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娘が遂に笑うようになって、親が日常生活に支障をきたしている話
子どもができる前は、人間は生まれた時から感情を表出する術を持っているものだと思っていた。
ところがどっこい、新生児の笑わないこと笑わないこと。
仕方のないことだとは思いつつ、少し残念に感じていた。
新生児期にも、笑った気がする瞬間は確かにあった。
しかし、ほんの一瞬なうえに、赤ちゃんが笑っているのか、見ている大人が笑っていると勝手に認識しているのかという世界だった。
何とか笑っている瞬間の写真を撮れた!と思って人に送っても、
「?笑ってるのか?これ」という反応が返ってきた。
まぁ、見る人が笑っていると信じれば笑っている。
新生児の娘の笑う顔は、もはやネッシーと同じ扱いだった。
ニューボーンフォトを撮りに行った際には、カメラマンさんたちが必死にご機嫌取りをしても笑えず、3分の2がしかめっ面、残る3分の1があくびの顔だった。
しかめっ面さえも可愛い可愛い我が子の写真なので、私たち夫婦にとっては宝物なのだが、早く笑顔の写真も撮りたいものだ。
そんなこんなで娘が笑う日を今か今かと首を長くして待っていたところ、四日前に遂に娘が笑った。
我が家の記念日リストに、「娘が初めて笑った記念日」が追加されたのだ。
もちろん、何か面白いことがあってそれに対して笑ったとか、そういったものではないのだろうが、確実に表情筋を使って笑った。
なんとかわいいお顔だこと。
しかも娘は、2種類の笑い方を習得している。
一つ目は、いわゆる一般的なキューティー笑顔だ。
そして二つ目は、片方の口角だけを釣り上げた「不敵な笑み」である。
どちらも可愛いのだが、私は個人的に後者のほうが、なんだか悪巧みしてそうで好きである。
そして、ここ数日娘が予告なし、脈絡もなしに突然笑顔を振りまくようになったせいで、私たち夫婦は心ここにあらずである。
夫婦の会話の途中であっても、片方が抱っこしている娘が笑えばそちらに気を取られて話の内容が吹っ飛んでしまう。
笑顔を見ることができた方は、テンション爆上がりで盛り上がり、見逃したほうは悔しがるという状況である。
なかなかどうして、破壊力抜群な笑顔である。
我々に娘の笑顔への耐性がないこともあり、夫婦のコミュニケーションに支障が出ている。
そう遠くないうちに、1日の中で何度も笑ってくれるようになるのだとは思う。
しかし、そうなっても今の娘の笑顔の1回1回に狂喜乱舞していたことを忘れたくないし、親をそこまでバグらせるほどの破壊力があることをいつか娘にも知ってほしいなと思う。
これからの娘の人生が、少しでも笑顔でいられる時間が長いものになるように、助けになれる存在であり続けたい。