_はさみ_

「はさみ」



「はさみ」



今日のキーワード「はさみ」


はさみは物を切ることが嫌いだった。
はさみのくせに生意気だと思われるかもしれないが、紙やビニールを切る瞬間の感触がどうしても好きになれなかった。
しかし、製鉄され、はさみとして生をうけてからは物を切ることが主な仕事だった。
残念ながらそれ以外の用途ではさみが使われることはほとんどなかった。



はさみにはトラウマがある。
あまり思い出したくもない記憶だが、頭から一向に離れてはくれない。
昔、和紙を切らされた時のことだ。



普通の紙は切られる瞬間、何も言わない。
はさみで切られることは彼らにとって、いわばルーティーンだからだ。
製紙された瞬間にそれが宿命づけられている。
しかし和紙は違う。切られることに慣れていない。
彼らは気品高く、初めから完成されている。



その日は幼稚園で和紙の製作体験が行われていた。
どこからか現れた、和紙づくり名人と名乗る老婆。その指導を仰ぎ、園児たちが一生懸命に紙をすく。



最果ての風景。
賽の河原で石をつまされる子供達。
こんなことをして何になる。
園児のほとんどが大人になった時にはこの瞬間を覚えていないだろうに、と思った。
はさみは物事を前向きに捉えることが苦手だった。



ほとんどの子供が和紙をつくり終え、教室には「はい、作った作った、作りおわった」こんな雰囲気が充満していた。
その時、老婆が口の3割程度を開いてこう言った。



「んじゃ、これ切って名札つくるべぇ」



和紙の名札・・?
ポカーンと口を開ける園児たち。
それ以上に驚く和紙。
当然だ。生まれた瞬間にはさみに切られるなんて絶対に嫌だ。



園児たちは老婆の要求を受け入れはさみに手をかけ始めた。
やめよう、こんな不毛なこと。しかしはさみの声は届かない。
はさみの刃が和紙に向けられた。
嫌だ、嫌だよ、切りたくないよ。



ゆっくりと和紙に向かって力を働かせ、両の刃を閉じかけた瞬間
「助けて・・・」
と和紙が呟やいた。
天と地が逆転し、視界がぐるぐると回った。
まさかこんなこんなことを言われるなんて。
切りたくて切ったわけじゃないのに・・



和紙は加工され、園児たちの名札に成り下がった。
あの老婆は悪魔だ。普段は犬猫を食ってるんだ、どうせあんなやつは。



・・・その日は一睡もできなかった。
はさみにも罪悪感があること、そして睡眠をとること、併せて理解してほしい。



そして、今現在、その名札をつけている園児は1人もいない。



はさみはこのトラウマを自分で癒すほかなかった。
この世に、はさみ用の心療内科なんてないのだから。
この世に、はさみ用のメンタルクリニックなんてないのだから・・・



はさみは、冷たい。
鉄でできているから、当然冷たい。
そんな冷たさも自分の嫌いな特徴の一つだ。



けれどもその心はホカホカだ。
感動するし、涙も流す。
この前、蝶々の羽化を初めてみた時には色々な汁が漏れそうになった。
俗にいう、「はさみ汁」である。



トラウマの話が長くなってしまい申し訳ない。
ここからはもっとパーソナルな話をしたいと思う。



はさみはある幼稚園の所有物として使われていた。
高円寺にある「すみれ幼稚園」、「キリン組」、入って左奥にある「おえかき・こうさく用」と書かれた箱が定位置だった。



この場所が特別好きなわけではない。
できればゆっくりと1人で過ごす時間が欲しい。
しかし、はさみはこの狭い箱の中で同僚のクレヨンや色鉛筆と過ごさなければならなかった。
彼らははさみと違いおしゃべりでうるさい。
園児の中では誰が好きか、誰が嫌いかなど、丸の内のOLばりに裏で色めき立っている。
今はさみの一番欲しいものは耳栓だ。



「はさみがどこに耳栓つけんだよ」
単純無垢なツッコミを入れたそこのあなた。
君はツッコミ5級。
出直してきて欲しい。



ふぅ。
加えて、この幼稚園では1日に100枚前後の紙を切らされる。
大労働だ。1枚切るごとに心の涙を流す。心も磨耗していく。
大変だ。回復がおっつかない。



でははさみはどのようにして日々の活力を得ているのか。
いい着眼点。100点。



そう、そんなはさみを癒してくれるものが1つだけある。
終園後に音楽室から流れてくるピアノの音だ。



幼稚園のほとんどの教員は簡単なピアノ曲を弾くことができる。
「きらきら星」や「ドレミの歌」などがその代表例だ。
しかし、そのピアノの音はそんな生易しい音づかいじゃなかった。
バッハやモーツァルトといった、はさみでもわかるレベルの難しい曲。



初めはなんでこんなに難い曲を練習してるんだろう、そのくらいにしか思わなかった。
でも本当はそうじゃないのかもしれない。今思えば、この時からぐんぐんと興味の矢印を引っ張られていたのだろう。



懸命に、難しい曲の難解なフレーズを練習している、顔も見たことのない教員。
教員、そんな堅苦しい呼び方はやめよう。ふさわしくない気がする。



そんな彼女に段々と惹かれていった。


彼女は恐らく、元々音大や名門のピアノクラブで将来を期待されたピアニスト。
その指が奏でる音は多くの観客の心を癒したに違いない。
いいや、違いない、じゃない。絶対にそうなんだ。思い込むことが大切。



順風満帆、拍手喝采、雨あられのピアニスト生活。
しかし、ある日悲劇が彼女を襲う。



指関節バラバラもうピアノ弾けない病。



そんな病気があるかどうか、そんなことは今重要じゃない。
そう、彼女は悩んだ。
ピアノを弾くことは彼女の全てだったからだ。多分。
もう競技者としてピアノが弾けないなら私はどうすればいいんだろう。ってな感じで
枕を200回天日干しするほどの涙を流した。流したんだ!彼女は!



悩んだ末、彼女は自分のピアノを活かす幼稚園の先生という職を選んだ。
しかし後悔は募る。
諦めきれないトップピアニストへの思い。
それが終園後のピアノの音へと繋がっているのだ。



今、はさみには夢がある。
彼女の髪の毛をこの刃で刈り取ることだ。
一本残らず刈り取りたい。
エアーズロックの周辺のように何もない不毛地帯に仕上げたい。



変わった夢だと思うかもしれないが、はさみは本気だ。
それが叶った暁にはその場で溶解して消え去ってもいいと思っている。



はさみの日々のストレスはその恋慕によって消え失せている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?