【2022.02】ウクライナとロシアのこと
noteは薄れゆく海外生活・海外旅行のことを記録するためだけに始めたけれど(しかも超亀さんスピード笑)、どうしてもいまの気持ちの吐出しがしたくなりました。わたしはロシアにはそこそこ長く住んでいたわりに政治経済はからっきし、歴史も常識レベルでしかわかりません。ロシア語も10年関わっていると胸を張れないくらいいつもまだまだだなと意気消沈してしまいます。それからまた別の角度から、こういったSNSに何かを書くことで、何らかの誤解が生じてしまい、結果的に戦争やその他諸々に加担するという怖さもあります。だけど、どうしても今頭の中にあることだけは文字で残したい。きっと支離滅裂で自分ですら読み返したときに理解できるかは分かりませんが、それでもいいと思います。
ロシアに関わることになったきっかけは前も書いた通り、本当に大した理由はなく、国公立の外国語ができる関西の大学で、倍率の低そうな言語という理由で受験したことだった。最初の1年半は全く理解ができず、こんな難しい言語なぜ選んだのかと毎日思っていた。それを覆したのが1年間のモスクワ留学で、初めての海外生活だった。音でしかなかったものが言葉になり、表記でしかなかったものが文字になった瞬間の楽しさを身をもって体験した。言葉と文字を手に入れると、世界がものすごく広くなり、ここで止めたらもったいない、という気持ちになった。4年で卒業する予定を変更し、計画留年してサンクトペテルブルグで学部留学した。大学に日本人はおらず、さらにホームステイをしていたので日常のすべてがロシア語・ロシア文化だった。新卒で入った企業を1年で辞めて、またモスクワへ飛んだ。公的機関での2年の就労経験は、つらいことや難しいことも多かったけれど、今まで与えられるばかりだったものを少しだけ還元できた気がした。日本に帰ってからも、ロシアに関係のある仕事に就いた。気づけば二十代はどの時もロシアという存在がそばにあった。
二十代があと3か月で終わる今、ロシアが戦争を始めた。ウクライナとの関係が良くないことはずっと知っていた。2度目の留学のとき、本当はサンクトペテルブルグではなく、キエフの大学にしようと思っていた。その時起きたのがクリミア併合だった。SNS上に次々と挙がる映像にただただ絶句した。侵攻を始めた初日は仕事にならず、数分おきにニュースをチェックした。プーチンの声明も読んだ。ロシア語が分かって悲しくなる日がくるとは思わなかった。ウクライナ語はほとんどロシア語と変わらないので、音声で聞くと何を言ってるかは6~7割は理解できる。そもそも、ロシア語を話すウクライナ人も多い。彼らの痛々しい姿や、涙や、言葉が胸を痛めて仕方なく、やるせなかった。自分が暮らした街の、よく知った場所でデモが起き、ロシアの人々が捕らえられていた。モスクワ時代の同僚や、出張先で出会ったガイド、取引先の社長…みんなが無力の中、反戦を訴えていた。自分たちは戦争反対だと。ウクライナ人もロシア人も、彼らは昨日までただただ普通の生活をしていたのに。信じがたかった。
ロシア人の中で戦争反対の声があるのと同時に、賛成の声もこの数日でたくさん見た。お正月に実家にまで呼んでくれたお姉さんは、ウクライナ人は残虐行為を繰り返している、ロシアはそれを助ける、という言葉を投稿していた。今の職場のロシア人も、「ロシアはすぐに良くなる。」と笑っていた。ネット上には幾多の賛辞の声がある。そういうことも事実だ。わたしは、一瞬だけ何が正しいのか分からなくなった。そもそもわたしはいつも、ロシアについてが過剰に偏向報道されていると思っていた。されている部分もあるのだと思う。でも、そんなのはどうやって見分ければいいの?開き直りではなく、単純にわからない。自分にバイアスがかかっているのかどうかさえも。偏向報道といえば、今わたしが住んでいるウズベキスタンの大統領・ミルジヨエフは26日にプーチンと電話会談をしたが、ロシア国内でのニュースでは「ウズベキスタンはロシアに理解を示した」と書いてあった一方、ウズベキスタンの発表としては「中立の立場を表明」したそうだ。こんなに蔓延っている偏りを、専門家ですらも悩むことをどうしたら自分は処理できるのだろう?ただ、とにかく一つ言えるのは、ロシア政府のウクライナへの武力行使は絶対に間違っているということ。ウクライナをこれ以上戦場にしてはいけないということ。
もう一つ、この数日で考えたこと。わたしは今までの人生でこんなにも真剣にニュースを追ったことはなかったと思う。大国総出の動きだからということもあるだろうけれど、今まで世界で起こっていることをこんなに真剣に考えたことはない。近い時期では、ミャンマーや香港やアフガニスタンで起こったことに、夢に出るほど心を割いてはいなかった。人にはキャパがあり、時間は無限でなく、自分の日常生活もしなければいけないから仕方ない部分もあるとは思うけれども、生まれてから今までこんなに安全に生きている自分は、もっと関心を持てたのではと省みてしまう。と同時に、こうも思う。わたしは大学生の一時期、なんの為に語学を専門に勉強するのか分からなくなった時があった。モスクワではロシア語を専攻とせず、他に専攻がありながらロシア語を勉強している他大学の学生や、一般企業の語学研修のために留学している社会人の人たちと多く知り合った。その人たちは、ロシア語を専門とせずとも(もちろんプライドをもって一生懸命やられていたからだが)わたしよりロシア語が上手い人が山ほどいた。そんな人たちの前で、語学専門で、しかもへたくそで。自分はどういう風に語学をとらえていけばいいだろうと悩んだ。そして、結論に至った。たとえ今は役に立たなくても、ロシアのすきな日本人がいて、日本のすきなイタリア人がいて、イタリアのすきなエジプト人がいて、エジプトのすきなブラジル人がいて・・・そういう風に、矢印がいろんな方向に向いて、世界は理解しあえるのだから、役には立たずとも無駄にはならないと。なんとも学生らしい考えで単純だけれども、いまでも本当にそう思っている。だから、世界のすべては無理でも、ただロシアのことは人よりも見続けて、考えて、理解していかないといけないと思う。
ロシアのことばかりを書いてしまったけれど、わたしにはロシアにもウクライナにもベラルーシにも知り合いがいる。一刻もはやく彼らが平穏を取り戻すことを願っている。わたしに出来ることは限られていて、わたしだって気を緩めたらすぐに涙がでそうになるけれど、Москва слезам не верит、モスクワは涙を信じない。泣かずに踏ん張っていくしかない。