カッコ悪い自分について話せるようになったこと。
私は、周りのダンサーがいつも羨ましかった。バックダンサーになれた人がすごく羨ましかった。私は身長足りないしなぁー、個性的でも無いしなぁー、なんてことをいつも思ってた。
ダンス上手な人やいつもお仕事ある人が羨ましかった。ダンスがとにかく大好きで、ひたすら練習頑張ってたらいつのまにか仕事になってました!ってインタビューでかっこよく言える人が羨ましかった。
ずっと選ばれない自分がいて、沢山選ばれていく人を見た。
たぶん周りの人からはそんな風には見えてないんだけど、発表会でもオーディションでも、せっかくもらったお仕事でも、私にとっては悔しいことの連続だった。
だけど、悔しい!羨ましい!私も選ばれたい!って気持ちは、あまり表に出さないようにした。それを人に知られたら、すごくかっこ悪い気がしたから。全然そんなこと思ってないよって顔して、いつくるか分からないチャンスを待った。
チャンスがきたときに使うかもしれないことを想定して、色んなことを習いに行った。たくさんの先生や仲間に出会った。
自分の中にある、人を羨む心が大嫌いだったから、絶対にそれを見ないようにニコニコ歩き続けること数年間。。←地道な努力。笑
タイミングよく声をかけてくれる人がいたり、ついてきてくれる人がいたり、これ好きだなもっとやりたいなと思うことに出会えた。
気付いたら、いつのまにか立派なお仕事になった。ラッキーなだけだったけど。
ニコニコしていて良かったなと思った。(←こわいひと。笑)続けてればチャンスはやってくるもんだな、とか。
そしたらまた、、
私より上手に出来る人を見て羨ましいと思うようになった。
ちゃんと成長してるはずなんだけど、そのたびにこの繰り返し_| ̄|○
上手な人の出した結果が羨ましいんじゃなくって、同じようになりたいんでもなくて、本当はそこまで追求して頑張れるところが羨ましいだけ。
私は中途半端だった。努力なんか本当に1ミリもできない。あー、やだやだやだ努力なんて絶対にしないで生きていきたい。←
その場を真剣に頑張ることはできるんだけど、その場だけではやっぱりちょっと頑張りが足りない。すごい人って、見えないところで準備を沢山やってると思う。違いがあるとしたら、ただそれだけかなと思う。
『色んなもの持ってるのに、どうして無い物についてそんなに考えてるの?』って、今なら思えるんだけど、ずっとそれどころでは無かったから。わざと見ないようにしてニコニコ歩き続けてしまったせいで、人を羨む心をプラスに変えるトレーニングが全然出来てなかったみたい。
でも、知ってる。
ダンサーの人やアイドルの子たちは、みんなこういうコンプレックスや劣等感を抱えながら、それを胸にしまって必死に戦ってるはず。
だから、選ばれない辛さはよく分かる。どうでもいいようなことや、誰かのささいな一言に胸がヒリヒリしてしまう気持ちも痛いほど分かる。
アイドルの教え子たちは、みんな自分に正直に、悔しいなって涙したり、選ばれる努力したりしながら、一生懸命前を向こうとしてる。
それって全然カッコ悪いことじゃないんだと、みんなに教えてもらった。他の人が羨ましいとか、悔しいって気持ちが、成長する為の力になるんだと、みんなが戦う姿で学ばせてくれた。
まだまだ道の途中なので、偉そうに言えることは本当はひとつもないのだけど、この経験の中で最近ちょっぴり分かったことがある。
何かのせいにしても結局何も変わらない。人と比べても自分の心は満たせない。自分が手に入れたいものは他の誰も教えてくれない。自分が自分をどうにかするしかないということ。
素直に自分の心の声を聞いてあげないと、自分の心がいじけちゃうのかもね。
今日、34歳になりました。
一体どこまで手に入れるつもり?って、いつまでたっても圧倒的欲張りな自分と話し合いながら、わたしはこれからもニコニコ歩き続けるっっっ!
カッコ悪くても全然良いよねー!ほっぺたに泥んこつけてる、やんちゃガールみたいにさ!