俳句とからだ 183 深見けん二氏「夏帽子」考

連載 俳句と“からだ” 183

三島広志(愛知県)

深見けん二氏「夏帽子」考
2021年9月15日、「花鳥来」主宰深見けん二氏(1922~2021)が逝去された。享年99。高浜虚子、山口青邨に師事し、情を湛えた写生句、花鳥諷詠の伝道者と称された。代表作として次の句が知られている。

人生の輝いてゐる夏帽子

「夏帽子」という「もの」を直視し、そこから浮き上がる本質を描いている。

夏帽子の句から広瀬直人(1929~2018)の代表句を思い起こす。

夏帽子心足る日を重ねけり 

深見句は夏帽子の明るい性質からそれを被る人が輝きを放つという人生賛歌である。と同時に眩しさや羨ましさなども入り混じる。それに対して廣瀬句からは人生の内奥を深く味わう趣が伝わる。

廣瀬と同じ飯田蛇笏門下の石原八束(1919~1998)には人口に膾炙した冬帽子の句がある。

くらがりに歳月を負ふ冬帽子 

門下高弟として蛇笏の到達した孤高を引受け継承しているようだ。帽子という「もの」に具現される世界と、石原の世界観の機微が興味深い。

 帽子は日光や寒さ、落下物から頭部を防御する必需品であると同時に自己を演出する小道具ともなる。明治、髷を落とし西洋に倣い帽子を被ることとなった。帽子は自身の矜恃を保ち外見を調整する「もの」ではあるが、同時に内面や他者との関係などを物語る。戦後の漫画に登場する磯野波平氏はいつも帽子を取って会釈を交わす(自己を晒す)のである。

深見けん二氏没後刊行された第十句集『もみの木』の掉尾には次の句が置かれている。

先生はいつもはるかや虚子忌来る

深見氏の恩師高浜虚子に対する強い思いが胸に迫る。しかし、この句は晩年の句ではあるが遺作ではない。掉尾に置いたのは作者の意志であろうか。あるいは氏の遺志を酌んだ編集者による構成だろうか。勝手な推察あるいは憶測に過ぎないかもしれないが、いずれにしても虚子の説く写生に人生を賭けた深見けん二氏に相応しい句と演出である。

虚子には次の句がある。

火の山の裾に夏帽振る別れ

今頃、彼岸で師弟が帽子を振り合って挨拶をしているかも知れない。
(訃報の項以外、敬称を略させていただきました)