日常#1 東京五輪に見る「集団浅慮」
東京五輪が始まりました。
開会式前にはゴタゴタがあり、賛否両論というより否定的な意見が多いですが…
感情的な批判は抜きにして、客観的に見て人選および開会式・選手村および一部競技の準備は失敗だったと見てよいでしょう。
具体的には予算に見合わない乏しい開会式の演出、選手村の設備の貧相さ、トライアスロン競技の水の悪臭問題など…
コロナ禍で準備の難しい部分もあったのかもしれませんが、莫大な予算と1年という延長期間があった以上、言い訳はできません。
組織委員会や政府に問題があったことは多くのメディアでも指摘されていますが、
ではなぜ多く資金や時間、人材を投じているこれらの組織がこのような状況に陥ってしまったのか。そこには「集団浅慮」が働いていたのだと考えられます。
集団浅慮とは、集団になることで多くの知見を集められるはずが、かえって結論の正しさを適切に判断できなくなってしまう事象のことです
皆さんも経験があるのではないでしょうか。
学生の頃の学級会やサークルの企画、社会人になってからの仕事の会議...。
たくさんの人の時間や労力を割いたわりに、結局議論がまとまらず微妙な結論で終わったり、課題やリスクを抱えたまま本番を迎えたり。
誰かが一人で決めるか、もっと少人数で相談した方が良いのでは、と思うことはないでしょうか。これこそが集団浅慮と言えます。
これは想像にすぎませんが、例えば開会式の企画会議でも、議論が盛り上がる中で、良くない企画案でも否定しづらくて否定できなかったり、予算オーバーでも議論に水を差したくなくてそのまま通してしまったり。
日本人に特に顕著な傾向ですが、おそらく豪華なメンバーを集めたからこそ、全員の意見をできるだけ採用しようとか、あの人の意見は採用しないと、といった配慮が働いて、客観的に見るとそれが浅慮となってしまっていたのでしょう。
では、これを防ぐためにはどうすればよいのでしょうか?
優秀なプランナーが一人で企画すればよかったのか、豪華なメンバーは呼ばなければよかったのか。
これは難しい問題です。集団浅慮はあらゆる組織で生じる問題であり、簡単に解決することはできないでしょう。
一つ有効な対策として考えられることは、意思決定のプロを1名入れることです。
会議体を作り、提案や企画をまとめる上で最も重要なのは意思決定です。
一人ではできることで、集団ではスムーズにできない最たる例が、意思決定だからです。
そして会議で最も時間を要する非生産的な作業が、この意思決定です。
企画案の実現可能性や予算を客観的に整理し、合理的に企画の採用や実現方法を考えることのできる意思決定のプロを置くことで、この作業を効率化することができます。
あえて業界知識や企画能力はないアウトサイダーを意思決定のプロとしておき、意思決定の権限を持たせることで、企画メンバーの意見の対立や空気の読み合いを防ぎ、企画作業に集中してもらうことができます。
もちろんこの意思決定者の非合理的な判断や暴走がないように人選・モニタリングを適切に行うことは必須です。
ですが運営者としても、企画メンバーの議論があらぬ方向に向かい、集団として誤った意思決定をされた場合、それを却下するのはかなり難しいですが、意思決定のプロが仮に誤った意思決定をしても却下することや再考してもらうことは比較的簡単でしょう。
(豪華な著名人の集団が決めた意見を却下しずらいのは皆さんもイメージが湧くと思います。)
これは会議において議長を置くと言うことと似ていますが、メンバー内で議長を任命しても、利害関係があると気をつかってしまいますし、企画側の主観的な判断が入ってしまいます。アウトサイダーで、かつプロジェクト管理・リスク管理のノウハウを持つ意思決定のプロであることが重要なのです。
このように、意思決定や責任の所在を明確にすることで集団浅慮を防ぐという対策は多くの組織で通用しますので、同様の状況に悩まされている方がいましたら、ぜひ参考にしてみてください!