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あの古作図案を刺しちゃった! 〜5 刺しながら考えたこと
これが最終回。最後は憧れの古作図案を刺して感じたこと。
mishida135のバッグブランド「kosaku」は古い着物に刺してあるこぎん図案を題材にするので、刺しながら自然と、名も知らぬ作者について考えます。
こういう図案を刺すのは熟練者かな
誰のために刺したんだろう
このもどこが好きだったんだろうなあ
どんな暮らしの中でこれをさしたのかな
…などなど。
時代も場所も離れたところから、心の中でこっそり問いかけるような感じです。
ところが、今回は全然違ってました。
えええ、なんでなんで! どうしてこう刺した?
いやいや、普通こっちに流すでしょう
ここ、うまいことやったね!
あら、ここはちゃんとルール守るんだー
…と、初対面にもかかわらず(正確には会ってはいませんが)、ぐいぐいと側まで近寄って、顔を覗き込み、「なんで? どうして? 教えて」と早口で大きな声で質問攻めせずにはおれませんでした。
もちろん、実際にそうはできないんですが、そういう感覚です。
作者の存在を、これまでにないくらいリアルに身近に感じました。
私の作品に対する愛ゆえなのか、それとも何かそんな力がある作品なのか。
摩訶不思議な図案は苦労もあったけど、終始、とても楽しかった。気持ちが軽くなり、時には声に出して笑ってしまうような楽しさです。
なぜだろうと考えると。
一つは、図案に変化が多く、初めて刺す模様もあって、飽きずに刺せるから。
もう一つは、「自由」を感じたからじゃないかと思っています。
こぎん刺しには、基本的に奇数目で刺すとか、もどこや定型的な図案があるとか、ルールがいろいろあります。ルールに則っていれば、比較的誰でも簡単に美しい模様が刺せます。それが良さの一つでもあります。
でも、このルールを絶対に守らなきゃいけないってことはないわけだよね?
この図案からは作者のそんな声が聞こえてくるようでした。
もどこを変形させたり流れを通常とは違う方向へ繋げたりすることで、多くの人が超えてはいけないと思っていた囲いを、この作者はひょいっと軽く飛び越えてみせた。
従来通りに刺す部分と飛び越える部分の絶妙なバランスで対比を見せ、囲いがあることを意識さえしてなかった人にも、「ほら、ここに囲いがあるのよ」と教えてくれた。
普段の本人は控えめで静かな人だった可能性もあるけど、精神はとてもパンクだったとしか思えない。
作者が生きた時代に比べたら、私が生きる現代の日本では、自由のありがたみを実感することは少ないかもしれません。
それでも、気づいたら囲いの中に閉じこもっていたり、何かに縛られていたりすることはあります。囲いや縛りを作っているのは、多くの場合、自分自身の頭や心なのですが。
自由なこの図案を刺していると、囲いや縛りから解放されるような感覚がありました。
こぎんも私も、もっと自由になっていいんだな、と。
そして、ルールや規則性が美しい模様を作るこぎん刺しだけど、それを壊しても実は美しい!と証明してくれた気もします。