覆水盆に返らず
東京医大の一件を知ったのは外勤先から戻ってくる車の中だった。何を考えているんだ、と憤る半面でやはりそういうことしているのか、とどこか納得している自分がいた。私の主観だが東京医大は氷山の一角であり多くの大学の医学部で行われていることだと思う。でなければどこの医学部も男女比が7:3前後になるというのはおかしな話なのである。
これは明らかに性差別であって憤慨すべき事案なのかについてはすでに多くの方が問題提起されているので特に話すつもりはない。男性医師の方が労働力として永続性があるのは妊娠・出産という生物学的イベントがなく、日本では子育てを女性が極端なワンオペで担ってきて男性はほとんど手を出してこなかったという今までの因習がベースにあり、事実そういったキャリアの中断イベントがあるが故、女性医師は同期の男性医師と比較して要職に就くのが困難となっているし、離職率が高い。
そういった労働力・キャリア形成の話を抜きにしてお金と時間の話をしようと思う。
医学部の試験料は1回受験するごとに6万円かかる。他学部の試験料のおおよそ倍である。医学部の受験の際は私立医大を3校以上はだいたいの人間が受験する。加えて国公立の入試も受ける。私の同期には1校にセンター推薦と一般の2口(口という表現が的確かはわからないが)ずつ出願していた人もいた。私立を3校受けて本命の公立などと受験すると受験料のみで24万はかかる。加えて試験を受けるための交通費、滞在費などもろもろを含めるとゆうに30万は超えてくる。そのうえ浪人などすると入った予備校にもよるが100万~600万は年間でかかってくる。
そして医大生は他学部に比べて多浪生が多い。
つまりは上記の金額を数年にわたり払っている人間が多数いるのだ。
金がなければ医師という職業への間口にすら立たせてもらえない。
今回行われた入試では受験者には知らされることなく減点がなされていた。男子:○○名、女子:△△名と明記されていればまだしもこれは完全な詐欺である。平均で35人の女子生徒が涙を飲み、医師への道をあきらめるか、無駄な時間と金を浪費したことになる。
時間は有限である。
我々医師は6年間大学という名の職業訓練校に在籍しなくてはならない。その後2年の研修期間を終え、後期研修になるといわゆる”医師”としてようやく認められる。そして科によるが後期研修を4,5年行うと専門医になれるのだ。ここまでで12年はかかり、ストレートで入学していたとしても30歳を超える。浪人すればするほど当たり前だが独り立ちできる時が遅くなっていく。今回のことで不運にも浪人を余儀なくされた方々は大勢いるだろう。
私は、東京医大の最大の罪は時間の搾取であると思う。たとえ彼女らに金銭的な補償や医学部への入学が認められたとしても、東京医大が彼女らに費やさせた時間は帰ってこないのだ。どれほどの時間が時代錯誤の人間たちの手で葬られてきたのかと思うとやるせない。もしかすれば、ともに働いていたかもしれない彼女たちの時間はもう戻らないのだ。
私は医師の仕事というのは一期一会だと思う。私にとっては何度目かのことであってもその患者さんにとっては初めてのことで次はないのだ。私たちは学び、ミスがないように努める。私たちのミスで患者さんの貴重な時間を奪うわけにはいかないからだ。
東京医大の不正にかかわった人々が自分たちが奪った時間の重さに気づく時がくることを切に願う。