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これぞ日本が築きあげた信頼だ・オーストラリアで出会った三人との”心和むエピソード”

 2019年も残すところあとわずか。海外にいながらもお正月の前には大掃除がしたくなるのは、節目を大事にする日本人ならではですね。

 今回は(なにかと日本を感じさせるこの季節に)私が海外生活で実際に体験した”日本人に生まれて本当にラッキーだった”と思えたエピソードを紹介します。

 公平に言って日本人というだけで受ける恩恵ってけっこう大きいと思うんですね。

 これまで私や家族にとても良くしてくれた多くの顔が思い浮かぶ中、今回は私がメルボルンにきたばかりの頃を思い出してみました。

 振り返れば、2012年にオーストラリアに渡り就職活動を始めたものの、何か月たっても仕事が決まりません。何社も面接を受けたり、履歴書を持ってエンジニアのイベントに参加したり、SNSを通してネットワークを作ったり。とにかくやれることは全部やろうという感じでした。

 そしてついに、今働いている会社からジョブオファーを貰った時にはメルボルンに来て五か月も経っていました。

 その瞬間は今でも良く覚えています。ちょうど電車の中にいたのですが、その電話を切った直後には興奮のあまり思わず雄たけびを上げていました(笑)

 家族を日本に残し単身オーストラリアで生活の基盤を作ろうと、悪戦苦闘した私。

 そんなとき今から紹介するオーストラリア現地在住の三人が、快く手を差し伸べてくれたのでした。

日本に住んだこともある中古車屋社長の中東系おやじ

 これは仕事が決まったその直後に車を購入した際のはなしです。

 ついに仕事も決まり気分は最高潮。意気揚々とこれから通勤にも必要となる車を探しにいきました。そして、あとから合流する家族にもちょうど良い車をみつけたのですが、少し困ったことに。

 予算がすこし足らなかったんですね。というか、これから引っ越し、その街で家を借りるし、そこで家具なども必要となってくる。どれだけ出費があるかわからないので、手持ちの現金は十分に残しておきたい。。。

 そこで中古車屋の社長にこう伝えました。
・来週にも仕事を始めるので、この車をすぐにでも購入したい
・手持ちの現金で支払いはできるが、(他の出費もあるので)現金を減らしたくない
・日本の銀行口座からオーストラリアの口座に送金するのに少なくとも一週間は必要。だからすぐには支払いができない

 そして社長さんと交渉した結果、頭金10%で残額は二週間以内に振り込むという条件で、お店にいったその日に車と鍵を渡してくれました!おかげでその翌日から、引っ越しと新居探しを始めることができたんですね。

 オーストラリアには一年中、留学生、ワーキングホリデー、旅行者などの一時滞在者がたくさんいます。その時点では私もそのうちの一人みたいなもの。収入は無く、住所も仮住まいのシェアハウスでした。まったくどこの馬の骨とも分からい。。。車を誰かに売り飛ばしてそのまま帰国して逃げることだって出来るわけです。

 ただその中古車屋社長のおやじさんは私のことをとにかく信じて、車を売ってくれました。その時の彼の言葉が忘れられません。

「俺は日本人を信用する」

 彼はずっと若いころ日本で働いていたことがあり、そして日本で小さな輸入ビジネスも経営していたそうです。

 その時の良い思い・経験があり、何十年経った後でもオーストラリアで出会った私の事を”日本人”として信用してくれたんですね。

トヨタ・オーストラリアに勤めるナイスオージーガイ

 これは仕事探しを初めてからずいぶん時が経ち、精神的にもちょっとずつきつくなり、”藁(わら)にもすがりたい”そんな気分だったころの話です。

 あるエンジニアが集まるイベントに参加した日でした。トヨタ・オーストラリアのジャンパーを着ている方(仮名:アンドリュー)を見つけたので、さっそく近寄って話をしてみました。

 いろいろ話す中で、私が今オーストラリアで仕事を探している事、日本での経験やスキル、そして日本には妻と長女がおり、次女が生まれた後オーストラリアに合流することなども話しました。

 イベントの最後にもう一度顔を合わせると、
「日本で積んだ君の経験ならきっとよい仕事がある。会社に戻ったら社内で思い当たる人間に声をかけてみる。まかしてくれ。」と力強く言ってくれました。

 どんな小さなチャンスにも掛けたい。とにかく祈るような気持ちでした。そして翌日にはさっそく、面接の連絡をもらえました。

 ただし、タイミングが悪かったんですね。翌日の夜には日本に一時帰国する予定で航空券も買っていた。それでも、絶好のチャンスをふいにはしたくない。

 アンドリューにそれを告げると、彼の頑張りによりぎりぎり飛行機に間に合うタイミングで、面接日程をねじ込んでくれました。そして急転直下、面接を受けれることになりました。

(ありがとう、アンドリュー!当日は車で最寄駅までお迎えと送迎してくれたことも忘れない)

 彼はトヨタ・オーストラリアに長く勤務しており、日本にも出張で訪れたことがあるそうです。

 その彼はなんども「日本でその経験があれば、きっと仕事は見つかる。大丈夫だ」と言ってくれました。彼自身が小さな子供の父親でもあり、「はやく家族と合流できると良いね」優しい言葉もかけてもらいました。

 当時のわたし、彼の優しさが本当に身にしみました。。。

 結果的には残念ながら、この時の面接はよい結果に至らず。アンドリューが作ってくれたチャンス。残念ながら”もの”にすることは出来ませんでした。。。

 これはちょうど、今も務めている米系自動車会社からオファーを貰う一か月ぐらい前のことです。

(現職のオファーをもらった時も、これ以上のミラクルな出会いが実はありました。それはまた別の機会に書いてみようと思います)

杜の都仙台をこよなく愛するメルボルンの大学教授

 2012年当時、オーストラリアでは既にSNSを利用した転職活動がわりと一般的になっていました。これはそのSNSを通じて思いがけぬ出会いがあった話です。

 この当時私は、LinkedInというSNSに英文履歴書を載せたりと良く使ってました。そしてある日、メルボルンにある大学の機械工学科教授(仮名:アリー)よりメールがあり。

 「いちど大学のキャンパスまで遊びにきませんか?コーヒー飲みましょう」

 誘ってもらって断る理由などありません。私はオーストラリアでの学歴や職歴もないので、同じような職種の人間と知り会うのがとっても嬉しかったんです。

 そして私が大学キャンパスを訪問した日、彼は自分のオフィスに私を案内してくれ、ある録音した曲を聞かせてくれました。なにやらそれは、ギターの伴奏に合わせて何人かで歌う日本語の曲(なんの曲だったかは聞き取れず)。

 話を聞くと、アリーはむかし東北大学の博士課程に留学していて、卒業した時に研究室仲間がお祝いでオリジナル替え歌を歌ってくれたそうです。

 彼にとっては日本の東北大学で過ごした時間はすばらしい思い出、杜の都(もりのみやこ)仙台の暮らしが大好きだったそうです。

 研究室で仲間たちと過ごした思い出や、よく日本語を勉強していたいつもの喫茶店で見ず知らずの人が声をかけてくれた事。日本人の優しさに触れた素晴らしい思い出を語ってくれました。

 たまたまですが私もこれまで二度、東北大学を訪れたことがあります。仙台駅からバスに乗って青葉山の頂上に着くと、伊達政宗の銅像もある仙台城がみえる。その裏手に大学キャンパスがあるんですよね。

 山の上から市内を眺める景色はとても日本らしい景観です。実は前から私が好きな街のひとつだったのです。

 違う言語、文化の国で暮らすというのは大変な事も同時にあります。もしかしたらアリーも当時は、青葉山からの景色を眺めて気を紛らわした事もあったかもしれない。。。すごい気持ちは分かります。

 という訳で、彼とはすぐに意気投合しました。

 日本で受けた優しさが元になり日本の事を好きになる、そして今度は違う国で日本人の私に優しく声をかけてくれた。こういった優しさの連鎖。いつまでも繋いでいきたいですね。

最後に


 一人の個人として生身の付き合いをする中で、特別な優しさを受け取った時の嬉しさ。とても心に染みるんですよね。

 海外で頼れるものもない環境に立った時、”日本人だから”といって受け取った優しさ。日本にいた頃は想像できませんでした。

 これってすごく誇らしくないですか。

 しかも、草の根レベル、人対人の良い関係が将来の良い関係に確実に繋がっている。こういった事が実際に体験して分かったのもすごく嬉しい事でした。

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