで。最後の共同スペースは下道さんが「ちょっとした回顧展のような展覧会になりそうだから、ふたりの初期の作品を展示したらどうですか」とアイディアを出してくれました。それが素晴らしいアイディアだったので、展示をしてみたら共鳴し合う部分があってすごく面白かったですね。下道さんも私も戦争遺跡が好きなので、休憩時間に戦争遺跡の話で盛り上がりました。
極限状態で仕上げた《ディスリンピック2680》
作品は、まずシャープペンで描いた図柄をスーパーの5円コピーでいろいろな大きさに拡大縮小して、それを切り貼りして下絵を作ります。そうしてできた下絵をコピーして版木の枚数分に切り分けて、切ったものを大型コピー機で版木の大きさに拡大してもらいます。版画なので、鏡像反転させたうえで版木に一枚一枚トレースしていきます。《ディスリンピック2680》は28版あるので、1〜2ミリずれるだけで、版木を合わせたときに絵が変わってしまうんですね。なので、線も上からなぞるのではなく、3ミリとか5ミリの線のアウトラインをなぞってトレースします。それからようやく彫り始めです。全部一人でやるので、すごく大変です。
《ディスリンピック2680》下絵を自ら広げて見せてくれた風間氏
《ディスリンピック2680》は、構想に5年かかっているのですが、下絵を完成させるのに時間がかかってしまって、彫り始めから原爆の図丸木美術館での展示まで半年しか時間がありませんでした。下絵を作るにあたって、最初に決めたのはイメージサイズで、全体主義を効果的に見せるには、巨大にするしかないなと。ファシストはやっぱり巨大なものが好きなので、物理的に大きくしようと。
ナチスの本やファシスト党の建物の写真を色々見て、これだと思ったのが、パースが奥に行って、前がバーンと広がった左右対称の構図です。神殿的なイメージで、ワーグナーのオペラの舞台のような、浅いんだけども奥行きがあるみたいな不思議な空間。構図的には単調だけれども、この単調さがやっぱりファシズムなんだと気がつきました。
それから、虐げられてる人、中位の人、最優秀の人という階級が一目瞭然になるよう意識しました。画面が大きいからこそ要素を詰め込むのではなく、ぱっと見てストーリーというか、どういう世界が描かれているのかが分かる構造にしないとダメだなと。私が独裁者だったらどういう祭典を開くか空想している感じですね。ただ、私はあくまで表現者であり観察者なので、作品の世界に入り込んでいる部分もあるけど、当事者になっちゃいけないんだと、いつも線引きしています。
結局、丸木美術館の展示が始まる2日前でも4版が彫りきれてなくて、最後は極限状態で完成させました。手が震えてお箸も持てなくなっちゃったので、星飛雄馬のようにガチガチに硬いサポーターで固めて絶対に彫刻刀を離しちゃダメだ!みたいな(笑)。でも《ディスリンピック2680》はMoMA(ニューヨーク近代美術館)に収蔵されましたし、原爆の図を巡回させた丸木夫妻に感銘を受けて、「ドサ回り」用の版を刷ったおかげで、いろいろな場所で展示ができました。真ん中の卵を割っているところがワクチンを予感させるとか、太陽みたいなところがコロナなんじゃないかとか、真ん中の小学生の列が、子どもたちの観客動員じゃないかとか、いろんなものが符号しつつある恐ろしい作品ですが……次は無観客かな(笑)。オリンピックの後に、答え合わせ的に見ることもできるかもしれません。
「かざまランド」の本棚の一部
「自分には木版画しかない」と信じてやる
TCAAを受賞して、東京都現代美術館という大きな場所で展示をやらせてもらえることは、すごく大きなモチベーションになりました。海外活動はできなくなってしまったけれど、自分なりに工夫して切り替えることができて満足してるし、何よりたくさんの人に見てもらえたことが嬉しいです。ライゾマティクスとマーク・マンダースという大きな展覧会があったことで、記念展は無料だから覗いてみようかなって軽い気持ちで観てもらえたのがすごく嬉しかったし、得るものがとても多かったです。
今日までキャリアを築いてこれたのは、木版画という自分だけの方法があったことが一番大きいですね。アート界の潮流としては、コロナ禍もあって映像作品のほうが目にする機会が多いと思うんですけど、自分自身は木版画というものを信じてずっとやるしかないなと思っています。周りがわーって進んでいくと置いてきぼり感があるし、あの方法もこの方法もあるって学ぶことも大切だけど、単純な思い込みが自信につながるので、これしかないとあえて思うことも大切なのかなと思っています。
《肺の森》シリーズの版木
こういうインタビューだと、「社会に対する怒りが作品作りの原動力になっている」と言いがちなんですが、実際のところ本当にそうだろうかという疑問が最近湧いてきて。アーティストの原動力を一言で表すのは難しいんですが、モノを作ることが好きだというのはあると思うんです。彫刻刀と和紙とインクとバレンという、本当にシンプルな道具と技術で自分のイメージや世界観をばっと立ち上げてみなさんに見せることができる。それが一番の喜びです。
今回、この展覧会に全力投球したので、今はまだ次に何をやりたいかは言えないんですが、やり残したことを今年中にやりつつ、コロナの状況をもうちょっと観察して自分なりに考えをまとめたいと思っています。
(2021年7月1日収録)
展示写真=平間貴大
インタビュー写真=木村奈緒
※1 風間サチコ『魔の山考(菩提樹によせて)』より
※2 風間サチコ『予感の帝国 風間サチコ作品集』(朝日出版社、2018)より
「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」(終了)
会期|2021年3月20日(土・祝)~6月22日(火)※4月25日(日)~5月31日(月)は臨時休館。6月1日(火)より再開し、6月22日(火)まで会期を延長。
会場|東京都現代美術館 企画展示室 1F(東京都江東区三好 4-1-1)
出展作家|風間サチコ、下道基行
主催|東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 トーキョーアーツアンドスペース・東京都現代美術館
協力|公益財団法人 福武財団、無人島プロダクション
詳細|https://www.tokyocontemporaryartaward.jp/
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木村奈緒
フリーランス。1988年生まれ、2010年上智大学文学部新聞学科卒。メーカー勤務などを経て、現在はライター業を中心に、取材執筆をはじめ、各種展覧会やプロジェクトの企画・運営などを行う。2015年、東京で「わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展」を開催。https://kimuranao.tumblr.com/
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