俳句とからだ 171号 日本の医療制度

連載俳句と“からだ” 171

愛知 三島広志

日本の医療制度
医療は人類誕生と同時に自然発生した。病気、怪我、衰弱など心身の問題に対応するためだ。その後多くの経験に基づき民族固有の医療として伝承、国家等によって制度化された。経験的に発展していた医療を科学的知見と哲学としてまとめた人が古代ギリシアのヒポクラテス(前460頃~前375頃)だ。「ヒポクラテスの誓い」は今日でも医師の指針である。その後イタリアのダ・ヴィンチ(1452~1519)の人間復興やフランスのデカルト(1596~1650)による心身二元論で人体を客観的に把握することが可能となり医療が医学となった。

 日本にも古来より伝承医療があった。そこへ中国の体系だった医療が入ってくる。そして701年、奈良時代の大宝律令で国の医療として制度化される。それは唐王朝の制度を参考にした医疾令である。医療を行う係として典薬寮があり、その中に医生、針生、按摩生、咒禁生、薬園生が明記されている。役に就いていたのは多くが帰化人やその子孫であった。ところが平安時代から国の医療制度は消滅する。次の成立は明治であり長い空白期間は僧侶が僧医として医療を担った。また奈良時代の医家が代々家伝の術として伝えてきた。

 現代史読みかへす日も鳥渡る 近藤愛

行政が行った有名な医療施設は奈良時代の730年に光明皇后が起こした施薬院(悲田院という孤児院もあった)、江戸時代の小石川療養所(1722年)などがある。施薬院は薬種商を管理し室町時代には薬商人が制度化されていた。また江戸時代、有名な富山の薬売りは諸国を歩いて薬を販売していた。これは富山藩の経済振興策でもあった。
明治政府は西欧化を急ぐため様々な制度を実施した。医療制度は我が国伝来の漢方か西洋医学かで協議され、伝承では無く客観的科学に基づく東大医学部を中心とした西洋医学を国の医療として制度に取り入れた。そのため漢方は日陰の存在となり庶民の間で細々と、しかし連綿と維持継続された。現在、漢方は一部の医師の努力で復権し漢方薬は保険制度に取り入れられている。鍼・灸・按摩は江戸時代から視覚障害者の生活を支える術としての側面もあり、教育機関や試験制度が整えられ国家資格として現代社会に認知されている。

 医療は仏教の説く四苦である生老病死に対応する術である。これは制度化せずとも自然発生し民間に深く入り込み庶民を助けてきた。しかし経験主義による技術は危険なものや法外な料金を取る悪徳者もあり、国家制度として監視下に置かれ人々に寄与している。医療が身近にあって必要なとき適切に受けられることの恩恵はコロナ禍において改めてありがたいことと認識される。これは歴史的に希有のことなのだ。

 生死如是病苦また如是花が咲く
松本たかし