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宣伝会議賞プレーヤーの2月 私の場合

私、53歳。宣伝会議賞プレーヤーになって10年になる。

宣伝会議賞プレーヤー?
まあ、「クイズプレーヤー」なる肩書もあるのだ。
この場に限って、こんなふうに名乗ってもいいだろう。
ただ、記事を通してこの単語だと鬱陶しくなるので、以下応募者と書く。

毎年2月、宣伝会議賞応募者にとっての1大イベント、一次審査通過者発表が「宣伝会議3月号」誌面でなされる。
このnoteや、Ⅹ(エックス)なんかでも一時審査通過何本なんてコメントが毎日のようにある。
私も当然、他の応募者と同様に当誌を購入する。例年、近場の書店で購入していたのだが昨年あたりから扱わなくなったので最近はもっぱらamazonで手に入れる。
雑誌が届く。そして通過者名簿を・・・

見ない!


は? なぜ? そう思われてもしかたがない。
それでもなぜ結果を見ないのか。それは、

例年になくいいコピーが書けたから

と思っているからである。

昨年は初めて応募総数が200を超えた。
「お、この視点、ありそうでなかったんじゃね?」
「お、このコピー、『おれ、いいこといってやったぜ』的でなく、いい感じで力が抜けているな!」
なんていう、手ごたえのある作品は今回はいくつかあった。
作ったときはそうではなかったが、2月の直前に見直して「いいじゃないか」なんて思える作品もあった。これは作品を客観的に見れているってことじゃないか。
「あわよくば、ファイナリスト」などと考えたわけである。

そんな風に思っているので、
「一次審査通過0本」という可能性が高い現実を直視できないのである。

一昨年まで9年連続で応募して、一次審査通過した年は3回。
前の年に初めて2次審査を通過し、「今年こそ」と意気込んだ一昨年(この時はすぐに結果を見た)は一次通過0本。
この程度の、なかなか安定しない実力。

「思いついてテンションの上がった作品は一次にすら通らない」と言うではないか。
今年は審査員講評も併載されたが諸先生方が毎年口を酸っぱくして、「ほとんどの作品は被る」とおっしゃっているではないか。
ファイナリストなんて、そんな夢想なことを。でも・・・。

「一次審査通過0本」を知らなければ、夢を見続けることができる。
宝くじくらいの確率だが、0ではない。
この記事を書いているのは2月12日。まだ事務局からのメールは、ない。
協賛企業賞は、終わったか? ファイナリストは、まだだろう。
(この記事を読んでいるファイナリスト経験者、『もう終わっているよ』と、苦笑いだろうか)。
贈賞式は、例年通りだと来月10日くらいだろうか。
シフトに、希望休は入れてある(笑)。ああ、なんてアホなわたし。

ドキドキしながらも一次の結果を見る、そしてその結果をしっかり受け止める。みんな当たり前のようにやっている。尊敬する。

まあ、月末には結果を見よう。
どんな結果であれ、まだしばらくは「宣伝会議賞プレーヤー」でい続けよう。

「あわよくば上を」と思いつつ、楽しく作品を作る。
年も年だし、いつぞやも言ったが、記録を狙う「トップランナー」ではなく、自分のペースで走る「市民ランナー」くらいが、ちょうどいい。
と、やる前はいつも思うのだが、なかなか・・・。





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