俳句と“からだ” 191 小川楓子句集『ことり』
小川楓子(1983年生まれ。金子兜太の「海程」、山西雅子の「舞」に参加)の第一句集『ことり』が話題となっている。2022年2月刊行、早くも6月に増刷とのこと。句集の登場に黒岩徳将、相子智恵、大塚凱ら若い俳人達による読書会がZoomで行われた。その評価の高さが理解できる。旧来の俳壇に見られた結社縦割りの評価ではなく、作品自体が横断的に評価されるという風通しの良さの表出である。俳壇にはびこる権威主義を超えてこのような評価のあり方が一般的になれば新しい才能が参加しやすくなるのではないか。
くちのなかほんのり塩気かも雷鳥
身に入むやつてことあるんだか寝ぐせ
Zoomの読書会で大塚凱は「豊旗雲の上にでてよりすろうりい 完市」を引用して小川の調べは『海程』の阿部完市の影響を受けていると説明した。肯える指摘である。自在な調べと言葉の飛躍に満ちた詠み振りは読んでいて実に楽しい。「くちのなかほんのり塩気かも」から突然「雷鳥」への飛躍は驚きと戸惑いを招くが不快では無い。言葉の意味ではなく、むしろ躍動感が煌めく。音の調べと意味の調べに程良いズレがあり、下五に置かれた「寝ぐせ」も読み手の想像を超えつつ受け入れられる飛躍となっている。但し、これらの句は、次の句も含めて下五の最後の三文字に落とし込む形となっており作者ならではの定型として成立しているが常用すると形骸化する懸念もある。
椎若葉こころちひさくなつてきのふ
初めから「こころちひさくなつて」までは読み下せる。ところが最後に「きのふ」が出てくると時間が反転して過去に向かう。心細さが時間に絡め取られて昨日に向かって流れ込んでいくようだ。
噴水にしてもあなたはスローリー
下唇突きだしなんか涼しさう
これらの句は完市や兜太へのオマージュだろう。先達の句業を身体化して自らの世界を作り上げようというところに感性に委ねるだけではない作家の思いが見えてくる。
小川は「あとがき」に「作品は、わたしでもわたしの所有物でもないと思っています。なぜなら、スープのにおい、くすぐったい蟻、通りすがりの鼻歌などを授かって(いえ、率直に言うと、ひょいと掴まえて)放ったものだからです」と書いている。小川にとって、作句とはcreationではなく、「わたし」を通過する何かを「ひょいと捕まえて放つ」serendipityなのかもしれない。するとその先には小川の師匠金子兜太のアニミズムの世界が広がってくる。
(句は全て小川楓子作品)