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D日記_その9
2025年になりました。今年も何卒よろしくお願いいたします。
今日は、新年なのに全くおめでたい気持ちになれないことを話したいと思います。
博士課程はある程度鬱々とするものだとは分かっていたものの、すでに完全にキャパオーバーしています。
やりたいことがずっと分からないので無いふりをしていた方が楽、3年間で博士号が取れればそれでいい、という保守的な気持ちだけを残して他のあるべき意気込みや感情を全て投げ出してしまいました。
そもそも、博士号を取ることへのモチベーションはあったし、それは今でも覚えているんですが、もうそれを口にしてみても心が動かなくなりました。
もう無事に終わればそれでいいの一心しか残っていない。
でもこの心持ちではきっときついし何も得られない。
毎日気分が落ち込んで訳の分からない涙が数滴流れる、号泣するほどに感情も整理されていない。
ずっと、ここではないどこかへと忌避的な選択ばかりしてきて、その結果現在地があるわけだけれど、ここには安心もないし目的もないので、本当はもうすぐ次のどこかに行ってしまいたい。
しかしそうする訳にはいかない事情もあるし、さらに戻りたいと思う場所もない。
のでここにいるしかない。
でも何をしていいのか分からない。
分からないからと言って何もしないわけにはいかない。
しかしここに存在していることは特に何か役割があって必要とされている訳でもなく、でも慣れない地にいるので周りにはずっと若干の迷惑をかけてしまっている。
なんでこうなってしまったんだろう。
人生を無事に適度なタイミングで終わりたい。
その決意だけが繰り返される毎日を過ごすなんて思ってなかったし、しかもそれが新年早々の気持ちだということが受け止めきれない。
こんなこと書いてどうするんだという気持ちもあるけれど、一旦書き残しておく。
また書きにくる時には少しでもましになっていますように。
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