女は誰だってマウントを取りながら生きていく生き物であるという話(その1)

どうも、まつり(30代・女)です。

noteって何書いたらええんやろ?と考え、わたしが行き着いた答えは、

「リアルで言えないことを書き、ストレスを発散する」

その先に共感が得られれば自らの本心とマッチしたお友達ができるかもしれない。

ということで、今回はマウンティング女子の話。

これはシリーズものにできるくらい思うところがたくさんあるので、

自分の経験を交えながら投稿していこうと思う。


さて。突然ですがわたしは学生の頃、社会人になってから、一度としてうまく女子の群れに入れた試しがありません。

何故だか必ず誰かに嫌われるし、いじめにあっていた時期もありました。

社会人になってからも、同期の女に執拗に嫌われたり、女上司にパワーハラスメントを受け激ヤセした時期もありましたね。


そうして培われたわたしの歪んでいるかもしれない目による考察。

これはかなり悩みに悩んだのできっとそうだ。

「女」であれば絶対に皆持つ唯一の共通点。


「女は絶対にマウントを取る生き物である」ということだ。


どんなBBAだって、地味な女だって、一見性格の良さそうなあの子だって皆当てはまる。

何ならわたしもそうだ。

なぜかというと「女社会はマウントを張り自らのポジションを獲得することによって社会的地位を確立するから」である。


このマウント、たった4文字だが実に難しい。

なぜなら、周囲の空気を読み、自分の取るべきマウントを理解し、マウントを取る瞬間も計算されつくされたタイミングでないと失敗し、社会的な地位は失墜するからである。

女で社会的な地位の失墜は後の人生に多大な影響をもたらすほど大きなものである。

失敗は基本的に許されない。

そういう社会で生きてきた女という生き物は、基本的に男よりもこの点非常に優れた能力を持っていると思う。


ただ良くわからないが私は英語ができるわけではないからこれは日本人特有なのかもしれない。

アメリカ人とかさっぱりしてそうだし、日本社会特有なのかもね。


小学校、中学校、高校、大学、社会人それぞれのヒストリーと今思い返せばの考察があり、

自らの人生に共通していえるのは「マウントの張り方を間違い続けてきた女」であったということ。

そして今の自分があるということ。


これはわたしの人生をかけた失敗談である。

器用に生きられる人は特に見なくていい、酒の肴にでもしてくれればよい。

不器用に生きている女の子(特に今学生している子)に見てほしい。

そんなシリーズにしようと思う。


今後アップします。よろしくね。

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