「きらきら光る」×「休もうかなぁ」× #3cb371
なんとなく、そんな気分だったから。
公園のベンチに座って、あんパンを手に空を見上げる。冬の空は清々しくて、少し寂しい。点々と散る雲は薄く柔らかそうで、ふんわりと手元に落っこちてきそうだ。冷たい風が頬を撫でて、相反するように私の足元を太陽がぬくぬくと照らす。
大きな理由もなく、会社の最寄りの駅で足が動かなくなってしまった。
金曜日、週末――大好きな言葉たちは、一週間の締めくくるための奮いのためのもの。効力なんか、とっくの前に消えていて、それでも私はそれを呪文のように唱え続けた。大好きな週末はいつの間にか、睡眠のための時間に。持ち帰った仕事をこなすための時間に。夜、ひとりの部屋でカップラーメンをすすっていると涙がこぼれることがある。ここ1年は、そんな週末ばかりだ。
大好きな本屋にも、大好きな喫茶店にも、串揚げ屋さんにも顔を出していない。顔なじみになって、なんとなく話す人もいたのに。部署移動に伴って、多忙さが倍増。私は逃げたいともがきながら、ままならず、せめて溺れないようにするだけ。
朝、起きた瞬間から業務のことを考える。あれをして、書類を送って、メールは……あの企画の締め切りは?外回りは何時だっけ。習慣というものは恐ろしく、起きてから寝るまで、仕事のことを考えるのは私の日常として確立している。だから、そのことに疑問を持つことなんてない、はずだったのだ。
重い身体を起こして、ベッドの中に座り込みながらぼんやりと窓の外を眺める。頭の中は昨日終わらせた仕事と、今日するべき仕事が追いかけっこのようにぐるぐるとせわしない。鳥の声がした。いつも聞いているはずなのに、気づかなかった声が私の耳に飛び込んできた。
「……休もっかなぁ」
自分の口から飛び出た言葉に、一番驚いたのは私自身だ。まだ動かない頭を3回振って、急いで身支度を整えてバッグを掴んで家を出る。ローヒールの靴はガツガツと道に鈍い音を響かせる。私の機嫌が悪いときは、なおさら。
いつも通り、電車のなかではSNSをチェックして、返信をして、本を開く。最近、読んでいるのは梶井基次郎の『檸檬』。ラストシーン、主人公が爆発を想像するシーンで左の頬がニヤリと動く。すべて吹っ飛ばせたら、どれだけいいだろう。幼いころに、美味しそうだと舌を這わせたビー玉を思い出す。ラムネの瓶に閉じ込められた、カラカラと軽い音を立てるそれを思い出す。
寝そべって、誰にも見つからないようにこっそりと舌を這わせたガラスの味は、もう忘れてしまった。
「~~駅」
気づけば、会社近くに来ている。これも、いつも通り。でも、どうしてもホームから足が動かなかった。鬱陶しそうに私を避けながら歩いていく人たちの背中を見つめる。
灰色や黒や、そんな色の背中が遠ざかっていくのをぼんやりと眺めながら、バッグからケータイを取り出して会社に電話をしていた。
「吐いてトイレから出れません。お休みさせてください。」
どうせなら、行ったことのないところへ行こう。次に来た電車に飛び乗って、ぼんやりと窓の外を眺める。思ったよりも空は青くて、ここ1年はまともに空を眺めた時間がなかったことに気が付いた。
休んだからといって、特別にやりたいこともない。好きだった映画鑑賞も、最近はリサーチする暇もないから全く分からない。それに、今は映画館に行ったら眠ってしまいそうだ。なんだか、それは勿体ない。
適当に降りた駅で、ぶらぶらと街を散策することにした。どちらかというと、都会とはいえない街並み。街がまとう柔らかい雰囲気に、胸の底から息がつけた。どこからか香ばしい香りが漂って、私は自分がお腹を梳いていることに気が付いた。
ふらふらと歩いていくと、小さなパン屋がある。喫茶スペースもあるみたいだけれど、すでに満席だ。まだ、朝の9時前だというのに。
「あんパンと、ウインナードッグ、カレーパンと……クロワッサン。全部、一つずつ。コーヒー持ち帰りってできます?」
私の怒涛の注文にも怪訝な顔をせず、パン屋の制服を着たお姉さんはコーヒー大丈夫ですよ~と朗らかな声で答える。
ほかほかのパンとほかほかのコーヒーで手を温めながら、うろうろと街を巡った。
少し大きめの公園は、少し肌寒い季節だからか誰もいない。もう少し日が出たら、にぎやかになるのかな。赤や黄色のグラデーションの葉が、風で揺れる。適当なベンチに腰をかけると、なんだか肩に入っていた力がふっと抜けたような気がした。
さっきから震え続けるケータイを開くと、上司からアホみたいにメールが送られている。
完全週休二日制なわけじゃないし、やらなくちゃいけない仕事はあるし。結局、私は明日会社に行かなくちゃいけないのだろう。
「だるいなー」
あんぱんはすっかり私の胃の中におさまって、最後に残しておいたクロワッサンにかぶり付く。じゅわっと口の中に広がるバターの香り。
「んー!」
思わず声が出て、空を見上げる。
「おねーさん」
「おわっ」
にょきっと出てきた男の顔で驚いてひっくり返りそうになると、それをケラケラ笑いながらその男は肩辺りで支えてくれる。
「……なんですか」
独りでテンションが上がっていたところを見られているなんて恥ずかしくて、どうにもぶっきらぼうな言い方をしてしまう。
「おねーさんこそ、平日にスーツ着て、こんなところでなにやってるんですか」
私のテンションの低さは気にしていないというようにケラケラと笑って、少し首を傾ける。
黒いロングカーディガンに、細身のストレートのジーンズ。横から見てないから実態は分からないけれど、明らかに薄い。私よりウエストないんじゃないか。
「べつに。」
「うん、まーいいんですけど。……こっち。」
スーツ姿の女が仕事の時間に公園にってどう考えてもサボりだし。深堀しても面白くないと踏んだのか、ただ自分の話がしたかっただけなのか、彼は小さく手招きして私を呼ぶ。
クロワッサンとコーヒーを手に持ちながら、私はフラフラとなんとなくついていった。普段なら怪しすぎて動かないだろうに、なんでだろう。顔が好みだったとか?残念ながら、それほど彼の顔は覚えていない。
「はーやーく。」
「……わかったわよ」
少しスピードを上げて彼に続くと、公園の片隅に革製のトランクが開かれていて、アクセサリーがぎっちりと並べられていた。
「わあ……」
「女の人なら、こういうの好きでしょ」
少しと得意げな声で彼が話す。
「そういう決めつけはどうかと思うけど……でも、好き」
久しぶりにこういうものを目にした私は、キラキラ光るこういうものに釘付けだ。シルバーだろうか。手作りの温かみのあるリングやモチーフがぶら下がったアクセサリー。普段買うようなものとはちょっと違うそれらに、胸の奥が弾むような心地がする。
「おねーさん、こういうの好き?」
「こういうの?」
「手作りとか」
「うーん、あんまり買わないかなぁ。でも、アクセサリー自体見るの久しぶり。」
「へぇ。どれくらい?」
「1年とか?」
「……こういうの興味ない人?」
「そんなことないよ。好きでこまごま集めてたんだけど……忙しくて、つけ方も忘れちゃった」
「ふうん」
真ん丸じゃないけれど、不思議と手に馴染むリング。いいな、かわいい。デザインもシンプルだし、どんな服にも合いそうだ。……さすがにスーツにはダメだろうけど。
「……それ気に入った?」
じっと見つめているからバレバレだったらしい。少し嬉しさが滲んだ声で、男の子が私に話しかける。
「うん」
「じゃあ、あげる」
「え!い、いいよ。そんなつもりで言ったわけじゃないし。それに毎日スーツばっかりで、こんな素敵なリングつけるような恰好してないの。」
「そんなこと言ったら、何にもつけれないじゃん。」
「……だから、何にもつけないんだって。仕事だから、仕方ない。」
「じゃあ……」
彼は私に向き合うように、正面から顔を覗き込んで目の前に何かを差し出した。
「これは?」
よく見ると、プラプラと小さなグリーンの石がついたネックレスが揺れていた。楕円形に削られた石は、深い緑でなんだか吸い込まれそう。
「アベンチュリンっていうんだ。」
「え?」
「この緑の石。癒しをくれる。性格も穏やかだし、きっとおねーさんに馴染んでくれるよ」
にっこりと笑って、ずいっと押し付けるように腕を突き出す。その勢いに負けて、私も思わずネックレスを受け取ると満足そうにうなずく。
「ピッタリ、でしょ。おねーさんに」
「そう?」
「うん。それに、1つ好きなものを身に着けてるだけで、人間って意外と機嫌がよくなるもんなんだよね」
「……へぇ」
「だから、おすそ分け。そうしたら、これを見たとき、一日のなかで、一瞬でも嬉しくなるでしょ」
「なる……かな」
「なるよ、ぜぇったいなる!」
「そうかな」
「そうだよ」
目を合わせて、なんだか二人とも笑いが我慢できなくて笑いだす。そうかな、ともう一度いったら、絶対そうだよとまた彼は笑った。
「ということで、それはおねーさんにあげます!」
ひとしきり笑うと、彼は嬉しそうに声を上げて、勢いよくトランクを閉じる。使い込まれた革が顔を出して、彼の手によってトランクが勢いよく浮かぶ。
「じゃあねー!応援してる!」
走り出した勢いに気後れして、一歩遅れて声を上げた。
「……ありがとー!」
私の声に応えるように、彼の背中は3回跳ねて、ぐんぐん小さくなっていった。
昼休み、コーヒーを飲んで一息つく。ワイシャツから覗く首元には、あの日もらったアベンチュリンがある。疲れたとき、どうにもできないときに何となくこの緑の石を撫でてしまう。いつのまにか、そんな癖がついた。
「さて、やりますか」
背伸びをして、髪の毛を結ぶ。キーボードに手を置いて、ひたすら文字を打ち込む。
あの日出会った彼と、いつなまた会いたい。そうしたら、私は絶対にお礼を言うのだ。また、頑張れるきっかけをくれたのは、君なのだと。