「そして元凶へ」(連続コント小説④)
第4話「そして元凶へ」
【前回までのあらすじ】
高校時代を回想する僕。
思い出すのは、あの日、モヒ高心霊研究会のビッグイベントであるハイパーこっくりさんを行う予定だったあの夏の日。
その日、部室に来たジョッキー原田には右腕がなかった。
青ざめた顔で「西校舎3階トイレの魔物に取られた」と彼は言った。
僕、きょんちゃん、そしてジョッキーの3人は西校舎3階トイレに足を進める。
ジョッキーの右腕を取り戻すために。
第1話 https://note.mu/miso_man/n/n55d4017f6e1e/edit
第2話 https://note.mu/miso_man/n/n3f576c0a2408
第3話 https://note.mu/miso_man/n/n6cc3d0c81e63
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西校舎のトイレに向かう最中、僕は自分が弱々しい人間であり、何かあれば簡単に死ぬことを初めて意識した。
ジョッキーの青ざめた顔と、無くなった右腕が、僕の中にある甘さを壊した。
「青く淡い日常が永遠に続くことはない」と印字された登山ナイフが僕の胸に突き立てられた、ように思えた。
完全に妄想の範疇ではあるけども。
ポワポワポワ。
その日までの僕の生活はやろうと思えば全て書き出せるくらいにシンプルなものだった。
適当な時間に起きて、自転車で学校に行って、気持ち半分で授業受けて、部室でだべって、帰って、ノーハンドオナニーして、そして床につく。
まるで映画のコマ割りみたいな生活。
変化といえば些細なもので、ノーハンドオナニーがハンドオナニーに変わるくらいのものだった。
しかし、その日、その時間、その瞬間、ジョッキーが部室に入って来た時から僕のルーティンの中に「死」に対する恐怖が滑り込んで来た。
もうそれを知る前の自分には戻れないんだろうな、と僕は思った。
ポワポワポワ。
はぁはぁはぁはぁ
はっはっあっはっ
ヌルチュパ、にゅー
僕たち3人の吐息は西校舎の廊下を流れていく。
息を吐き出した本人たちはその遥か先を歩いていく。
・・・ヌルチュパ?
ジョッキーは緊張しすぎて変な呼吸音を放っていた。
大丈夫、これから全てなんとかするから。
そんな気持ちを伝えようと、僕はジョッキーの手を握ろうとした。
すー
僕の掌は空を切った。
そっか、ジョッキー右腕ないんだった。
ごめんねジョッキー、ちゃんと、なんとかするから。
僕は空を切った掌を途中で切り返し、ジョッキーの頭を撫でた。
ジョッキー用のヘルメットは夏にもかかわらずひんやりと冷たかった。
カツカツカツ、コツ
3人の足が自然と止まる。
「ここか・・・」
きょんちゃんが言葉を漏らした。
そう、ここが全ての元凶、西校舎3階トイレ。
無言で扉を睨みつける僕ら。
扉の外からも感じるほど、禍々しい臭気。
単純に掃除が行き届いていないせいか、そのあたりの空気は少し臭った。
全部ひっくるめて・・・禍々しい臭気だった。
僕たちの作戦はこうだ。
まず僕が1人でトイレに入り、魔物を発見してから音を出して合図を送る。
怖いけど、このトイレに向かおうと言い出したお前が先に入れという雰囲気だったのでしょうがない。甘んじて一番槍の役目を引き受けた。
次に、その音を聞いた2人がトイレに突入し、化け物に向かってジョッキーが「僕の右腕を返してください!!!」
と大きな声で懇願する。
・・・以上。
なんだこれ。
作戦なんて言うの、おこがましいよ。
ただ高校生がトイレに入って大きな声で謝るってことしか決まってないよ。
むしろ、作戦って言葉に失礼だよ。
「ノルマンディー上陸作戦」とか「ABCD包囲網」とかに失礼だよ。包囲網は作戦じゃないけど。
でもこれしかない。
多分、時間はあまり残されていないのだから。
臭気漂う廊下で僕たちは目を合わせた。
みんな目が血走っていた。おそらく僕も。
その時不意に、生理前のウサギを特集したテレビ番組のことを思い出した。
そのウサギもこんな赤々しい目をしていた気がする。
そうか、僕たちは皆、元々ウサギなのかもしれない。
僕は思い切って、この荒唐無稽な妄想を口にしてみることにした。
「・・・ねぇ、人間はさ、もともt」
「早く入ってくれ、ここに長くはいたくない」
わかったよ、きょんちゃん、入るから、僕のタイミングで行かせて。ウサギの話だけ言わせて。
「元々さ、ウサg」
「ごめん、早くして。ちょっと右腕が痛くなってきた」
わかったよ、ジョッキー。ウサギの話は終わってからゆっくり、ね。
2人の痛すぎる視線を背に受けながら、僕はトイレの扉に手をかけ、力を込めて押し込んだ。
ギーーーー
築何年かはわからないけど、古い作りのその扉は場に即した音を立てながらゆっくりと開いた。
後ろは振り返らなかった。
決意がブレるのが怖かったから。
実際ブレかかっていたし。
だけど、枯れかかっていた勇気を振り絞り、僕はトイレ内に歩みを進めた。
ドチャン・・・
閉じる音も一丁前じゃん。
そんなことを考えながら僕の体は完全にトイレの内部に含まれた。
・・・
不思議なくらい、無音。
薄板一枚を挟んでいるだけとは思えない静寂が僕を大いに刺激した。
・・正確には僕の膀胱を。
「あ・・・漏れそう・・・」
そう。こんな状況にもかかわらず、僕の膀胱工場はおしっこの生産ラインを稼働させていたらしい。
膀胱コンテナは出荷待ちのおしっこで溢れかえる寸前だ。
工員てんやわんや、膀胱各地で暴動が起こり、出荷させろの大ストライキが始まっていた。
その時、体の奥が熱くなるのを感じた。
あれ、この感覚・・・
「待て待て、話せばわかる」
僕の中の犬養毅だ!
困った時に出てくる、僕だけの犬養毅だ!
どうか、どうか僕の膀胱たちを説得してください!
「腹が減っては戦はできぬ、豚もおだてりゃ木に登る、膀胱あかねば化け物狩れぬ・・・」
よし自分の納得成功。
犬養毅のGOサインが出た僕は恐る恐るジッパーを下げ、うすクリーム色に着色された小便器に対峙した。
そして次の瞬間、大放水を開始したのだった。
ジョボジョボジョボジョボ、ピト、ピト、、ピッピッピ、、、、、ピッ
スッキリした。とても、スッキリしてしまった。
山に登るよりもはるかに大きな達成感を感じてしまった。
「坊や、男は誰でも股間に山脈を持っているんだ。困った時や悲しい時は、その山に登ればいいのさ。・・アデュー」
そう言って僕の中の犬養毅は無意識の海に溶け込んで行った。
ありがとう、僕の中の犬養毅。
次はもっとちゃんとしたことで頼るね。
テスト勉強のヤマの張り方とか、そういうことで。
ねぇ・・・ねぇ・・・あなた・・
あー、久々に会ったな、僕の中の犬養毅。
ねぇ・・そこの・・学生服のあなたよ・・フフフ
最後はいつだっけか・・・あれか、初めてタイタニック見た時に一ミリも泣けなくて、僕は正常な人間じゃないのかもしれないって相談した時か、そうだったそうだった。
フフフ・・・ねぇ、よろしければ、あなたの体、一部私にくれないかしら
あーこれはやべえ。
鬼無視かましてんのに全然なびいてない。
軽い陶酔感に酔っていた僕は地の底から響くようなその声でとっくに現実に引き戻されていた。
無視すればいけるかなぁとか思ってたけど浅はかだった。
でも正当に反応するなんて怖すぎて無理だった。
・・・よし、もう一回おしっこをしよう。
現実逃避のために自分の山脈にもう一度登ろう。
僕は小刻みに震えながら小便器に再び対峙した。
その瞬間、膀胱工場からクレームが多数寄せられた。
おい!もう出ねえよ!
さっき出したばっかりだろ!この、あんぽんたん山脈!
不当労働で膀胱裁判所に訴えるぞ!
みんな!こいつの金玉萎縮させてイタタ!ってさせようぜ!
わーわーわー
・・・僕だってわかってるよ、膀胱工員たち。
でもね、無理だよ、他に回避の方法見つかんないって。
現にね、今も目があっちゃてるのよ。
魔物は僕と小便器の間にするりと入り込み、上目遣いで僕をみつめていた。
女だった。
とても美しい女の人。
年の頃は16,7歳に見えるが、声からは判断がつかなかった。
その服装は、この状況にも、場所にも不適切な和装。
「ワーーーーーーーー!」ガンガンガン!!!
僕はしゃにむにトイレの壁に頭を打ち付けた。
生ぬるい液体がひたいを流れ、小便器の中に吸い込まれていった。
でも僕はやめない。
ひたすらに頭を打ち付け続けた。
「誉れ!!!誉れーーーー!」
来てくれた。
扉の先にはきょんちゃんとジョッキー。
肩で息をしながらこっちを見つめている。
フフフ・・・揃い踏み・・ってところかしら
なにやら古めかしい言葉遣いが聞こえた。
しかし、僕は意識が飛びそうだった。
この状況、この出血量でまともに立ってられる人間なんていないのだから。
もう横になってしまいたい。
僕は自分の体を重力に任せた。
あとは・・・任せたよ・・・ふたr
ガシっ
「大丈夫か、誉れ!」
きょんちゃん・・・
寝かせてくれぇ。
もう、限界なんすよ、なんで抱きかかえちゃうかな、地球の重力に任せて床に突っ伏させてくれ、なんだろ、ほんとそういうところあるよね。
当然、僕の心の声は届かない。
見上げると、きょんちゃんは顔に主人公感を携えていた。
人を出汁に成長しようとするな・・この野郎。
僕はきょんちゃんの胸で事の顛末を見届け始めた。
「ジョッキー!!早く!懇願するんだろ?」
きょんちゃんが叫ぶ。
それに対してなぜかモジモジしだすジョッキー。
便器の中からそのやりとりを見つめる魔物。
「ジョッキー!誉れが限界なんだ!早く言えって!」
モジモジするジョッキー。
待たされる魔物。
初めての告白かよ。
なんで急にモジモジし出しちゃうんだよ、ジョッキー。
魔物もなんか言ってくれないと、変な感じになってるよ。
場所が場所だったら青春感満載だよ、今。
魔物が便器からぬるりと抜け出て来た。
でけー。
ゆうに2メートルある和装の女、こえ〜。
「ほら出て来てるから!ジョッキー!魔物お前が言うの待ってくれてっから!」
「・・ちょっと待ってよ、タイミング計らせて」
フフフ・・・なにを言われるやら・・見当がつかない
なんだこれ。
見てらんないよ。
せっかく魔物が大きかったのに!せっかく!魔物が大きかったのに!
僕の緊張感返せ!
しかし、ついにジョッキーが意を決してあの言葉を発した。
「・・すみません・・僕の・・僕の・・右腕を返してください・・!!!」
フフフ
不敵な笑みを浮かべながら言葉を聞く魔物。
畳み掛けろ!ジョッキー!畳み掛けろ!
「どうしても!返して欲しいんです!だって今日は!みんなで、ハイパーコックリさんをやる日だから!どうかお願いします!」
ジョッキーはしっかりと正面を向いて言い放った。
僕はなんだか少し嬉しかった。
いってることはちぐはぐだけど、あのジョッキーが魔物に面と向かってこんなことを言えるなんて。
フフフ・・・そうか、お前は心霊研究会の部員だったのか
魔物が言った。
・・・心霊研究会?
「心霊研究会・・・?なんで知ってるんですか・・?」
ジョッキーが聞き返す。
そりゃそうだ、魔物が僕たちの部活のことを言い当てるのはおかしい。
そんな僕たちを尻目に魔物がとうとうと語る。
私もね、その昔、モヒ高心霊研究会に所属していたのよ
ええっ
もう何年前かしら
でも確かに所属していたことは覚えている
ハイパーコックリさんの前身となるイベントをやり出したのも私たちの代からだった
これにはたまげた。
まさか魔物が僕たちのOBだったなんて。
しかも、ハイパーコックリさんの生みの親の代だったなんて。
フフフ、信じてくれたかしら
その当時、モヒ高心霊研究会は今よりもずっと危ない部活だったの
呪術の研究や悪魔信仰がはびこるような危ない人間の集まり
心霊研究会だけじゃないわ。3~40年前の日本にはそんな人間が溢れかえっていたの
にわかには信じられなかったが、ぐいぐいと引き込まれていったのは確かだ。
きょんちゃんとジョッキーもほうけた顔で魔物を見つめている。
その当時、私たちの時代にも年に一回の行事があったの
その行事は、「生贄祭(いけにえさい)」と呼ばれていたわ
生贄祭・・・
こえぇ・・・
血と汗がぼたぼたとトイレの地面に流れ落ちる。
しかし、そんなことは気にならなかった。
もっと純粋に心霊現象を研究したいと声高に叫ぶ私を部活の仲間たちは煙たがっていった
そして、その年の生贄祭で私を依代(よりしろ)に悪魔を呼び出そう、そんな恐ろしい話が持ち上がったみたい
・・・その日のことは今でも思い出すわ
部室に入った瞬間、何かを嗅がされて私は気絶した
そして気付いた時にはもうこの世のものではなくなっていたの
「はりゃりゃ・・・」
僕は驚きのあまり、「はりゃりゃ」と口に出してしまった。
私は仲間を、そしてモヒ高心霊研究会自体を恨んだわ
どんな狂気じみた人間だって、遊びで人の命を奪っていいはずがないもの
あなたたちが毎年楽しみにしている「ハイパーこっくりさん」も「生贄祭」が形を変えたものだって聞いたら驚くかしら
うん、なんとなく予想はついてた。
僕たちは思っていたよりも恐ろしい行事に毎年一喜一憂していたみたいだ。
魔物は少し涙目になっていた。
もう魔物なんて呼び方自体不適切なのかもしれない。
僕たちの大先輩が、泣いていた。
だからね、毎年、ハイパーこっくりさんが行われる時には心霊現象で驚かすようにしていたの
こんな行事やめなさいって意味合いでね
でも、逆に作用してしまったみたい
そうだったんだ。
去年ジョッキーが急に気絶したのも、その昔、あるOBが富士の樹海に飛ばされたのも、この人の力だったんだ。
確かに僕たちはそんな不思議現象に浮かれていた。
ハイパーこっくりさんのためにこの高校に通っているといっても過言ではなかった。
だからね、ジョッキーくんって言ったかしら
あなたの右腕を奪ったのは、そんなくだらない行事をやらせないためだったの
ごめんなさいね
ジョッキーはうつむきながら首を横に振った。
あなたの右腕は返すわ、悪いもの
でもね、一つだけ約束して欲しいの、ほんの一つだけ
・・・今年でハイパーこっくりさんは終わりにさせて
ジョッキーの右腕は返してもらえるみたいだ。
・・・ハイパーコックリさんと引き換え??
いや、これは悩ましい
こんな私のような犠牲が2度と出ないためにも、もっと健全に、心霊現象とか、不思議なことについて学んで欲しいの
楽しくなきゃ嘘だもの、そういうのって
それだけが私の願い
コクリ
ジョッキーが頷いた。
そっか、ジョッキーが言うなら仕方ないよね。
僕もきょんちゃんもゆっくりと頷いてみせた。
次の瞬間にはジョッキーの右腕は元に戻っていた。
すごい・・・これこそ心霊現象。
でも上手に喜べないジョッキー。
「・・・本当に、すみませんでした」
ジョッキーは涙ながらに訴える。
「僕たち、こんなこと知らずに、ハイパーこっくりさんを楽しみにしてて、すいませんでした!」
きょんちゃんも泣いていた。
ズボンの上を見たこともない百足が這っていた。
「僕たち、これからはもっと一生懸命、心霊研究会として不思議なこと探していきます」
僕の口からはこんな言葉が漏れ出た。
でもこれが僕の本心なんだと思う。
これからはハイパーこっくりさんに頼らない。
自分の足で、ちゃんと探す。
僕たちの宣誓を聞いて、大先輩が初めて笑った。
そう見えた気がしたんだ。
本当にありがとう
私はもう少しこのトイレにいることにするわ
また話が聞きたくなったらいつでも来てね
さよなら、モヒ高心霊研究会の後輩
・・・
その声を最後に、僕の過去の旅は終わった。
これ以上のことは覚えていない。
ちょうど最後の葉巻を吸い終わったところだった。
やっぱり無理をしていたらしく、僕は汗をビッチョリかいていた。
久々に思い出したけど、まだしんどさが付きまとう。
きょんちゃん、ジョッキーとは高校を卒業してから会ってない。
きょんちゃんは大学に進み、そのまま昆虫学の博士になったと風の噂で聞いた。やっと自分の特性に気づいたんだね。
もう1人の友達、ジョッキー原田は晴れて本物のジョッキーになれたそうだ。
国内のレースでそれなりに活躍しているんだって。
これは競馬好きな父親から聞いた話だ。
でも、会っていない。
僕の母校であるモヒ高は、去年の末に取り壊された。
老朽化と地震対策が全く施されていない設備のためらしい。
・・・トイレの大先輩はどうなったんだろうか。
今ではどこか新しい寝ぐらを見つけられたんだろうか。
僕も僕で自分の道を見つけた。
今は怖い話専門のルポライターを仕事にしている。
まだまだ下っ端だけど、やっぱり怖い話はいい。
精神衛生上、いい。
あの日以来、僕の中の犬養毅は出て来てくれない
人生であんなに悩んだのはあの瞬間、あのトイレでの出来事が最高だろう。
次に出て来てくれるのはいつの日になるやら。
僕の目の前には「モヒ高17期同窓会のお誘い」と書かれた手紙が置いてある。
過去のことを思いかえそうと思ったのもこの手紙のせいだ。
正直、気乗りはしていない。
きょんちゃんやジョッキーと会った時になんて言ったらいいのかわからない、というのが主な理由だ。
出席するか、否か。
うーむ、悩ましい。
その時、胸の奥が熱くなるのを感じた。
10年ぶりのこの感覚。
「待て待て青年、また悩んでいるみたいだな」
あ、僕の中の犬養毅だ。
久々じゃないか。
今ちょうど悩んでいたところなんだ。
「友との出会いは一生の宝、それよりも大切なものは、その友の笑顔くらいなもんだ」
そうだよね、僕の中の犬養毅。
なんでためらってたんだろう。
また会ってあの日の話をすればいいんだ。
モヒ高心霊研究会、最悪であり最高だったあの日のことを。
僕は手紙を机に置き直し、力強く「出席」に丸をつけた。
完