俳句とからだ 182 堀田季何『人類の午後』
連載 俳句と“からだ” 182
三島広志(愛知県)
堀田季何『人類の午後』
『人類の午後』(邑書林)は堀田季何の第四詩歌集。 俳句形式の作品を集めているが句集とは謳っていない。一巻は前奏ⅠⅡⅢ後奏という六つの章で構成されている。所々に文章が添えられ句の世界を暗示している。例えば前奏という章の冒頭には「リアリティとは、『ナチは私たち自身のやうに人閒である』ということだ。(ハンナ・アーレント)」とある。哲学者アーレントはユダヤ人としてナチスから迫害を受けながらもかろうじて生き延びた。そして大虐殺に深く関わったアイヒマンが普通の実直な公務員であること、ファシズムが思考停止を招くことを喝破した。「考えるのを止めたら、人間じゃなくなる」とは彼女の至言である。堀田はアーレントの言葉を冒頭に置くことで一冊を方向付けしている。
一九三八年一一月九日深夜
水晶の夜映寫機は碎けたか
水晶の夜とはドイツで発生したユダヤ人に対する暴動のことだ。民衆によるものかナチス主導の暴動であったかは未だに明確ではないが、ここからホロコーストへの道が一気に開かれてしまう。暴動で破壊された硝子が月に照らされて水晶のように輝いていたため、水晶の夜と呼ばれている。1941年には大量虐殺が始まる。それが二句目の
息白く唄ふガス室までの距離
に繋がる。したがって一句は独立しつつ他の句と呼応している。こうして詩歌集全体の世界観を築いているのだろう。
失踪の蜂なれば原子爐の中
堀田は先の大震災や原発事故にも目を向ける。御せない火を手中にした人類はその恩恵と弊害に揺さぶられながら存在している。嘗て手塚治虫はテレビアニメ「鉄腕アトム」の最終回で動力源の原子炉を体内にもつアトムを地球と激突しかけた小惑星と共に太陽に突入させた。希望の火としてアトムと名付けられたロボットの最期として誠に衝撃だった。
ディケンズの『クリスマス・キャロル』の一節「(前略)なんでお前にめでたくなる権利があるんだい(後略)」を前書きに置いた章にある
正方形の聖菓四ツ切正方形
切っても切っても正方形に均一化された社会に対するアイロニーだろう。この不気味さは次の句にも覗われる。
スターリン忌ポスターの下にポスター
大海は大河拒まず鳥渡る
大海のような社会。人類の午後はこうした大らかな世界でありたいと願う。
(句は全て堀田季何。漢字は全て旧字体)